振り出しの目
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悶々悶々悶々と……ほんっとに、やってらんねぇ。俺の貴重な休日を返せコラァァァアア!!!
スクーターをぶっとばしながらそう叫んだ。一斉に視線を集めたがそんなもん知るか。取りあえず何処の誰でも良い、俺の土日を返してくれ。悩むのはガラじゃないし、どこかに落ちている答えを見つけるべき問題じゃない。そもそも俺の悩みには答えがない。ただ、夏目という生徒に関して、俺が勝手に考えすぎて苦しんでいるだけだ。
土曜日があっという間に過ぎ、日曜日もあっという間に過ぎ、そしてやって来てしまった月曜日。生徒が徒歩や自転車で登校している様を見ながら、今日は遅刻しないで門をくぐれた。Z組の顔もチラホラ見えたが、そこに夏目の姿は無かった。今日ももしかして熱で休みなのだろうか…?有り得ない話では無い。体は弱い方ではないけれど、一介の女子高生に受験と失恋が同時に降りかかれば、本人は何事無く振舞えても体と心が悲鳴を上げるだろう。せめて、今日は登校してくれたら、俺の罪悪感も少しずつ薄れていくんじゃないかと考えているあたり、俺はとてつもなく汚い大人だろう。いや、これはもー何回も言ってるけど、今回の事に関しては俺が悪い訳じゃないからね!?断じて俺だけのせいじゃないから!
……かと言って夏目が悪い訳もない。そうだ、誰が悪いとかではない。
だとしたら、今回は時間が解決してくれるのだろうか。俺が土日をあっという間に感じたように、これからのZ組との時間もあっという間に過ぎれば、そうだ、卒業だ。あいつ等は、もうこの学校から居なくなってしまうのだ、担任の俺を残して。
「(あーヤダヤダ。朝からこんな辛気臭ェこと)」
そもそも卒業の前にテストの事を考えなければいけない。いい加減テスト問題を作っておかないと後が大変だ。文化祭も控えてるし、やる事をさっさと終わらせておかなければいけない。ガキじゃあるまいし、いつまでたってもウジウジとはしてらんねぇ。
スクーターをいつもの場所に止めて、職員玄関で靴を履き替えて、朝でもヒッソリとしている廊下を歩き職員室へ。ガラリとドアを開ければそこはまるで別世界、朝で忙しそうに賑わう声が一気に鼓膜を震わした。今日も1日始まったのだと感じざるを得ない。
Z組の出欠簿を取って、ロッカーから取って来た白衣に袖を通し、そのポケットに適当にペン等を突っ込む。
いつもの一連の流れだ。毎朝毎朝してきた事。それから教室に行って、出欠とって、1時間目に担当の授業があったらそこに行って……。んで放課後になって、定時がくるまで適当に仕事して、飲み会行ったりまっすぐ家に帰ったり、毎日繰り返した生活をここ数年送っていた。
そんな日常の中にもの凄い衝撃を残してくれた夏目、お前の偉業には先生は拍手だわ、スタンディングオベーションだ。
どとことなく重い体で3年の階まで目指す。チャイムが鳴るや否や廊下でくっちゃべっていた生徒達は教室に引っ込んだ。そこを堂々と歩きZ組のドアを開ければ、職員室に負けず劣らずな賑わう声。週末明けだというのに元気な姿。若さとしか思えない。
このクラスでは未だに紙ヒコーキが流行っているのか、教室内を飛び回るそれに当たらないように教卓へ行き、出欠簿を開いた。さてさて、今日の欠席者は…。そう思いながらペンを握り教室を見回した。
空いている席は一つもなく、無駄に元気の良い教え子の姿が視界に入る。
「先生、今日こそはテスト範囲を教えるアル!」
「残念でしたー、テスト問題も作ってないから範囲も何も決めてませんー。寧ろ誰か俺に現国の範囲を教えてくれ」
「オイィィィイ!!!」
朝から張りのある新八の突っ込みに感心しながらも、欠席者0と書き込んだ。
「でね、そんな事があったらしいよ!」
「あぁー…?……んな事ぐらい、いつでもあんだろ…」
「いやいや、そんな腹の立つお客は滅多に居ないと思うけど?」
賑わう教室の中、とある生徒の弾む声を聞いた。バイトに関しての話をしているのか、Z組で唯一のマグロ漁経験者と評判の隻眼男と話している。まぁ本当にマグロ漁を経験したかどうかは置いといて、見た目近寄りがたい雰囲気を持つ高杉とも砕けた話し方が出来るアイツは本当に凄い。…と、毎朝実は思っていたりもする。
「高杉ならぶっ飛ばしちゃうんだろうね」
「ったりめーだ」
「停学になっちゃえば良いのにね」
「あ゛ぁ?」
「ゴメンナサイ冗談デス」
あはは、と笑った夏目に高杉がフンと鼻をならす。その様子を知らず知らず見ていたらしく、笑っていたそいつと自然に目がかち合ってしまった。授業中ですら何とか目を合わさないようにしていたというのに、朝っぱらから合ってしまうとは……いや、別に合ったら駄目だという自分ルールはないけれど……。
ペコリ。
小さく頭を下げた夏目を見て、何故か自然にため息が出た。空中を縦横無尽に行き交う紙ヒコーキを出欠簿で振り払いながら、足は迷う事なく夏目の机に向かい、少し驚いたような顔をするそいつの前で止まった。出欠簿で肩をトントンと叩きながら、久しぶりに会ったような感覚に思わず苦笑い。キョトンとした顔をしてくれちゃって…。こちとら、土日を返せェェエエ、と町中で叫んだ程考え尽くしていたというのに…。
その苦笑いのまま「オハヨウ」と言って見れば夏目はまた小さく頭を下げた。
「面接、どうだった」
夏目の性格からして、きっと出来は俺に報告してくる筈だ。お世話になったから報告はしておかないと、と思う律儀な生徒というのは分かっている。それでもあの一件を気まずく思い、行きたいけど行けない!なんて心情が生まれていたら、これからのテストに響く恐れがある。
俺は、これ以上こいつの心に何か重いものを残していくのだけは御免だ。
「あ、えと、何とか無事に終えれたと思います!」
まだ少し鼻声だったけれど、顔色は普通だった。それを見てホッとしたのは、純粋に生徒を心配した担任の俺ではない。散々悩み尽くした、只の大人としての汚い部分だった。
「ありがとうございました!」
にっこり、と、効果音がつきそうなぐらいの笑顔に、言葉につまった。
俺は、特に何もしてやった覚えはないけれど。
出欠を取り終わって職員室へと戻る途中、フと夏目に付き合ってやっていた放課後の時間を思い出す。
――先生ッ!書けました!
笑顔、笑顔、笑顔。あの教室でのアイツは俺が見た限りほぼ笑顔。だからこそ、あの泣きそうな顔が響くのだ。
それでも、夏目は俺の望み通り笑ってくれていた。どんな心境だったかは読めなくとも、色々複雑だっただろう。
ありがとうございました。
さっきの一言より、たった一度の笑顔でどれだけ俺の汚い部分が救われただろう。
きっと夏目はそんな事は知らない。そこまで頭の良い生徒ではない。だから、純粋な笑顔に他クラスの男子生徒が寄るのだろう。願わくば、その中にアイツを幸せにしてやれるような彼氏候補が居てくれますように。それが若さに振り回され中のオッサンのせめてもの願いな訳であって…。
劇のヒロインは夏目で決定か……、とぼんやり考えながら、職員室へと戻るべく階段を下った。
ありがとう、なんて、俺が言われる資格なんてあっただろうか。
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