始まりの詩
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「ど…どうじょう、に、貼ってあったあの紙…、先生が書いたの……?」
軽く息をひくつかせながら話す夏目だけど、何をそんなに驚いているのか、俺にはよく分からなかった。
「おう。俺にしては立派な字だったろ」
「う………うわーーーーん……」
何故だか益々泣き出して、遂には手で顔を覆って、気持ち前のめりになっていた。背中を擦るのも変だから、日差しに照らされている頭を軽く撫でてやった。肩が何度もひくついていて、中々泣き止まないだろうな、と思った。それで良い。どうせ人が居ないんだから、思う存分泣いてしまえば良い。
「夏目、これで今年の全国の夢を潰えたけど、何も剣道が潰れた訳じゃねぇだろ?だから、これからも頑張りたいと思えるなら今は少し休んで、それから自分なりに頑張ってみろよ。この経験は、きっとこれから活きてくる、無駄になる筈が無ェ」
さっき俺に寄りかかってきたように、夏目はゆっくりと俺を見る。真赤な目から一粒一粒涙が流れていて、それを一々拭うのはしゃらくさい。スーツを着る際に(一応)エチケットとして持っていたハンカチで顔ごと拭いてやった。化粧をしていないので、顔が崩れるという事は無いだろう。
「うわ、わっぷ…!」
「我慢しろよー、涙拭いてるだけだからなー」
数秒すれば、俺のハンカチはほんのり湿っていた。どんだけ泣いてんだ。
「ま、試合は終わってお前等の夏も終わったかもしんねぇけど、剣道部としての役目はまだ残ってるだろ」
「?」
何ですか、と言っているような目を見る所、本当にさっき俺の話を聞いていなかったらしい。合宿が残ってるだろ、と言えば「あ、忘れてた」と呟いていた。試合後に合宿があるのも不思議な感じだが、それはそれで肩の荷が下りて精神的に追い詰められる事は無い筈だ。と言うかこの図太い神経を持っている剣道部が精神的に追い詰められるなんてあるだろうか?
しかしどうだ。夏目は、言えば試合の結果を重く受け止めて、俺に初めて泣き顔を見せた。今は泣き止んで涙を一生懸命拭いている。まぁこの小さな体で2年と少し、よくクラブを頑張ったもんだ。それでも、もう少し泣いても良いのにとは言わなかった。降りる駅がどんどん近づいてくる。
これから夏目は受験に頭を完全に切り替えるのだろう。そして最終的に待っているのは「卒業」だ。こいつは俺の教え子で、来年に卒業して、きっと遠い学校へ行って…。さも当たり前のように一緒の教室でずっと授業をしているなんて思う俺は、相当バカらしい。生徒なんていつかは卒業する存在なのに、今年に限って妙に祝福してやれないなんて、もうホントにバカらしい。
「………眠い」
「泣き疲れじゃねぇのか?」
「そんなに泣きました?」
「まぁ、お前にしては(っていうか泣いてんの初めて見たから)」
鼻が詰まったような声で「あ゛ー」と唸って、後ろにもたれ掛かった夏目は後頭部を壁に思いっきりぶつけて痛みに悶えていた。何かやっと調子が戻ってきたな、と思う。
「ちょっとは元気出たか?」
「…ちょっとは」
「あー、合宿面倒くせーなー」
「やだな。先生がそんな事言わないで下さいよ」
「お前は楽しみなのか?」
「………ビミョー」
この会話から、降りる駅に着くまで俺達は一言も話さなかった。車両から降りて、遂にそこに人は居なくなった。何となく電車を見送って、ゆっくりとした足取で改札を出る。
「んじゃぁな、お疲れ」
「あ、お疲れ様です。ありがとうございました」
やけにアッサリとした別れ方だったけど、涙も完全に乾いてたから1人で家まで帰れるだろう。駅の近くに止めてあったスクーターを取りに行ってエンジンかけて、暑い日差しの中フと思ったこと。
夏目に言い忘れていた事があったのだ。あいつの家は知らねぇけど、帰っていった方向はさっきチラリと見た。間に合うか、と思い急いで発進させてみれば、案外早くそいつは見つかった。さっきよりは安定した歩調で、重そうな荷物をものともせずに歩いているように見えた。丁度小道に入っていったので、俺も道路から抜けて、スピードを上手に落として夏目の横についた。
「!!!わ、先生ですか…ビックリしたぁ……」
「いやぁ、お前に言い忘れた事があったのを思い出してよ」
「?何ですか?」
「お疲れさん。よく頑張ったな」
夏目は少し驚いて、足を完全に止めた。
「ほんじゃ」
片手を軽く上げて走り出したのは良いものの、この道は俺のアパートと正反対の道だ。どうしようか、と考え、格好悪いがUターンをした。夏目はまだ固まっていたけど、俺とすれ違う瞬間、口元も目も笑わせてまるで「ありがとう」と言っているかのように嬉しそうに笑いかけてきた。一瞬の出来事に、今度は俺が固まった。ミラー越しに見える夏目はもう歩いている。俺に背を向けて、振り返らずに、足だけを動かして…。もう俺が声をかける必要も無い。そうしてアイツは、知らずにどこかへ巣立っていくのだろう。
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