きみがわらうとうれしくなる(5)
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真っ白な背景に、夏目がたった一人立っている不思議な夢を銀八は見ていた。
黒飴ー、黒飴ー。
金魚売が歌う様なメロディーにのって絶えず「黒飴」という声が聞こえる。その独特な旋律が頭から離れない。
黒飴ー、黒飴ー。
ホイミ効果があると信じて止まなかった彼女が作曲したのだろうか。
女子高生らしからぬ渋い飴を好む彼女。初めて出された時は驚いたが、あの不思議な一面は"魅力"として周りも認めている。だから、厄介だ。目には見えない甘い何かに誘われて、気がつけば色んな人間が寄っている。ピーチ味、マスカット味、ソーダ味、色も味も鮮やかなのに、彼女はそれにはなびかない。黒飴が一番美味しいよ、と言って無防備な笑顔を周りに振りまいている。
声を出して叫びたかった。
男はみんな狼ですよ。
そんな甘い味に手を伸ばしたら大変な事になりますよ。
何故か声は出なかったが、思いが通じたのか彼女が銀八の方を振り向いた。
――先生!
周りに向けている笑顔と少しも変わらない。天真爛漫で、こっちの毒気を抜いてしまう春を思わせる笑顔。思わず肩の力が抜けるその笑顔は好きだ。
――先生!私、………!
頬を少しだけ赤くして、こちらに何かを叫んでいるらしいが続きの言葉が聞こえない。聞き返そうにも銀八は言葉が出ない。
聞こえない、聞こえないからもう一度言ってくれ。
「………ん…?」
重い瞼がけだるそうに開いた。
頭はまだボンヤリとするが倒れる直前よりかはマシになっていた。見慣れない天井、少し固いベッド、病院を思わせる消毒液の匂い。ここが保健室で、自分が寝かされているのに気付くには少しだけ時間がかかった。
時計を見てみれば6時50分。定時が過ぎているどこではない。
「ヤベ、寝すぎた……」
白衣はご丁寧にハンガーにかけられてある。誰がしてくれたのだろうかと考えながら上半身を起こせば、物音に気付いた養護教諭が仕切りのカーテンから顔だけを出して「気分はどうです?」と聞いてきた。
「あー、まあボチボチですね」
「全くもう……子ども達に運ばれて来た時は驚きましたよ」
「子ども?マジですか」
「近藤君が背負って来てくれたんですよ。もう夏目さんや神楽さんが騒いで大変だったんですから。Z組が全員保健室に乗り込んできましたよ」
「………すんまっせーん…」
「貧血ですか?随分顔色が悪かったですけど」
「寝不足と貧血と栄養不足です」
「原因が自分で分かってるならしっかりして下さいね。受験生に心配されてどうするんです」
「……以後気をつけます」
「……まぁ、受験生の担任は大変ですもんね。只の貧血で終わって良かったです」
初老を迎そうな優しい養護教諭の労わり方が妙にむず痒くて、取り合えず「お手数おかけしました」と謝るしかなかった。
「子ども達にもお礼を言ってあげて下さいね」
「見返りを求められそうなので言えないです」
そう言ってみれば、彼女は楽しそうに笑って顔を引っ込めた。どうやら帰るらしい。
「じゃあ定時は過ぎてるので私は先に失礼しますね。保健室の戸締りはよろしくお願いしますね」
銀八の目が覚めたのを見届けた養教が保健室を出て、彼はまたベッドに倒れこんだ。確かに最近寝不足気味だと思っていたが、まさか廊下のど真ん中で倒れる程限界が来ていたなんて分からなかった。
「(ゴリラに背負われるなんて一生の不覚…)」
普段滅多に見ない保健室の天井を見上げながら、自分が倒れた時の事を想像してみる。
銀八が倒れた時、Z組が大パニックになったのだろう。その混乱は冷静沈着な風紀副委員長がおさめてくれたのだろうか。神楽なんか酢コンブを鼻に詰め込もうとしたぐらい混乱したに違いない。沖田はその混乱に乗じて意味もなくS心でチョークを突っ込んでこようとしたのではないか。
思わず鼻がどうにもなってないかを触って確認してみた。
各々個性的に驚いているクラスメートの反応を見たわけではないのに、担任であるからか、変に確信があった。心配されるのは好きでなくとも、ため息と共に小さな笑みが出るのは自然な事だった。
そう言えば、夏目はやたらと「黒飴ー!」と叫んでいた。夢の中でもそう叫ばれた。
結局、あの時なんと言っているか分からなかったけれど。
「……あいつ等ちゃんと帰っただろうな…」
7時手前となれば生徒はほぼ完全下校を強いられる。そうでなくてもこの時期は日が暮れるのが早いし、受験生を文化祭準備という名目で遅くまで残す事は出来ない。例え彼等が好き好んでやっていたとしてもだ。
ベッドから下りてスリッパをはき、いつもの白衣を右手で持って仕切りのカーテンを開けた。
「…マジでか……」
するとそこには、ソファに座って眠りこける土方と、近くにある大きな机に突っ伏している近藤と夏目の姿があった。鞄が余分に3つぐらい多く感じるという事は、この場にいなくともまだ数人の教え子が残っているのだろう。
