カウントダウン(4)
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
**********
「あんのクソ餓鬼め…!」
社会科の集まる机の方からそんな呟きが聞こえて思わず立ち止まった。
「おーおー物騒なこと言ってんのなー」
茶化して言ってみたつもりが、「うっせ!お前の教え子だろーが!」という言葉が返ってきた。あぁそうですか、Z組の生徒ですか、すんませんねどーも。心の中でそう謝罪しておいて、自分の机に戻りジャンプの続きを見ようとする。そしたら遮るように一枚の紙が、俺とジャンプの間を隔ててきた。それはつまり後ろにいるそいつが紙を俺の顔に当てつけてくる訳で……あまりにも近すぎてそれが紙という事以外全く分からない。
「……ジャンプ読みたいんですけど…」
「働け。まだ勤務時刻は過ぎてないぞ」
「かてー事言うなよ、後10分で終わりだろうが……」
ぶつぶと言いながらもその紙を取ってみりゃ、赤いペンで×やら○やらが書かれている何かだった。右上の方を見てみれば1人の名前が書いてあり、あぁ、よく知る人物の名前じゃないか。
「………夏目…?」
「そうだ、まともな人間ぶってるがやっぱりZ組の一員だよねと名高い夏目のテストだ」
どうしてこんなにテストの点数が悪いんだ、授業中寝てばっかだからか、こっちは補習までやってんのに、と背後から聞こえる恨み辛みは無視するとして、そのテストを思わずまじまじと見る。どうやら授業中に行った小テストのようなものらしいが、それは本当に夏目のテストかと疑ってしまうぐらい点数が悪かった。まー本当に悪かった。
「?現国は点数良いんだけどな……。あ、俺の教え方が上手いからか」
「死ねよ天パ」
「諦めろって。こいつは社会が苦手なんじゃねーのか?」
「だからってこの点数は何だ。俺への挑戦状として受け取って良いのか?そうなんだな?」
「おぉ、夏目はチャレンジ精神が旺盛だからな。まぁ追試でも再試でもかかってこいや、的な感じだろ」
「その前に勉強しろォォォォオオ」
虚しい叫びが放課後の職員室にエコーして響く。いやいや、それより俺はジャンプが読みたいんだって。そりゃ夏目のこの点数はミラクルだ、アホな男子が顔負けするぐらい見事な赤点っぷりだ。これが定期テストじゃなくて良かったなという励まし方しか出来ないぐらいの点数だが、それはどうでも良い。俺が教えている現国は常にトップを維持していて、授業態度はZ組の中では一番良い。6時間目という睡魔に襲われる時間帯であっても、夏目だけはせっせとノートを取ってくれているのだ。その姿には流石の俺も涙ちょちょぎれるね、ウン。
「大丈夫だって、きっと定期テストじゃ良い点取ってくれんだろ。じゃ、俺はこれから忙しいんで…」
「取りあえずジャンプを片付けろ駄目教師。担任のお前がそんなだから生徒もあんな風に育っちまうんだよ」
「んだとゴルァ。夏目はな、俺のせいであんな風に育ったんじゃねーよ。入学当初からあんな風だったよ。…え?どんな風だったっけ?」
「知らねぇよ!!!!この前もよ、面接の練習頼まれたからしてやったのに…」
「お、アイツ早速あの紙活用したのか…」
「出来としてはボチボチだったくせに、最後の方で『何か質問はありますか?』みたいな、基礎的な問いかけしてみたら『先生の痔の種類は何ですか?』って素で聞いてきちゃったよあの子。いやいやオカシイだろ、普通そこは俺を志望校の面接官と見立てての答えを言えよ。何で俺に対しての質問だよ、しかもデリケートなそこに触れんのかよ、どんな公開面接だよ!?」
「さっすが夏目、ナイスボケ」
「あれ絶対本気の目だったぞ!?本気で俺に質問してたぞ!?」
「で、先生の痔の種類はなんなんですか?」
「黙れやァァァア!!!!」
「やってくれる子だと信じてたよ俺は…」
「それは俺の心を抉る事か!?夏目はかんっぺきにお前の影響も受けてるな」
「失礼な!夏目は元々Z組気質を持つ生徒だったんだよ。だって考えてもみろ、あの破天荒な曲者揃いの剣道部の一員だぞ?まともに育つ訳がない…」
「今完全に教え子バカにしたよね?」
