焦りの合唱
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でもそれを実は親に話した事は無くて、坂田先生だけが知っている事なんじゃないかと思う。3年生になりたてだった頃、進路志望先を書かなきゃいけなくなって、私はその夢を躊躇いながらも書いたものだ。それに書かれた単語を見た先生は「理由は?」と聞いてきた。楽そうだから。ピシャリとそう言った私に最初は呆気に取られていたけど、次には軽く笑っていた。その職業はホントは大変なんだぞ。その言葉と向けられた笑みに、私はこれから始まる私の1年間に期待と不安を初めて持った。
坂田先生かっこ良いなぁ…。
(いやいや何思ってるのよ私は…)
私が目指そうとしてる夢はそんなに大変なもの?
(大丈夫かな……)
「(思えばあの時に初めてかっこ良いって思ったんだっけ……?)」
それから何度か先生と進路について話した事があった。4年間も勉強出来ないと睨んだ私は短大に行く事を決めているけど、でもそれしか決まっていない。短大と言ってもそこで何を勉強するかが重要なのだ。また2年間も勉強しなきゃいけないんだから、ただ学校に通ってのらりくらり過ごすだけの日々は、授業料を払ってくれる親に申し訳なく思ってしまう。
「(ちゃんと進路決めなきゃ……)」
学校の進路相談室の前に置いてある短大の資料は端から端までもらって来た。でも大抵が目を通しただけでゴミ箱に捨てられていくだけで、パソコンで検索しようと思ったって目標がまだあやふやな私はすぐに脱線して、関係のないサイトを開いてはただ時間を潰していた。
「(洗濯物……そろそろ取り込もうかな……)」
昼間よりかは音量の下がってきたセミの声に心を落ち着かせながらも、頼まれている家事の事を思い出す。でも面倒くさくて動く気にはなれない。家事をやろうと思ったっていつも言い訳ばかり、料理もロクに作れなくて、受験勉強に励もうともしない、そんな私の頭には必ずどこかにクラブをしたいという気持ちが芽生えている。
結局私は、入学してから全然変わっていない。徐に、まだベッドの上に置いてあった携帯に手を開いてみれば、今度は1件も連絡が入っていなかった。メルマガが入ってても何か嫌だけど、全く連絡が無いというのも悲しいものがあった。誰かを誘って遊ぶのも楽しそうだけど、きっとみんな勉強してるんだろう。総ちゃんとかは家が近いからすぐに行けるけど、勉強の邪魔をしちゃーなんか悪い。幼馴染みと言えど礼儀は弁えております。一見頭はパーに見える彼だけど剣道でついた集中は中々のもので、実は成績は学年で10位以内に入る秀才だ。
「顔も良し運動も良し……。総ちゃんに欠点って無いのかな………あ、あった、性格だ。性格と根性に問題アリだ」
そう思えば想像の中の総ちゃんがくしゃみを一つ零す。それにフフフと笑ってみれば突如鳴り出す携帯に驚いて、勢いよく起き上がってサブ画面を見てみる。
沖田総悟
そう映し出されていた文字に私は部屋の中を見渡した。絶対どこかに盗聴器が隠されてて私の言葉が聞こえてたんだ…!そう信じて止まずにベッドの下などを捜索してる内にその音はピタリと止んだ。どうやらメールだったようで、恐る恐るその内容を見てみる。
――いま学校に来てる。お前も来い。
「何で命令形なんだ……」
偉そうな態度が文面から強く押し出されているのに苦笑いしながらも、私にしては珍しく慎重な行動に出た。
――何してるの?
