きたれ春!
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今日の学校は何だか全体が浮かれているような気がする。みんな笑顔で、実に分かりやすい。その集団の中でも、尤も分かりやすい奴等と称されても良いぐらいの3Zは、そりゃ十人十色にはしゃいでいた。
「おはよー」
昨日は暑くてあまり寝れなくて、少しテンションの低い声で挨拶をしながら教室に入れば、大きな浮き輪を腰につけている神楽が迎えてくれた。
「……制服のまま海に潜る気デスカ?」
「海じゃなくてプール!今日そよちゃんと行く約束してるアル!あ、ハルにはアヒルさん浮き輪を貸し…」
「いらんいらん!!!!そんな恥ずかしい浮き輪いらんから!!!!」
恥ずかしがりやー、と口を尖らせながら神楽は私の横を通り過ぎる。…その大きな浮き輪をつけたままじゃ、教室のドアは出れないんじゃ…。私がそう忠告する前に神楽は予想通り挟まってしまっていた。今到着した陸奥ちゃんが面倒くさそうに顔を歪めて神楽を見ている。
「むっちゃん。後ろのドアから入れば……」
と、途中まで言ってしまったが、後ろの方では既に近藤さんが先手をおさめていた。しかもアヒルさん浮き輪だ。アタフタともがいているその姿は何ら可愛らしくも無い。営業スマイルを貼り付けたお妙が近寄り、拳を振り上げた途端顔を般若のように恐ろしく変え、「邪魔なんだよ腐れゴリラァァアアアア!!!!」と叫びながら見事なパンチを繰り出している。
「ほ…ほどほどにね……」
近藤さんの骨の軋みや悲鳴を、騒いでいる教室の音に混ぜながら私はやっと席についた。
ポケットから携帯を取り出そうとすれば、隣の高杉の席に誰かが座った。高杉が朝から来るなんて有り得ないから、総ちゃんらへんかな、と思えばそうだった。
「おはよう」
「おはよー。今日の3Zはこれまたすご……」
携帯から総ちゃんに目を移せば、大きな大きな麦藁帽子をかぶり、手には虫取り網、肩には虫取り籠がかけてある。カブトムシ取りにでも行く気か!
「カブトムシなんかには興味ねぇ。狙うは大物」
「読心術!?」
「目標はアブラゼミを10匹捕まえる事でィ」
「どんなけ簡単な目標!!??」
浮かれすぎ……浮かれすぎだから。桂君はエリーと避暑地巡りって書かれてある本を見てるし、山崎君はいつものようにミントンしてるけど、突っ込み役の新八君までもが浮かれているのだからこの事態は収拾出来そうにない。何やらチケットを見てにやにや笑っている。きっとお通ちゃんの夏ライブが楽しみなんだろうなぁ…。
「因みにハル。俺の目標はもう達成されてるぜィ」
「はい?」
「机の中見てみな」
「?」
教科書も何も入っていない筈の軽い机。少し揺さぶってみても重さに変化は無い。何が言いたいの、と目で伝えれば「良いから見てみ」と言う。その時丁度放送がかかり、全校生徒は体育館に移動して下さい、との事。移動が始まって廊下は更に騒がしくなってくる。3Zも移動の為に席を立つ中、私は言う通り机をのぞいた。
「…………見事なまでに目標が達されているわ」
「そうだろィ。取立てだぜ」
「……コレは何、嫌がらせ?」
「うん」
「沖田総悟コルァァアア!!!」
私の机の中でひしめきあっているアブラゼミが落ちないように机を持ち上げた。じーじーと蝉が鳴き出す。
「逃げろィ!」
総ちゃんのその一声でZ組は近藤さんを踏み台に外へ飛び出す。因みに神楽は陸奥に浮き輪の空気を抜いてもらい出たそうだ。今はそんな事どうでも良いけど。
「死にさらせぇぇぇええ!!!」
教室を飛び出そうとしている総ちゃんを狙ったつもりだが、近藤さんにクリーンヒットしてしまった。申し訳ない。お妙に顔をボコボコにされ、私が止めに後頭部に机を当ててしまった…。生徒が移動し終えて静かになった校舎のとある教室。蝉は机から這い出し、白目をむいている近藤さんに張り付いて鳴き出した。
「……なにこの状況」
「……おはよう高杉」
まさか高杉が朝に学校に来るとは…。だから浮かれすぎだっつの!
「このゴリラはほって置いて、さっさと体育館に行こうぜ」
「おぅ」
「あー…明日から夏休みだー…」
敢えて近藤さんを踏みつけて私達は出た。隣では高杉が背中の筋を伸ばしている。私は「そうだね」とだけ返して、静かな廊下を歩いてた。
今年はやっぱり宿題は少ない。そう思いながら剣道場へと向かった。校長の長ったらしい話を終えて、教室に戻れば坂田先生が団扇で扇ぎながら成績表と宿題を配ってくれた。表紙には「夏休みの恋人」と書かれてあった。……なにが恋人?
