今日という日が
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「あぁあぁぁー………疲れたぁあぁ………」
少し慣れてきた自転車の立ち漕ぎだが、仕事を終わらせてきた足腰には非常につらい。沖田君が忠告してきた祭を数日後に控えている今、弱音を吐いている暇は無いのだけれど、私にはそれ以外にも仕事が山積みのように残っている。まず上を脱いで、下をジャージにはきかえてからソファーに倒れこみ、腕を伸ばして机の上に置いてあったノートパソコンの電源をつけた。持って帰ってきた資料をそれに取り込んで、その広告の色やらデザインやらのチェックをして、それから、それから…。
「(それからご飯食べて風呂入って明日の準備して……)」
今日かいた汗のせいで化粧はほぼ落ちているような気がする。睡魔に襲われている顔を軽くペチペチ叩いて、寝ないようにちゃんと座り直してパソコンに向かった。幾つもの資料が出てきて、書類と睨めっこしながらどれがどの会社の広告かテーマは何かなどを確認していく。一人暮らしの部屋にはパソコンが唸るような音しか聞こえず、少し寂しく感じたので何となくテレビをつけてみる。別に見たかった番組があるとかでも無いけれど、音が少しでもあった方が割りと落ち着く。大勢の笑い声がテレビの中から聞こえてきた。
「(あー……ここの色はこうした方が良いかなぁ……。……ここのデザインはもう少し丸くした方が伝わりやすいかもー……)」
一つ一つ修正しながらポインタを動かしていくと、ふと人差し指に違和感を感じる。見てみれば、爪が割れていた。
「…あ、そうだそうだ、挟んだんだ」
今日「外」に行く前に、会議室の机をたたんでいた時不運にも人差し指を挟めてしまい、その結果爪が被害を受けてしまった。
「…何気に痛い、かも」
脈を打っているような痛さが人差し指の先端を痛めつけていて、私は仕方なくその部分に絆創膏を貼って作業を続行。痛いから休む、なんて小学生みたいな事、今の私は出来なかった。まだまだこれからの人生だけど、もし今の時期みたいな忙しい期間が私を襲ってきて、それについていける程の体力と気力がなくなったとき、私は一体どうするのだろう?そんな当ても無い疑問が脳内に溢れ、全ての神経をストップさせる。
「………」
今日みたいに彼女と夜中ぶっ通しで仕事やって、挙句の果てには睡眠不足の体で「外」にいかされて、家に帰されたと思ったらココでも残業して明日に備えて…。
一体、こんな日々がいつまで続くのだろう?
「(私、このまま仕事続けてて良いのかな…。いや、続けなくちゃいけないのかな……?うん?でもこの先の事を考えるとどの道が一番適当なんだろう……)」
腕を組んで考える事で無いかもしれないけど、疲れた頭ではそういった考えは浮かばない。ただ、自分の今の現状に疑問を持つ事しか出来ないのは、きっと何かが足りないと思うから。今暮らしていく生活の中で、面倒くさがりやの私がこうやって考えこんでしまう程、何かが足りないのだ。それが何かは分からないけれど。
「………って何が足りないかだなんて、んなもん色気とかそんなのに決まってるじゃないですかー!!」
陽気に笑いながらそう言う私。一体誰に向かって言ってるの…!!と誰か突っ込んでください。
「こんな事考えてる暇があったら仕事仕事!」
今の私を動かすのが"仕事"というのが何とも皮肉なもんだけど、取りあえず、これ終わらせないと給料がもらえない訳で、と言う事は生きていけないという事です。すぐに分かりそうにない問題を考えてる時間は無いのかもしれません。
「よし!今夜も頑張るぞ!」
その夜見事に仕事を終わらせた私は、お約束どおり寝坊して、猛ダッシュで会社に向かいました。
それから数日間、つまりは祭が明日本番となった時、携帯が鳴った。夕陽がさしこむ社内で、私はタイピングの手を止めて一度携帯をのぞきこむ。メールが1件だけ入っていて、相手は上司だった。
グッジョブ☆
最後の星マークには何の可愛さも感じないが、祭の宣伝の仕事を完全に終えた私へのせめてもの労いだろう。今日に至るまで看板を設置する下見も終え、デザインも了承し、看板の色使いもチェックして、それを設置する時は黄色のヘルメットを被ってまで現場に向かった。
うん、よく働いたよ、私。そう思ったが吉、私は残業ばかりの日常に鬱憤を晴らす為に立ち上がった。隣に座っている同期が「何事!?」と驚いた声を上げる。オフィスに残っている数人も私に視線を向けて、「秋月どうしたー?」などと声をかけてくれる。私はどこか遠い先に目線を投げかけるようにして、一言だけ呟いた。
「帰る!」
「………は?」
私は決めたんです、今日はもう帰る!
「え?いや、ちょっと待っ…」
「今日はもう帰る。よろしく!明日の祭無事に終わると良いね!」
この清々しさがどこから生まれてくるかは分からないけれど、仕事時間としてはもう終わっているから、後は自主的に残業するかどうかまで選べる程私の仕事は片付き始めていた。全てが終わった訳ではないが、もう帰っても大丈夫だろう!
