カムバック夏休み
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この夏が終われば冬がきて、そしてまた春が巡る。桜が咲いたその時は、3年生はまた新しい道へと歩いていってしまう。
教師はいつも置いてけぼり。
そんな連鎖を、銀八はもう何度も体験しては当たり前のように受け流していた。
部活に励む生徒の声が校庭から微かに聞こえ、生ぬるい風が職員室のカーテンを揺らしている。なんとも穏やかな放課後に、銀八は1人の女生徒を待っている間、机に片方の肘をつき頬を預けながら外を眺めていた。サッカー部が一生懸命ボールを追っている。
なんとも眩しい青い春が広がっているではないか。
はて、銀八はいつ頃からこんなに気だるげなキャラになったのだろうか。いつから、部活に励む生徒を見て「若いな」と思うようになったのだろうか。
「(って言っても俺もまだ若チャンだけど……)」
慰めるように心中呟いて食堂で買ってきたイチゴ牛乳のパックに口をつけた。甘い、春の味がする。
――えー、今日からこのZ組の担任をする事になりました、坂田銀八でーす。どうぞヨロシク
3年生という事もあり、特に初々しさなどなかったZ組との初対面。教壇に立ち、彼等の前に挨拶したのが昨日の出来事のように思われるが、実はそれはもう数ヶ月も前の事。そして後半年もすれば、彼等はまた別の道を歩いていってしまう。
「(教師はいつも置いてけぼり…か……)」
ジュルルーと勢いよくジュースを吸い込んで、空になったそれを見事に数m先のゴミ箱へ投げ入れた。
数人しか居ない放課後の職員室、銀八の机には一枚のプリントがあった。そこに表記されている名前は夏目ハル。今は、彼女を待っているのだ。
第一希望 なし
第二希望 なし
「なし」という言葉を見て何度ため息をこぼしたか分からない。曖昧でも良いから書いててもらわねば教師の出番などなく、かと言って先の見通しが分からないまま卒業させる訳にはいかない。
銀八は、3年の担任を持つのだけは嫌だった。
――…、……です。これから一年間どうぞよろしくお願いします。
そんな風に挨拶されたのはいつだったか。
「す、すいません遅れました……!!」
再び外を眺め始めた時、飛び込むようにして待ち人であった彼女がやってきた。心無しか息は荒く、まるで急いできたかの様子。
「そんなに急がなくても……ま、良いや。隣に座れ」
「や、だって急ぎますよ普通。結構待たせちゃったんじゃ……」
「ダイジョーブ。特にする事無かったしなー」
それ教師としてどうなんですか、という彼女の突っ込みは見事にスルーされる。
取りあえず隣の椅子に座らせて、置いていたプリントを拾い上げてまじまじと見る。「なし」と書いた生徒はまさしく彼女。今は夏の終わり。もう卒業まで時間などない。
「……で、夏目サン」
「はい」
「まず約束」
「?」
「この前のように元気よく逃走しない事」
「は…はーい……」
冷や汗を出しながら居心地悪そうに視線を逸らす彼女に小さく口元を緩めながら、また肘をついてプリントを眺める。そうすれば正面に座っている彼女がどんどん縮こまっていくのがプリント越しに分かった。
「(だから別に怒ってる訳じゃないんだけどなー……)」
夏目は高杉のように無茶なやんちゃ(喧嘩)等は一切しない良い生徒だが、進路の話になると別。夏休み前から銀八を避ける時があった。その時は決まって進路の話をしている時。何が彼女の逃走心を駆り立てているか分からないが、恐らく、全く決まっていないその旨を話すのが嫌なのだろうと銀八は思っていた。
責任感の強い彼女だから、18歳としてやるべき事考えるべき事を怠っている自分を恥じているのではないか、と。
夏目はまだウロウロと視線を彷徨わせていた。銀八のその思惑はあながち間違えではない。それでも、彼女が言い出せなかった事は他にもあった。
「(それにしても……)」
それにしても、彼女のこのビビリ様。まるで銀八が今から尋問にでもかけるかのようだ。
やれやれと言った風に銀八は小さくため息をつき、それから進路の紙を机の端に置いた。その以外な行動に彼女の目がようやく銀八を捉えた。
「昨日」
「はい?」
「学校来なかったろ?」
途端に彼女から汗という汗が噴き出て「アハハ…」と乾いた笑みをもらし始める。
「マ…マグロ漁に行ってて…」
「ほー……」
「……」
「……」
「……スイマセン嘘つきました」
「素直でよろしい。…で、本当の理由は?」
「…ま…松茸狩りに行ってて…」
「嘘に嘘を重ねんなァァァア!!」
しかも今松茸の季節じゃないよね!?そんな銀八の突込みが止めとなり彼女の言い訳を塞いだ。そして観念したように項垂れ、か細い声で「サボりました……」と白状した。ようやく本当の理由がでた所で銀八は欠伸をこぼし、なら良かった、と突拍子もないことを言う。
「はい!?」
てっきり怒られるものだと思っていた彼女は目を丸くさせてよく分からない事を言う自分の担任を見た。しかしそこにはいつも通りの銀八が自分を見ているではないか。
伊達かどうかも分からない眼鏡の奥で、銀八にしては優しげに目を細めている。
「体調崩したのかと思って」
「!」
「サボりなら健康体そのものだな。それならけっこうけっこう」
サッカーボールが跳ねる音がほんの少し職員室にまで届く。それでも程好く聞こえるぐらいで、当たり前に銀八の声だけが彼女の鼓膜を震わせた。
「(先生はズルイなぁ。いつもこうやってサラッと優しい事言うんだもん……)」
言った本人は今の言葉がどれだけ彼女の恋心を加速させたか知らないだろう。夏の火照りとはまた違う芯からくる熱さが体を巡り、彼女はまたどうしようもなく視線を逸らした。外で無邪気にボールを蹴っているサッカー部員が見えた。
――大丈夫だ。
フと父親の声が頭をかすった。
自分はただ、外を走り回っている部員のように我武者羅に頑張ればいいのだと知った。複雑なことを考えるのが苦手なら、なりふり構わず頑張れば何かしら見えてくることも知った。
まだ18、されど18。
銀八が考えても分からなかった彼女の逃走心の本意はそんな責任感からくるのもあったが、本当はもっと単純。