「断じて俺のせいではない!」
「その剣道部の顧問は?」
「俺だ!…あれ、俺じゃん」
「結局テメーが絡んできてんだよォォオ!!!」
それより先生、切れ痔ですか疣痔ですか、外に塗る派ですか中にスーッと注入する派ですか?黙れや天パァァァア!!!と、会話を交わしていると、あっという間に17時15分が過ぎる。となればもう帰れる。
「んじゃ、俺はそろそろ帰ろうかねー…」
「グーたらな担任を持ってZ組は可哀想ですねー」
「あの猛者達を教え子に持つ俺の方が可哀想だっつの」
「よく言うぜ」
最後に痔の教師はそう吐き捨てて、ようやく自分の机に戻っていった。俺はどうやら夏目の点数の悪さを嘆かれていただけのようで、俺にはあまり関係のない事だと思う。いや、だってさ、平常点にも入らねぇテストなんだろ?なら2点ぐらいでギャーギャー騒ぐ事はないと思う訳だ。…あ、ごめ、点数言っちまった。
まずは鞄に愛読書であるジャンプをいれて、それから適当に必要なプリントやら何やらを入れて席を立つ。勤務時間は過ぎたのだからいつ帰るのかは自由だし、基本この学校の教員は残業をしたがらない。金にもなんねーし疲れるだけだし、と良い事など一つもないので、自分の疲労に忠実になるべく続々と職員室を出て行くのだ。ケツに爆弾を抱えているさっきの教師だって早々と帰る準備をしているではないか。
「んじゃ、お先に失礼しますよーっと…」
誰も聞いちゃいねーだろうがそう声をかけて職員室を出れば、そこから先は若さ溢れる放課後の色に溢れていた。どこかくぐもって聞こえる吹奏楽の音に、体育館からはバスケットボールが弾む音…。6時間目が終わってからよくもまー動けるな、と俺は感心してみせた。そういやもうすぐでテスト前に入る訳で、一週間前になればどのクラブも停止期間が与えられる。この時間ならまだ稽古しているであろう剣道部にも、しばしの休憩がやってくるのだ。かと言って怠けずにテスト勉強をするのは学生の仕事。ぐちぐちと文句を言われる筋合いは毛頭無いのだが、思い返せば、Z組に居座るあの剣道組は何かと文句を言ってきたような気がする。ゴリラとマヨ中毒が率いていた当時の剣道組の意見は真っ二つに割れていた。
一つは、勉強も出来るしクラブも休めるし清々すらァ、と現実を受け止める奴。
残りは、何でクラブが休みになるんだゴルァ校長出せや、と体を動かしくてたまらないが為にテストという現実を見ない奴。
基本は後者に偏った。って言うか校長出してもこの停止期間は変わんないから、と俺は呆れて言ったのを覚えている。
――テストが何だ!クラブ停止期間が何だ!何故クラブを止める必要がある!
紅一点とは言い難い性格ではあったが、まぁ一応唯一女部員である夏目は後者の内の1人だった。それを今は聞かされる事はないのだから少し楽だ。クラブが絡むと普段は聞き分けの良い夏目でもやけに食い下がってくる。まぁそれ程本気だったっつー事は分かるし、それは何より最後の試合の時に痛感した。いつもは笑っている教え子が泣くに泣くもんだから、俺は内心柄にもなく焦ったもんだ。
たまにすれ違う生徒に、さよならー、と声をかけられる度適当に返事をして職員用下足場のある玄関を目指す。ペタペタとスリッパの音を響かせながら何処か寂しい廊下を歩いていれば、電気代節約だとかで明かりがついていないだけに、橙色の夕焼けがやけに強く差し込んできているような気がした。明日も晴れんのかな、等と考えながらフと窓の外を眺めれば、向かい校舎の一室によく知る人間が見えた。
「……んん?」
正しく言えば、その人間の阿呆な寝顔。
「何やってんだアイツ……」
ついさっきまで痔の教師に馬鹿にされ続けていた生徒が、図書室にある窓側の席で肘をつき目をつむっていた。あれは本を読んでいるのではない、決して。間違いなく寝ている。俺はそう確信した。
面接が近いっつーのに、呑気に学校で睡眠をとっている我が生徒の根性に恐れ入った。別に怒っているのではなく、ただ納得が出来た。呆れ返るというよりも、なんとも夏目らしい、といった具合に逆に小さく笑ってしまった。
