始まりの詩
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クソ暑かった外に比べ、電車の中はずっと居たら寒いぐらいの温度だった。誰も居ないに等しい車内に座った瞬間、それはまさしく電車のドアが閉まる寸前だった、夏目が乗り込んで来たのだ。確かにこれに乗り遅れたら次に来るのは普通電車だ。帰る時間はまぁ少し遅くなる。どうやら俺が気付く前にアッチが先だったらしく、バチリと目が合ったので手を上げてみた。いつものように礼儀正しく夏目は頭を下げた。その動作はいつものままだったが、今日の試合は夏目らしくなかった。負けてしまったあの試合、夏目は少し足を後ろに引いていたように見えた。んん、と目を凝らした時、攻撃が入って相手側の旗が上げられてしまった。試合が終わって面を外した夏目を思わず上から呼んでしまった。眩しそうに自分を見上げたあの顔が妙に頭から離れない。
「(あんな風にして笑う奴じゃねぇんだけどなー…)」
クラスの中での夏目は、ボケになったりツッコミになったり忙しい奴で、明るく笑うタイプの生徒だった筈だ。よほど試合結果に衝撃を受けたのか、合宿の説明を外でしていた時も、ボーっと竹刀袋だけ持って立ったまんまだった。そんなこんなで考えていると、夏目は少し離れた所に座って落ち着いていた。……いや確かに座る場所は沢山あるけど?どこにでも座れるけど?でも、あきすぎる距離に疑問を抱いた。反抗期。反抗期かもしれない。
「……おい」
「はい?」
全く人が居ないから声の大きさはそんなに気にならなかったけど、アイツの行動はどうも気になる。やっぱりアレか。
「何でわざわざ離れた所に座るんだよ。反抗期かお前は」
「反抗期はもう過ぎました」
「コッチに座れよ」
そう言っても動こうとしない夏目。何かを考えこんでいるようにも見えるが、取り合えず反抗期である事が決定した。授業の時はいたって普通で、って言うか真面目で、反抗された事は全然無かった。クラブの時だって、男の中でたった一人の女子部員として頑張ってるし、返事の声も大きい良い先輩だと思っている。今日の出来事がこいつの中でも衝撃的過ぎたか…。俺の方から夏目の隣に移って、暑かったな、的なことを話しかけてみるけどそっけない返事が返ってきただけだった。いつもなら「ホントですねー暑かったですねーアハハハ!」ぐらいの能天気な返事がきてもおかしくないのに。変に真っ赤になって一人で騒いでいるような夏目はどこへ行ったのやら…俺はここで何をするべきなのか。
顧問って、こういう時励ますものなのか?…それでも励ます必要なんて、きっと今は必要ない。励ますも何も、試合の勝敗というのは何であれ自分で乗り越えた方が後々ちゃんと還ってくる。それを手助けする事はしてやれても、全てを引き継ぐ事はしては駄目なんだ。………多分。
次に停車した駅で数人が降りて、車両には俺達しか居なくなった。その間は沈黙が続いていて、どうにも居心地が悪かった。
少し汚れたような竹刀袋、底と肩掛けの部分が擦り切れている防具入れ。何年も使っているせいか、お世辞にも綺麗とは言えないが、夏目の頑張り度が分かって俺は良いと思っている。この短い髪もクラブの時に楽だから、との理由らしい(沖田情報)。クラブはよっぽどの事が無い限り休んでないらしいし、道場の掃除も率先してやってるように見えた。あんなに頑張ったなのにな、とは言えない。そう言ったら、きっと泣いてしまうだろうと思ったから。
「…一応合宿があるから、体調にはまだ気をつけとけよ?お前夏弱そうだし」
「そんなにヤワじゃありませんよ」
「そうか?」
「そうです」
「………」
「………」
「………」
人が居ない分気兼ねなく話せる筈なのに、どうしてこうも会話が成り立たないのか。こういう時はどうすればスッキリするのだろうか。悶々考えていると、夏目が口を開いた。それは観覧席で聞いたものと一緒だった。すみませんでした、と。本当に、俺は謝られる筋合いは無いと思っている。それでも夏目はまた繰り返した。
「夏目ー。何考えてるか知らねぇけどよ、謝るってのはお門違いだぞ。お前は一生懸命やった、近藤たちだって一生懸命やった。結果がどうのこうのって言う俺じゃねぇし、それが全てじゃ無いだろ?なぁ、だからいい加減謝るのはやめろ」
向かいにある窓ガラスには、俺達の姿が薄ら見えていた。流れる景色に重なって、今にも消えそうな色合いで並んで座っている。下を向いている夏目の顔をどうやったら上げられるものか、考えてみるけど思いつかない。ガタガタ揺れる車内。不意に夏目の頭が俺の肩に寄り掛かって来たのは、3つめの駅を過ぎてからであった。ゆっくり、躊躇うかのように夏目は寄り掛かってくる。そして、電車が走る音に負けそうな声で話しだした。すぐ隣に居る俺は、それを案外安易に拾う事が出来た。
「私…負けちゃいました……頑張ったんだけどなぁ。総ちゃん達と一緒にがんばって稽古したのになぁ……。先生にも稽古つけてもらって…少しは強くなった気がしたのになぁ………悔しいなぁ」
夏目という生徒は器用なもので、全てを言い終えた後にしゃくりを上げ始めて、やっと泣いた。
「意味の無い日々に…しちゃいました……」
何をバカな事を言う。ガラス越しに見える教え子に心の中でそう叱った。意味の無い日々?同期である近藤達と頑張ったあの日々は、後輩達の面倒を見たあの日々は、クラブ内でふざけあったあの日々は、本当に意味の無いものだったか?
「意味が無いって事は、違うんじゃねぇの?」
ひっくひっく、としゃくり上げる夏目は泣き続けたまま、黙って俺の話を聞いていた。
「そりゃ地区大会に負けたって事は全国に行けねぇ。ましてや3年生のお前等にとっては引退って事になるわな。でも考えてみろよ。これで全てが終わったって訳じゃないんだぞ?俺も言わせてもうらうけど、ココで妙な落ち込み方なんかしたらそれこそ意味が無いぞ。負けた事なんかに怒る気なんて無いっつの。何より一生懸命頑張った教え子を怒れるかっつんだよ」
次に電車が止まるまで後少し時間がある。俺は勢いのまま話続けた。
「お前がそれでも”意味が無い”って言い張るなら、頑張って書いたあの張り紙でさえ意味が無いってのかよ」
「……は、り…がみ………」
小さく言ったと思ったら、ガバリと顔を上げた夏目に驚いた。目を真赤にして泣いちまって、見開かれているそれにまだ溜まっている涙を親指で弾いてやった。
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