その日は午前中だけで早々と終わり、あっという間に部活の時間になった。
「夏休みなのに宿題があるって酷いねー…」
「うん。…でもやっぱり受験生だから量は少ないね。自分の勉強をしろって事かなぁ?……山崎君は志望校決めた?」
「何校かはね」
途中で合流した山崎君と剣道場に向かいながら、ほんの少しだけ受験の話をした。「ハルちゃんは?」と聞かれて、即答は出来なかった。ちゃんと考えなきゃなーと思いつつ道場に足を一歩いれる。上座には「地区大会勝ち抜き、全国大会優勝」と書かれてある紙が張られてあった。立派な字だ。
「あ、夏目先輩、山崎先輩こんにちはー」
「こんちはー」
「こんにちは!」
後輩達の挨拶に応えながら、もう着替えて竹刀の手入れをしていた土方さんの近くに座った。
「何だか気合入ってますねぇ」
「ったりめぇだろうが。山崎、お前も竹刀の点検しとけよ」
「はいよ!」
竹刀倉庫に走って行った山崎君を目で見送って、私はまだ食べていなかったお弁当を広げた。全国大会。その文字がやけに目に入る。…私は、その為に頑張ってきたのだ。今年は最後の夏なのだ。
「ねー、副キャプテーン、近藤さんは?」
「…アブラゼミと戯れてる」
「マジでか」
真剣な顔つきで竹刀を念入りに検査する土方さんも、全国大会に向けて頑張ってきた。1年生の時に、先輩に混じり団体戦で全国に行ったのは今でもよく覚えている。その自信を、今大会に生かして欲しいと思う。
「………頑張りたいねぇ」
「…そうだな」
昼休みのようにはしゃぐ後輩たちみたいに、夏休みを喜ぶ暇は無い。
私が剣道をやり始めたのはいつだったか?年齢は覚えていないけど、きっかけはまだ頭に残っている。近藤さん、土方さん、総ちゃん。仲の良かった3人組が楽しそうに剣道をしているのを見て、私も興味がわいたんだ。そんな些細なきっかけで、私はここまでやってきた。初めて竹刀を握った感触、試合に勝った時の感動、負けた時の悔しさ。それも、まだ覚えている。
「次!交代!!」
昼のまどろみも程々に、部活が始まった。近藤さんの勇ましい声が響き渡る。面をつけていても、彼の声はよく剣道場に響く。係り稽古が始まって何分経つかは分からないけど、あまりの暑さにクラクラする。竹刀を持ち上げるのがツライ時さえある。けれどもっとしんどいのは、交代なしに固定されている近藤さんと土方さんだ。それでも2人の気合は始まった時のまま。声も、動きも、何もかも。
「あの2人、気合入ってますぜィ」
たった今終えた総ちゃんがそう教えてくれた。
「上等よ」
道場の気合の声や後輩の声援の中で私はそう呟いて、すれ違いざまに総ちゃんの胴を軽く叩いた。私に3回目の順番が回ってくるまであと2人。応援しながら緩んだ籠手(こて)を直していると、「おー、気合入ってんなー」という声が入り口から聞こえた。一応顧問である、3Z担任の坂田先生だった。
「(……ときめく暇すら無い…)」
こんにちは、と全員で挨拶をして先生の言葉を待った。
「俺が稽古つけてやるよ」
中々稽古に顔を出さないこの先生が、いつも放任主義であるこの先生が、強いくせに竹刀を握らないこの先生がこんな事を言ってくれるなんて…。
全国大会。
少しだけ、実感が湧いて、その重みを感じた。
初めて試合に勝ったのは、同じ道場の男の子にだった。籠手を1本。湧きだったあの道場。面を外せばより一層、その波は私を祝福してくれていた。
”やったな!”
私と同じぐらい幼かった総ちゃんがそう言ってくれた。汗まみれの顔で、私は満面の笑みだけ返した。そんな喜びを残しつつ、私はここまでやって来た。怪我が出来たって汗臭くなったって、構いやしなかった。そんなの気にする暇は無い。後ろを振り返る暇だって無い!
「よし、次は夏目か?」
面をつけて竹刀を握っている先生が、ただ1人試合場の中に入っている。1対1の試合。いつもの先生とは雰囲気が全く違って、思わず足が止まる。刺すような視線が、面金の向こうからでもよく分かる。……でも…。
「(……怖がる暇だって無い!)よろしくお願いします!」
一礼して、中に入る。
「よろしくお願いします」
先生の声は何だか凛としていた。今まで強豪の土方さんや総ちゃんを相手してきたとは思えないぐらい、疲れを感じられなかった。私が疲れさせてやる。意気込んで、互いに蹲踞(そんきょ)をした。
「始め!!!!!!」
審判である近藤さんの声が響く。同時に立ち上がる。先生の面ごしに見える文字。全国大会。私はそれに向かうように、先生の面を目指し大きく一歩を踏み出した。
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