元々器用な人間ではなく、沢山の事を一気に終わらせれるような性格ではない。それでも目の前に迫る事は一生懸命立ち向かうタイプなので、今のアイツの頭の中には受験の事で一杯なのだろう。その疲労が睡眠を誘ったに違いない。図書室で何をしてるのかは知らないが、あのままでは誰かに起こされるまで寝続けそうだ。
「(ったく……何やってんだか…)」
早く家に帰ってジャンプは読みたい。…読みたいっちゃ読みたいが、このまま帰るのは後腐れが悪いような気がしたのだ。どうせ誰かに起こされるぐらいなら俺が起こしてしまえ、と。
そう思って向かい校舎に続く渡り廊下へと足を向ける。一歩、また一歩と誰も居ない廊下を歩いていけばさっきより図書室がグンと近くになる。ここからもまだ見える教え子の寝こけている姿に知らず知らず口元を緩めた途端、俺の足が急に止まる。誰かに止められたのではない、間違いなく、俺が歩くのを止めたのだ。でも不思議なのは、止めた張本人が何故止めたのか分かっていないという事。まるで行くな、とでも言うようにその場から動こうとしないのだ。
目線の先には眠り続けている夏目の姿が窓越しに確認できる。俺は只そいつを起こすだけじゃないか。起こして、それから帰ってジャンプを読めば良い。それの何がいけないのか、俺の脳に訴えてみた所で足はすくむように動かなかった。何だ、夏目を起こすのはそんなに罪な事か、俺の親切心はいらねぇってかコノヤロー。
夏目ならきっと俺に感謝するに決まっている。うわぁもうこんな時間ですか先生起こしてくれてありがとう、とか何とか言って笑うに決まってる。んなもん、担任の俺がよく分かってる。口をほんの少し開けて、今にも崩れて机に突っ伏しそうな体勢を見られて、恥ずかしそうに笑うに違いない。夏目ならきっと……。
「…うん…?」
自分が勝手に考え出した想いフと疑問を抱く。
何が、"きっと"?
そんな事分かりきったものではない、どこからそんな自信が出てきて迷いもなく思えるのか。この自信は何なのだ。それを強く感じた途端、今度こそ足は動く気配すらない。
俺の視線の先には相変わらず夏目が眠りこけている。表情の細かい部分までは見えないが、ぼんやりと分かるのは暖かい夕焼けに包まれて安心しきっているその寝顔。どうせ笑っているかのように寝ているのだ。たったそれだけの事。自分の教え子が寝ていて、もう5時も回ったから起こしてやろうというだけ。それだけ…。
なら何だ、この突っかえは、どうして俺の足は動かない。
そうこうしている内に、カクンと首を落とした夏目が眠そうな目つきで顔を起こした。ダルそうに目をこすり、それから携帯で時間を確認したのか慌てて帰宅準備を始める。そして、あっという間に俺の視界から消えてしまった。そうすれば、足にかかっていた魔法が解けたのか、あれだけ難しかった一歩が踏めた。
何だ、畜生め。
ここから見える図書室にはもう夏目の姿はない。放課後の人っ子一人居ない寂しい廊下で俺が立っているだけだ。
「……………」
もう図書室に用は無い。俺はすぐに踵を返して今度こそ玄関へと向かった。ここも電気はついておらず、これから訪れる夜を予感させるようにいやに薄暗い。暗く、重く感じさせるこの空間は、普通に家に帰ろうとしていた俺の胸に急に圧し掛かってきた。
いや、段々気付き始めた事を、思い出してしまっただけか。
――先生!
つい最近まで自分の午後の時間を使い、こんな風に夕暮れ時まで教室で付き合ってやっていた風景が頭によぎる。それと一緒に、嬉しそうに俺の代名詞を呼ぶそいつの姿も浮かんだ。
バカ。普通に女子高生してりゃー良いものを、お前は何でややこしくするんだ。赤点取ったり、クラブしたいと喚いてみたり、普通に学生生活を楽しんで卒業すればこれ以上の事はないというのに、本当に、バカ。
――先生!
夕焼けに顔を照らして、何も楽しい事をしている訳でもないのに、俺が顔を向ければお菓子を貰う幼子のように顔一杯に笑みをこぼす。そこに隠れる真意を、俺は気付かないように、出来るだけ見ないようにしていたというのに。
「(あれはもう"俺の勘違い"として飲み下した筈だったのに)」
2/2ページ