いつもの剣道部の面々が何故ここで寝ているのかは不思議だが、夏目が残りたいと言ったのなら妙に頷ける。
勘の良い鬼の副部長の事だから、銀八と夏目だけを残すのは不味いと感じただろうし、日が暮れると分かっているのなら女1人を放って置いて帰る程彼等の仲間意識は薄くない。
まるで我が家で寝るかの如く鼾をかいている近藤に対し土方は静かに眠っている。彼女は腕に顔を埋めるようにして突っ伏しているので寝ているかどうかがよく分からない。
寝息を確認しようにも真向かいに寝ている近藤の鼾のせいで全く聞こえない。
「……夏目ー?」
控えめな声で呼んでみれば体がもぞもぞと動いた。一瞬身構えてしまったが、どうやら頭の位置を変えたかっただけらしく、銀八の居る反対側に顔を向けていた。
なるべく静かに歩いて顔を覗きこんでみれば、その瞼は近藤達と同じくしっかり閉じられている。耳を近づけてみれば細く長い寝息も確かに聞こえた。
心配性な彼女に苦笑いをしながら、起きる気配の感じられない教え子の顔を眺めた。
文化祭の準備で疲れているのは分かるし、気持ち良さそうに寝ているので起こすの気が退けるが、このままにしておく訳にもいかない。先生黒飴ー、と馬鹿っぽく言っている彼女も面白いが、静かに寝ている彼女もまた面白く感じてしまった。良い夢を見ているのか、たまに口がだらしなく笑っている。
「なんの夢見てんだか…」
まさか自分が銀八の夢に出ていた等露知らず、ここが学校である事を忘れて完全に熟睡していた。
銀八の授業は全く寝ない彼女なので、寝顔をこうも間近で見るのはあの合宿以来ではないだろうか。家でもない場所でこれ程警戒心を持たず寝るというのは女子として宜しくないが、銀八がそんな心配をするのはきっと要らぬお世話なのだろう。彼女に対し変に口出しをすればすぐ傍で眠っている鬼副部長に噛み付かれるだろうと思った。
それにしても、よく寝ている。
ずっとここに居てるのだろうか?
そしてあのシュークリームは食べたのだろうか?
聞きたい事が幾つかあっても、その為に起こすのも気が乗らない。
「夏目ー……」
もう一度言ってくれないか。
そう言ったら彼女はきっと大きな目をパチクリと見開いて、不思議そうに首をかしげるだろう。まさか夢の発言の続きを求められても、答えられる訳がない。そうと分かっていても、気になって仕方なかった。もう一度聞けば、今度はしっかりと耳に届く様な気がしたのだ。
あの笑顔で、あの声で、聞き取れなかった声は現実では一つもない筈なのに、夢というのは撒き戻しが出来ないのが不便な所だ。
「…そろそろ帰らねぇと7時過ぎるぞー……」
「……んー…」
一瞬返事をされたのかと思ったが、只の思い過ごしの様だった。寧ろどんどん深くなっていく眠りに焦ってしまう。
「(可哀想でも起こすしかないか………)」
「んんんー………」
「夏目、ほら、起きろ」
そう呼びかけて華奢な肩を控えめに揺らす。それでも起きない。今度は頭を優しく叩いてみるが、効果は無かった。その拍子に髪が数束顔にかかり、むず痒そうに顔をしかめる様子が可笑しくて思わず笑いを噛み殺した。
それを耳にかけてやろうと手を近付ける。その時、銀八の指が彼女の頬に触れてしまった。
瞬間、銀八の動きが完全に止まった。
男は狼ですよ。
と、夢の中で自分が言っていた言葉が思わず今の自分に向けられた様な気がしてならなくて、一歩二歩と静かに後ずさった。
「………自販機で飲み物でも買ってくるか…………」
急に居心地が悪くなって、誰に言うでもなく自分に言い聞かせ、調子の悪い体のまま保健室を出る。静かにドアが閉められ、銀八の足音が聞こえなくなった頃、腕を組んで寝ていた筈の土方の目が開いて口を小さく尖らせた。なにも居心地が悪く感じたのは銀八だけではない。
養教が保健室を出た時点で起きていた土方は、別に意地悪で寝たフリをしていたのではなく、いつもと違う銀八の空気に起きるに起きれなくなっただけだった。
「夏目、ほら、起きろ」
いつも気だるそうにしている担任のあんな甘い声なんて聞いた事が無かった。
思わず起き上がって、赤ずきんの無事を確認。
どんな顔で言っていたのか、想像するだけで吐き気がする土方は再び顔を顰めた。テストの範囲で嘘を教える教師なのだ、世の胡散臭さという胡散臭さで出来上がった大人が一介の男の顔を見せる相手が赤ずきんとは何とも腹立たしい。
一度赤ずきんを泣かせた罪と、嘘の範囲を教えた罪は重かった。
あともう少し寝ている彼女に構ったら噛み付こうかと考えていたあたり、銀八が保健室を出たのは野生の防衛本能かもしれなかった。
そんな小さな攻防戦と心理戦があったとは知らず、彼女は寝言で「いただきます」と幸せそうに呟いていた。
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