知らぬが仏
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昨日、眠るのが遅かったのがいけなかったのか。
それとも疲れがたまっていたのか。
とにかく、自分を守るだけの理由を考えるのに疲れた銀時は、信号が青になるや否やスクーターを走らせる。そして走りながら欠伸。
蒸し暑い残暑がまだしつこく肌に纏わり付く今日の朝。
銀八、特に珍しくもないが、寝坊。
「という訳でお前等の大好きな銀八先生は遅刻で、朝のSHRには間に合わないらしい」
「先生別に僕たち銀八の事は大好きじゃありませーん!」
俺もその意見には賛同します、とネクタイを緩めながら代理の服部が言った。
学生ならば寝坊で遅刻なんてありふれた朝の光景であり、反省文の1枚ぐらいか無罪で終わる。だが如何せん教師ともなれば、罰がどうのこうのというより、恥ずかしい。今となっては元・顧問であるが、銀八の寝坊を聞いて土方は呆れ顔で肘をついていた。
「じゃあ今日のZ組は朝のSHRは無し。移動教室ならとっとと行け」
「どうせなら銀八ずっと休みで良いのに」
最後の最後で出てきた沖田の辛辣な言葉の気配を読み取ってか、ようやく学校のすぐ傍の道までやってきた銀八が風を浴びながらくしゃみを1つ。
1時間目が生物という事で、Z組は理科室に向かう準備を始める。
「あら、今日もハルは休みなの?」
移動教室でざわつく中で、お妙のその呟きは掻き消されてしまっていた。
**********
1時間目に自分が担当している授業がなかったのが不幸中の幸いか、9時過ぎ頃に学校に到着した銀八は、隠し切れない大きな欠伸をしながら職員室に入った。他の教師は既に出払っていてガランとしている。おはようございまーす、と誰に言うでもなく挨拶をした銀八は足音を立てながら自分の机に向かう。
教師という立場で遅刻したのだから、それなりに反省の色が見えているかと思いきや、椅子に座った途端に机上のプリントを端に押しやり突っ伏した。すると何処からともなく現れた服部が持っていた教科書でその後頭部を容赦なく叩いた。
「いってー……」
「お前遅刻した分際で何だその態度は」
「聞いてくれ友よ」
「誰が友だ」
「俺だって好きで寝坊した訳じゃねぇんだよ…」
「…」
「寝つきが悪くて中々寝れなくて……あー、昨夜は寝れなくて苦しかった」
「そりゃご愁傷様」
「もしかして風邪か!」
「安心しろ。バカは風邪なんかひかねーよ」
んだとコラ、という銀八の言葉は無視して、服部は口笛を吹きながら自分の机へ向かっていってしまう。その後姿を恨めしそうに眺めていた彼だったが、気を持ち直し軽く背筋をのばす。
2時間目がどこのクラスかを確認し、適当に授業の準備を進めてみれば不意に視界がグラリと歪んだ。
「(あり…?……本当に風邪か…?)」
気付かれないように何とか体を持ち直して、眼鏡をはずし目をこすった。ぼやけていた視界も徐々に光を取り戻しはじめて、ホッと息を吐いてみる。
寝つきが悪かったのは事実で、体調がそんなに良くないのも事実。その事に関して、銀八は自分の頭の容量の少なさに嫌気がさしていた。という事は、自分が今そういう状態にあっている理由をよく分かっているのだ。
そもそもの理由は、1人の生徒にあった。
最初の内は多少の罪悪感にイライラして、それが終われば自分の取った行動の正しさを自身で褒めてみたりして、長かったのはそれからだ。
その罪悪感やイライラの中心に立っている生徒について振り返ってしまったのがいけなかった。銀八の長い夜が始まる。
出会ったのは互いにいつだったか覚えていない。廊下で何度かすれ違った事はあるだろうし、全校集会の時にたまたま目が合った存在だったのかもしれない。
1回だけ喧嘩の仲裁をした事もあったが、その生徒は大勢居る生徒の中で特に目を引くような何かは無かった。
だからこそ、高校3年の春、出会った時に新鮮な印象を受けたのだ。曲者揃いのZ組の担任をまかされ頭が痛かった銀八の前に現れたのは、髪の短い1人の女の子。どっかで見た事ある顔だと思えば、滅多に行かない剣道部の部員である事を思い出す。
始業式で浮かれていた教室内で、彼女は肘をつきながらウトウトしていた。その様子をプリントを配りながら銀八が何気に観察していると、その視線に気がついた彼女が恥ずかしそうに下を向く。どこにでも居そうな普通の生徒。それが、個性の強いZ組で一際存在をアピールしていたのかもしれない。
様々な問題児がZ組に集められたのは、恐らくバカ校長と名高いその人のせいなのだろうが、抱えてしまったものは仕方ないと割り切ったのが非常に銀八らしい。よく知る面々も居たが、ここは最初らしく自己紹介を1人ずつしていこうじゃないかという話になった。ブーイングは起こったが、銀八だってそんな初々しい自己紹介など好きでもない。だが下校までの時間つぶしには丁度良いと思ったのだ。ダルそうに教卓にもたれながら、出席番号の小さい順からそれを促した。
全開の窓から、風と一緒に桜の匂いが届く。とても良い昼寝日和に、3年生の春がスタートした。
そして、彼女との出会いも既にスタートしていたのだ。
「夏目ハルです」
校内で何度か見かけた事のある顔。でもそれが何処だったか分からないぐらい、それは曖昧な記憶だった。彼女も、大勢居る生徒の内の1人。
その筈が、あの春から全て始まっていたなど互いに知りもしなかっただろう。
簡単に自己紹介をしてペコリと頭を下げた彼女に、銀八は軽く「よろしくねー」と返す。まるで小学生のようにニコリと笑う彼女の笑顔が印象的だった。
そこから普通に勉強して、どこかの大学に入り、卒業していくのかと思いきや彼女は思わぬ所で道を逸れ始めた。それでも、どうしてなんだ、と問い詰めてしまえばまた彼女が泣きそうになるのではないかと思い怖かった。
正直、人をフッてここまで思い悩んだのは彼女が始めての事に銀八は戸惑っていた。
今まで女に怒られた事もあれば泣かれた事もある、大泣きだってされた事もある。その全てが銀八のせいではない分、今回の件に関しては彼の責が重い。教師として正しい行動は取った、が、純粋に教え子を泣かす寸前に追いやってしまった事に関して罪悪感は疼いた。それこそいつも笑っているような生徒だったからこそだ。
「あー、情けねぇ」
たった1人の生徒に、ここまで頭を支配されるとは思っていなかった。
寝癖のついた髪をかきながら、服部がつけといてくれた出欠簿に手を伸ばす。ページをめくって今日の日付を見る。どうせクソ元気なあいつ等だから欠席者なんて居る訳ない、と思って見てみれば、1人の欠席者が居た。高杉か、と半ば決め付けながらも一応名前を見てみれば軽く目を見開かせる。
夏目ハル
今まさしく銀八の脳内を占めている生徒の名前が、そこにはあったのだった。
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