そう送った数秒後に返信はやってきた。
――教室の冷房つけて勉強してる。近藤さんとか土方コノヤローも居るし、銀八も居るぞ
合宿が終わってからというもの、私は体力を持て余していた。遊びに誘われたらすぐに飛び出したいと思っていたし、此方から誘いたいとも思っていた。でもいざ誘われてみると、私は無邪気に自転車に跨ったりはしなかった。
「勉強してるのかー……」
総ちゃん達の事だから教室の冷房を遠慮なくつけて、その中で悠々と参考書を開いているに違いない。志望校はもう決まったって聞いたから、そこに合格する為に頑張っている。そんな中に私が居るのは何だか駄目な気がして、ごめん今日はちょっと無理なの、と送ってから携帯を投げ出した。それからすぐ返信は来たけど中身を見たりはしなかった。
「先生も居るのかー………ちょっと行きたかったなー……」
でも何で先生が居るんだろう?不真面目な先生だから夏休みなんかに学校に来て仕事をする筈が無いのに…。
「あ、でも進路の事になるとあの人案外しっかり考えてくれるんだった…」
実際私も幾度となく進路の事について問われた生徒の一人であって、その度に真剣な目つきで進路先を書かれたプリントを見つめるのだ。いつものようなダルそうな雰囲気など消し去って、本当に"先生"のような顔をのぞかせるあの時間が私は苦手だった。
「………ん?苦手って言うよりも……」
いや、苦手という気持ちも少しはあったかもしれないし、卒業を控えて寂しいなと感じる部分もあったけど、私はきっと…。
「そうか、私、焦ってるんだ」
卒業云々の前に私はきっと焦ってるんだ。真剣に考えてくれる先生と対等に話が出来ない事に焦って、クラブをまるで繋ぎのようにして良い生徒でありたかったんだ。クラブに行けば先生と部内についての話題が出来る、その間は勉強の話なんかしなくて済むし、先生だってわざわざその話をしてきたりはしない。
「今どうせ学校に行ったって意味無いしなー……。志望先が分からなかったら具体的な勉強の仕方が分からないし……」
きっと先生ならまた真剣に考えてくれる。でも私はそれが嫌で、なんの目標も決まってない自分を恥ずかしく思ってそんな気持ちのままで先生の前に立ちたくない。
「……クラブ終わって欲しくなかったなぁ……」
純粋に剣道をしたいという気持ちもあるけど、体を動かしてこのモヤモヤとした考えを吹き飛ばしてやりたいと願う自分も居た。
「あーーーーー………」
全く涼しくしてくれない扇風機を恨めしそうに見てから、額にはりつく前髪を上げて浴室へと向かった。そろそろ風呂掃除をしとかないと母親が帰ってくるかもしれない。今日は早く帰ってくるから、と朝言っていたのをぼんやり思いながら浴槽を洗っていると、タイミングよく玄関のドアが開いたのが分かった。この静かな足音は母親だろう。そしたら本当にそうだった。
「ただいま。あら、お風呂掃除してくれたのね」
「おう、真面目でしょう」
ホントねぇ、と言って母はくすくす笑っている。
「宿題は順調に進んだ?」
「(……)…ぼちぼちです」
「そう、お疲れ様。一緒に休憩する?美味しそうなパン買ってきたの」
「これ終わったら行くよ」
「じゃあ待ってるわね」
……実は休憩するほど勉強なんかしてないんですけどね……。全く進んでない訳ではないけど、時間を持て余してる人間にとってはあまりにも進度が遅いとは思ってる。そう分かっていながらも私はモヤモヤと考えて、それを解決させる行動を大して起こそうともせずにシャワーを握って浴槽の汚れを流した。火照っていた顔に水が飛び跳ねて少し気持ち良い。
「ハルー?準備出来たよー?」
奥から聞こえたその声に私は「はーい!」と返事をした。
明日から頑張ろう、明日から。
そんな言い訳をしながら私は浴室を出た。
何も考えずに遊びまわっていた幼稚園時代の夏がとても懐かしい。あの時はセミの声を疎ましく感じた事なんて無かった。無邪気に笑って走り回って、目先の事なんて考えず生きていたあの時に戻りたい、だなんて……。
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