きみがわらうとうれしくなる(2)
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風呂を出てすぐの事だった。
携帯の着信音が狭い部屋にけたたましく響き渡った。バスタオルで項を掻きながら適当に「もしもし」と出てみる。
「あ、こ、こんばんは。夏目です」
「あーー………コンバンハ…」
そうだ、すっかり忘れてた。
**********
先生もしかして電話かかってくるの忘れてたでしょう?
変な所で勘の良いそいつは電話越しに言った。
「覚えてたって」
「嘘だー…。絶対忘れてましたよ」
「…受験の発表日を間違えた奴にそんな事言われたくな…」
「そんな事ありましたっけ?」
「今日の出来事だよコノヤロー。俺をあれだけ走らせた罪は重い」
「良い運動になったでしょう?」
「(コイツはほんっとに……!)」
「で、先生、私、先生に伝えたい事があって電話してる訳なんです」
そんな事は分かりきっているが、改まった言い方に思わず押し黙った。
俺、緊張してんのか?いやいや、まさか…。
「合否の結果をお伝えしようと思いまして」
「そうだったな」
やっぱり先生、何で電話したか忘れてたんですか!
電話越しに夏目がキャンキャンと吠える。その声が耳に響いて、小指で耳掃除をしながら「あー?」と適当に返事をしておいた。
忘れてたのか、とよくもまぁいけしゃあしゃあと言えたもんだ。散々(色んな意味で)こっちを振り回しておいて、そう簡単に物事を忘れられるほど俺の老化は進んでいない。寧ろ、忘れるといった意味では子どもの方がよっぽど単純だ。今だってそう、夏目は何事も無かったかのように俺に対して振舞っている。
そんな風に言われてもちっとも嬉しくないですよ先生…
あの時の夏目の言葉が不意によみがえる。
"そんな風に"?俺は一体どんな風にして言葉にしていたのだろうか。怒りっぽく言っていたのか、それとも面倒臭そうに言っていたのか…、…なんにせよ、こいつを傷つけてしまっていたのだろう。
分かりますよそりゃ避けられてる本人ですから!
まだ10代の小娘に悟られるほど露骨に避けていた俺は、とてつもなくずるい人間だと思う。しかしそれはあいつの為だと言い聞かせ、
「私は…!」
「何で俺なんだ」
挙句の果てに、ハッキリとしない中途半端な言葉で更にあいつを傷つけた。
息が詰まったかのように立ち尽くすあいつを前に、俺だけが妙に落ち着いていたような気もする。
だって、全ては夏目の為を思った最善の対応だと思っていたからだ。教師として大人として、間違った事をしている訳ではないと心の底から信じていた。
夏目は俺の教え子であって、それ以上でもそれ以下でもない。
「…せ…、……い、先生ってば!聞こえてますか?」
「!お、悪ぃ、ちょっと電波が……」
「じゃあ明日学校で直接…」
「いや待て、今で良い」
あの時の夏目の声と、今の夏目の声の差にどうにも違和感があり過ぎる。油断すればあの傷ついた顔ばかりを思い出してしまう。未練タラタラ……と言ったら可笑しな表現だが、現に俺ばかりが夏目の事ばかりを気にかけている。
それが教師としての義務なのか、それとも大人としての責任なのか定かではない。
只分かるのは、彼女はもう、1人でもしっかりと頑張っている。
「今で良いから」
ごめんな、と謝るつもりは全くない。俺は俺で最善を尽くした結果があれなのだ。傷つけた事に対しては、夏目がまだ学校に居る間になんらかの形で返してやれればそれで良い。
「…………」
「………夏目?」
不思議な沈黙が続き思わず名前を呼んでみる。携帯独特のノイズ音を聞き続けること数秒間、鼻をすする音が聞こえたかと思えば、小さな小さな声が俺の耳に届いた。
「………しました」
「え?」
「…合格……しました」
一瞬「合格」という単語がどういった意味を成すのか分からないぐらい混乱した。脳の中を「合格」という伝達が駆け巡って駆け巡って、深く大きなため息が出たのはしばらく経ってからだった。全身から力が抜けて、ソファーに座り頭を垂れる、それから項をガシガシと掻いて夏目にかける言葉を探す。
合格。当然だ。こいつはちゃんと頑張ったのだ。
「おめでとう」
精一杯の気持ちを込めた言葉に、電話の奥で夏目が照れ臭そうに笑ったのが分かった。その声を聞いて、不意に俺までもが恥ずかしくなってくる。
「でへへへへ…」
「……もっと締まりのある笑い方は出来ねぇのかお前は……」
「いや、だって先生から褒められるのってそんなに無いから、なんだか恥ずかしくて…」
「そうかぁ?」
「そうですよ。先生は滅多に私達を褒めません!」
「そりゃ褒められるような事してねぇからな。特に剣道部は(生命粗末の事変参考)」
「う゛……!!!」
心当たりのあるそいつの言葉が詰まった。嗚呼、いつものやり取りだ。ようやく日常が戻ってきたような気がする。
何も教え子の受験戦争の日々を味わっているのは今回が初めてじゃない。Z組を受け持つ前にも、それなりに経験はしている。
が、夏目の様に屈折しっぱなしの、それでもって茨の道をトコトコと歩き続けた生徒は初めてだ。さしずめ俺は、歩いてきた赤ずきんに謀らずも茶々をいれてしまった狩人だろうか。
「……まぁ、とにかく、良く頑張ったな」
「はいっ!!」
「後は卒業だ。ヘタこいて単位なんか落とすなよ」
「イエッサー!!」
元気の良い返事に、小さく笑みがこぼれた。散々走り回って悲鳴をあげていた足の疲れも心なしか取れたような気がした。
電話を切った後、合格という言葉の余韻に浸りながら天井を仰いだ。どういった感情の変化かは本当に分からないが、体が軽くなったのは事実。まさか1人の生徒の為に、これ程まで頭を悩ませるとは思わなかった。
明日はきっと満面の笑みで登校してくるのだろう。ニコニコ笑って、クラスメートに祝福されるのだ。ありがとう、と一つ一つに礼を応えていくあいつが、俺に対しても笑顔をくれるのなら、それだけで充分だと思えた。
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