「それじゃ!みんなお疲れっしたー!!」
鞄に定期が入っているのを確認し、パソコンの電源を切ってから颯爽とその場を去る。ドアを閉めれば、遅かれど「お疲れー」的な数人の声がかかり、私は疲れた顔にも軽く微笑み、人がごった返る電車に乗り込んだ。
今日も今日とて素晴らしい人の多さに圧倒されながら地元の駅までついた。冷えすぎる車内を出れば、頬をなでる夏の夕暮れの風が生暖かく感じた。何度か人にぶつかりながらも改札を出て、ようやく工事の終わったコンビニへと足を向ける。いや、お酒を買う訳じゃなくて、何か甘いものでもないかなぁと思いまして。
「いらっしゃいませー!」
元気な店員の声に少し活力をもらいながら、真っ先に向かったのはデザートコーナー。今日はしっかりご飯も食べて食後にはデザートを食べてゆっくりと睡眠を取ってやるんだ!
「(うーん……なに食べようかなぁ…)」
基本なんでも食べれるので、レジが込む前に早く決めようと思った矢先に目についたのはティラミスだった。シンプルだけど、割と好きだしこれで良いか、と思いそれに手を伸ばす。その時に誰かと手があたり、まるで熱いものに触れた時のように手を引っ込めてしまった。
「あ、すいません」
「いえいえ…………あ」
「あ」
先に謝ってみたものの、まさか知り合いとは思いもしませんでした。
「坂田さん…?」
「おー、この前ぶりだな」
本当に甘いものが好きなんですね。呆け顔で言ってしまったのは、坂田さんと出くわした事に純粋に驚いているからです。しかしそんな私の阿呆面も気にしないかのように、坂田さんは「まぁな」と言って、一瞬はにかむような笑顔を向けた。疲れが一瞬にして吹っ飛んだのはいうまでもありません。
そうして私はティラミスを、坂田さんは隣に置いてあったイチゴのケーキを買ってから帰路についた訳です。因みに今日は自転車ではなく歩いて来ていて、これまた嬉しい事に坂田さんはスクーターをわざわざ押してまで私の歩幅に合わせてくれています。ここから万事屋までの距離は結構あるのは知っているけど、帰って欲しくないな、という気持ちもあって「スクーターに乗って先に帰った方が良いのでは?」なんて事は言えなかった。
「(坂田さんごめんなさい……!)」
自分の欲に忠実でごめんなさい!
「今仕事帰りか?」
「へ!?あ、はい、そうなんです。今日はもう切り上げて帰ってきました」
「ふーん……大変なんだな、仕事」
「そんな事無いですよー?」
ケタケタ笑ってみせると、坂田さんも軽く笑う。そして自身の目もとに指を向けている。まるで私にそこを触れと言われている様な気がして、思わず私も自分の目の下を触ってみるけど、別段何がついている訳でも無かった。しかし、そこを触れ、という意味ははき違えでは無かったらしい。
「クマが出来てるけど?」
「!!」
上手くメイクで隠したつもりが、まさかのバレバレで、いや、坂田さんにバレても何があるという訳ではないけど、不細工な顔は見せたくないとは思うじゃないですか…!今更遅いけど、顔を軽く俯かせて片手で顔を隠すようにした。その行動に、坂田さんはまた軽く笑う。なんか笑われてばっかだな私。
「人間クマぐらい出来っだろ」
「いや、でもですね、やっぱ出来たら嫌じゃないですか?」
「まぁなー……。秋月は肌が白いからクマも目立つんだろうな」
「目立つ!?」
「派手にじゃないぞ。よくよく見れば、の話だ」
「よ…よくよく見ないで下さい……!」
やっぱりもう1人で帰りたい…!坂田さんと会えたのはそりゃ嬉しいですけど、何かもう身が持たないような気がします…!よくよく見れば、ってどういう事ですか!よくよく見られてたって事ですか!恥ずかしい!ばっちりメイクしとけば良かったー!そんな事ばかり悶々考えていると、坂田さんが私に何か声をかけてきたのが分かった。しかし数日前から自分の考えに浸ると周りが見えなくなるものですから、私が彼の声掛けに反応出来ぬまま歩いていると、素晴らしい命中率で道の脇に立っているポールに顔をぶつけてしまった。
「~~~~~っっ!」
「お前今のはスゲーよ。こんな分かりやすいもんにぶつかるとは」
「さ、坂田さんも注意ぐらいしてくれたって良いじゃないですか!」
「俺何度も呼びましたけどー?」
でも何か考えてる風だったし。その言葉に、「う…!」と言葉が詰まる。きっと微かに聞いた坂田さんの声は、ぶつかるぞー、みたいな事を呼びかけてくれていたのだろう。取りあえずぶつかった今、ヒリヒリと痛む鼻をおさえぶつかった物を見上げる。何とも悲しい事に、それは、私が少し前に担当した宣伝用の看板だった。
「(自分でここに設置しておいてまさかぶつかるとは……)」
小さな子どもがぶつからないように割と端に寄せたつもりだったけど、まだまだその配慮は足りないらしい。うん、勉強になりました。兎にも角にもどことなくいろんな意味で恥ずかしい気持ちを抱きながら歩き出すが、坂田さんの足が止まっているのに気がついて声をかけてみる。
「?坂田さん?どうかされましたか?」
「んー……」
その看板を見上げたまま曖昧な返事をしたと思えば、数秒後にはまた私の横に戻ってきて平然と歩き出す。一体どうしたんだろう?