カムバック夏休み
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決戦は職員室。
そんな文字が彼女の脳裏に浮かぶ。
「失礼しまぁー…す……」
ヤル気の無い掛け声と共にするりと職員室に入ってきたのは夏目。把握済みの担任の机にまで行けば、そこには白衣の似合う銀八が待ち構えていた。、
だがしかし胸をときめかせている場合ではない。
決戦は職員室、である。
「おぉ、来たか。まぁ座れ」
「はぁ…」
「………で、夏目サン」
「はぁ…」
気の抜けた返事しか出てこない。割と賑やかな職員室の中で、銀八の真剣な横顔がどこか場違いに思えた。見ているのは恐らく進路希望書。
「もう8月も終わるよな?」
「そーですね…」
「……進路は決めれたか?」
「そーですねぇ…」
「先生も好きで焦らせてる訳じゃねぇぞ」
「そーですねぇ…」
そんな事、よく分かっている。いつまでもウダウダしている自分が一番悪いという事を、彼女自身よく分かっているのだ。
それでも高杉の言う1歩が踏み出せないでいた。
将来に関わる大切な事だというのもよく分かっている。
親とも話し合わなければいけない事もよく分かっている。
それでも心の何処かで"反対されたらどうしよう"という途方のない悩みがやがて、自分を臆病にしていくのを彼女はこの夏体感してきたのだ。
眼鏡越しに銀八の目が向けられる。嫌な意味で彼女の胸がドキリとなった。
「夏目」
「な……何でしょう」
「…お前ホントは行きたい学校決まってんじゃねぇの?」
「ど、どうしてそんな事…」
今の今まで騒がしかった職員室の音が遠のいた瞬間であった。まるで銀八と二人しか居ないような空間に、彼女は自分の心音が聞こえてしまうのではないかと思った。
「いや、だってお前は……」
銀八という男を担任にもって、それから好きになった身としては、周りの生徒よりかは彼の事を夏目は知っているつもりである。
ダルそうな雰囲気だが、やる時はしっかりやる。そんな彼が実は教師向きの性格を持っていて、何よりもクラスメートの事をしっかり見ててくれているという事も、よーく知っていた。
その見透かしぶりが、彼女は怖かった。
何を言われるか見当もつかなくて、突如立ち上がってみれば彼の言葉も止まる。周りの音もようやく耳に戻ってきた。
「し、失礼します!!!」
「はぁっ!!!?あ!オイ!ちょっと待て!!」
しかし彼女は聞く耳持たず、脱兎の如く職員室を飛び出した。
何度も肩からずり落ちそうになる鞄を気にしながらも超特急で下駄箱まで走り、履き替えるや否や自転車置き場までその足を緩める事はなかった。
そしてそのまま華麗に自転車に飛び乗り、自身がスカートである事も忘れ豪快な立ちこぎを以てすれば自宅まで数分という快挙を成し遂げた。もちろん玄関先で酸欠で倒れる事となる。
「ぜーはーぜーはーぜーはー」
「あらあらお帰りなさい。随分急いで帰ってきたのねぇ」
「あ、おか…さ…はぁはぁ……ただいま……ゲホッ……」
「早く着替えてきたら?お隣さんから美味しいお菓子を貰ったんだけど、貴女も食べる?」
「ぜ、是非とも頂きたく、ぜーはーぜーはー」
マイペースな母親に言われた通り拙い足取で部屋に戻り、絶え絶えの息を整えながらラフな服へと着替えていく。
心の中には、多少なりとも罪悪感というものがあった。わざわざ時間を作ってくれた銀八を振り切り脱走してしまったのだ。相手が相手なだけに、盛大なため息をついてベッドへ倒れこんでしまった。
――…お前ホントは行きたい学校決まってんじゃねぇの?
「み、見透かされている……!」
改めて銀八という人間の恐ろしさを知った。あの男は何も分かっていないようで、実は分かっているのだ。彼女は口をつぐみ、ゆっくりと起き上がった。
いつまでも逃げている訳にはいかない。言い分けにしていた部活だってない今、彼女はしっかりと自分の未来に向き合わなければいけないのだ。
「お……おかーさん…」
「んー?」
恐る恐るリビングのドアを開けてのぞいてみれば、台所で何か食材を切っている母親の背が見えた。優しいいつもの声つき。全てを許してくれそうな声音に、彼女は不意に最後の合宿に出かけたあの朝の日の事を思い出した。
あの時から本当は心の中では決まっていた。形はボンヤリとしたものだったが、それでも、小さな想いはあった。
「……」
「どうしたの?早く入ってらっしゃいよ」
促されるまま部屋に入り、落ち着かない様子でソファーに座りクッションを抱く彼女を見て「どうしたの」と母親が笑う。
「あの……ですね…」
「うんー?」
リズムよく聞こえる包丁の音に乗せながら、彼女は最低限聞こえる音量でゆっくりと話し出す。
「…わ……私……」
「んんー?」
わざわざ手を止めた母親はその手を一度洗い、言葉を濁す娘の隣に座る。
バツの悪そうに視線を泳がしている彼女をどこか愛おしそうに見ながら焦らず言葉を待つ。
「えっと……」
「…ハル?」
「……へぃ……」
あやされるように名を呼ばれる。結局目もあわせられずに縮こまる彼女を見て母は遂にクスクスと笑い出す。息を切らして帰って来た時は何事かと思ったが、何となく雰囲気的に何を言わんとしているか分かるのだろう。それは、母親としての勘…と言うよりも自信なのだろう。
「母さんね、高校を卒業してからどんな進路を選んだか知ってる?」
「し、知らんです………って何で急に進路の話を…!?」
「え?だってその話をしようとしてたんじゃないの?」
「(続・見透かされている……!!)」
母親は彼女の反応を見て楽しんでいるのか、終始ニコニコしながらエプロンを取ってふぅと一息ついた。
「ハルに、教えてあげる」