一歩を踏んで
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ちょっと今年の夏の暑さは異常ではないだろうか?
そんな事を思いながら夏目はウダウダと過ごしていた。昼下がりの今、気温はきっと一番の高さを誇っている。こんなに人間を苦しめて何が楽しいんだ太陽め、と悪態を吐いてみるものの夏は暑いものだ。彼女もそれはよく分かっている。
だがクラブが終わって家に居ると、夏の暑さというのが改めてよく分かったような気がするのだ。
暑いからこそ動いた方が良い。
それは体に染み付いている彼女自身の悟りだ。
「アイス……アイス買いに行こう……」
夏休みの宿題をそれなりに済ませ、日傘もささずに自転車に跨ったのは若さ故。元々日差しの恐ろしさを彼女は知らない。あづー…、と低く呟きながら逃げ水の見える道を延々と漕いでいた。歩いている街の人たちが皆汗を拭いている。地面から何かが沸き立っている。
「暑い……暑すぎる……」
8月も終りに差し掛かり、夏休みなどきっとあっという間に終わるのだろうが、明後日には登校日というイベントが待っていた。何が登校日だ、こんな夏真っ盛りに登校させて何が楽しいんだ。世の学生達の代弁を、彼女は心の中で言ってみせた。
自転車で数分走り出せば、そこには一軒のコンビニが見えてくる。夜に小腹がすいた時はよく母親と世話になるその店に入ってみれば、想像していたより寒い空気が晒している腕に纏わりついてきた。
「ノースリーブで来たのは失敗かも…!!」
かいていた汗が一気にひいて、足早とアイスを選びレジに急ぐ。店内には客は居らず、だからか余計に寒く感じた。人口密度が無いというか、こんな暑い日にわざわざ出てアイスを買おうという人はこの街に居ないらしい。用事は夜に済ませよう。そんな印象を持ちながらも、財布をポケットから取り出して向かった先には、どこかで見た事のある人間が立っているように見えた。
「あれ?幻覚が見え始めてきたぞ…?」
目を何度もこすってみるが、視界がぼやけただけであって目の前に立っている人物の顔は根本的に変わらない。「あれ?幻覚が消えないぞ?」と少々危ない発言をしながら彼女が目を擦っている間にも、その人物はピッピッとバーコードを機械に読み込ませている。
「105円。…オイ、さっさと払え」
「おかしい、幻覚が消えない」
「いいから払え」
「幻聴も聞こえ始めたぞ」
「聞こえてんじゃねーか……払え」
「絶対に無いはずよ、だってコンビニでバイトしているようには見えないもん」
「アイスは温めましょうか?」
「温めるなアァアァア!!!!!」
投下されたボケに対し突っ込んだ事によって、ようやく彼女はこれが現実であると認識する。風紀委員によく注意されている茶色の髪、寧ろアクセサリーと化してきている眼帯がよく似合うその人物は、彼女のクラスメートの高杉晋助であった。ふてぶてしくレジに立っている姿が逆に似合って見えてきた。
「ちょ、ちょっとまって高杉!アイスは"温めますか?"って聞く対象じゃないよね!?」
「お前限定で温めろ、ってマニュアルに書いてた」
「何のマニュアルよそれ!!」
がちゃん。
「ちょっと本当に温めないでよオォオ!!」
彼女の抵抗が必死に続いたので、一度レンジに入れられたものの金を急いで払い、何とか無事に購入する事が出来た。
「ありがとうございましたー」
「(高杉が働いてるなんて知らなかった…!来る時は慎重に来よう…!!)」
夏休みに出会ったクラスメートのせいでドッと疲れた彼女だったが、外に出ればまた太陽に浴びて体に疲れがたまっていく。折角冷たいアイスを買いに来ただけだというのに、これでは家でじっとしてる方がまだマシであった。早く部屋の冷房を直してもらおう、と強く誓いながら自転車に跨った時「夏目」と誰かが呼ぶ声。素直に振り返ってみるが、顔は嫌々というのを前面に押し出していた。だが呼んだ本人は動じない。ニヤリと笑って手招いた。
「何よ」
「何怒ってんだよ。やっぱホットアイスにしときゃ良かったって思ってんだろ」
「何よホットアイスって!?どう頑張ればホットとアイスが融合するのよ!」
「そうカリカリすんな。お前に良いもんやる」
「は!?…っていうか高杉レジ離れて…!?」
「あぁ、俺もう上がり。今日はこれで終わり」
「あ、そう………うわっ!ちょ、自転車のカゴを引っ張るな!!」
「こけたくなかったらさっさと降りろ。そして来い」
「(何で命令系なのよ…!!)」
暑さからくるイライラと自分の思い通りに事が進まないイライラでどんどんふくれっ面になる彼女。アイスを買ってすぐに家に帰って、少し溶け具合になったそれをテレビを見ながら食べよう、ついでに扇風機を回そう!そう考えていた夏の1日は高杉という男によって見事に壊された。それは完膚なく。抵抗したとて力の差は歴然としていて、気がつけば彼女は狭いスタッフルームに連れてこられていた。ここは店内と違い程好い気温だが、所狭しと置かれている品物のダンボールが今にも倒れてきそうで少し怖い。パイプイスに座らされ、目の前の机に置かれたのはスポーツドリンクだった。
「は?」
「飲め」
高杉は高杉で何かを飲んでいる。体が火照っている時にこの飲み物は有難いが、相手は高杉、これを飲んだ後一体どんな見返りを求められるか分からない。同じ高校に居る仲間だからこそ彼の性格をよく分かっているのだ。
「まさか倍でお金を取る気じゃ…!?」
「俺はどんだけ悪人だ。やるよ、それ」
「……良いの?」
「ここでバイトしてたら何でも食べ放題飲み放題だからな」
「いや違うよね、それ絶対違うよね。その判断はきっと高杉クンの独断ダヨネ?」
「でもマニュアルに…」
「だから何のマニュアル!!?」
高杉こそ幻覚見てるんじゃないの、と強く言っておきながらもドリンクを取った彼女は勢いよく飲み始める。飲んだ後プハーッと息を吐いたのを高杉が見て「可愛くねぇ…」と呟いたのは内緒である。
「高杉も良い所あるんだね」
「俺は善人だからな」
「え?何か言った?ごめん、聞こえなかった。ゼンマイが何って?」
「聞こえてたろ。絶対に聞こえてただろ」
金取んぞコラ。勘弁して下さいー!
二人しか居ないこのスタッフルームというのは何とも不思議で、夏目からしたら私服姿でもなく、バイトの制服を着た高杉と居るのが不思議な感覚であった。クラブも無いし、学校が無い今では会う人物は中々居ない。この前の沖田の誘いさえ断ったのだ。
「……この夏休みはバイト三昧だったの?」
「おー。…お前は?」
「私は宿題しかしてないなー…」
「見せろ」
「嫌よ、自分でやって。それか総ちゃんに見せてもらって」
「アイツが素直に見せるかよ…」
「確かに」
「……バイトしねぇの?」
「うんー……考えてないなぁ。何も考えてないよー」
バイトも、進路も。
敢えて口にはしなかったが、この頃常に心にある問題を思い出し、飲んでいるドリンクが一気に酸っぱくなったような気がした。喉を通る度に気持ち悪い。そんな彼女を見て、今までコンクリートの壁にもたれていた高杉が不意に背を離す。そして隅に置いてある小さな冷蔵庫からゼリーを取り出し、また彼女の前に置いた。何ですかこれ、と言いたげに見てくる彼女にやはり高杉は詳しく説明せず「食え」とだけ言う。不思議と隻眼が恐ろしく見えなかった。
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