終わりの詩
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あれから近藤君たちと合流して、まず早々と着替えてから、外で待ってくれている先生たちの所まで急いだ。
「こういう時、3年が5人って不利だよな。何か肩身が狭ェ」
土方君のその言葉に私たちは賛同した。5人の為に今日この日、貴重な休みを削って来てくれていると考えたらもっと肩身が狭かった。それにしても汗がひいてない状態で着替えるのは凄く難しくて、特に靴下が中々上まで上がらない。イスに座って「うー!」と唸りながらはいていると、総ちゃんが「太ったんじゃね?」と言い出す。睨んでやった。
「アホ言ってないでお前は近藤さん達と先行ってろ」
一番遅かった私を待ってくれたのは土方君で、ゆっくり着替えて良いぞ、と言ってくれるものの焦ってしまう。だからか余計に遅くなってしまった上、何故か私の竹刀袋が無くなっていた。防具はちゃんとあるのに、竹刀ごと袋が…。
「土方君!私の竹刀袋…」
右肩に自分の防具袋、左肩には私の防具袋、それから手には自分の竹刀袋持った土方君は「あぁ…」と言った。
「それならさっき総悟が持って行ってやってたぞ」
「えぇ!?」
行くぞ、と歩き出す土方君。いや、荷物ぐらい自分で持てるよ!
「じじじ自分で持てるって!」
「?そうか?なら…」
渡された私の防具袋、ずしりと肩に重みがのしかかる。これはこんなに重かったのだなぁ…。3年間忘れていた事のような気がした。
外の暑さは、総合体育館の中の熱気よりは随分マシだった。むわむわと立ち込めるような暑さに対して、こちらはカラリと晴れている。蝉がやかましいけど、絶対外の方が良い。ずれてくる防具袋を何度もかけ直して、私はジリジリと太陽にやかれていた。しまった日傘持ってくれば良かったと思った。私が持っているのは、さっき総ちゃんから渡された竹刀袋だけだ。可愛げない奴。第三者のよう気持ちで思った。
「……じゃ、かいさーん」
手をパチンと鳴らして先生は言った。私は「え」と声をもらす。
「んだ夏目。俺のありがたーいお話を聞いてなかったな」
「き、聞いてました!日傘が欲しいって話ですよね」
「エェェエエ!!!?俺そんな事話した!!!??」
「熱中症で頭おかしくなっちまったかィ?」
聞いてくる総ちゃんに、平気平気、と冗談っぽく笑った。先生の話は全く聞いていないのは事実だけど、大方合宿の話だろう。帰ってから準備しないといけないなー、と熱くなる体で思った。お疲れ様でした、と後輩たちが元気に挨拶してくれる中で、私は総ちゃんたちに声をかけた。
「もう帰るよね?今から駅まで歩けば快速に間に合うかもしれないよ」
時刻表を見る限り、この時間なら快速に間に合う筈。スタスタと体育館の駐車場を歩く私だけど、何だか静か過ぎるような気がする。何で、と思って後ろを振り返れば誰もついて来ていなかった。総ちゃんたちも後輩も、何故かあの場に立ったままなのだ。呑気に手を振ってくれているのは総ちゃん。
「ちょっとー!!何でついて来てないのよー!!!!!」
炎天下で大声で叫べば頭がクラクラした。総ちゃんも同じような大声で言ってくる。
「先帰っててくれ!!!また連絡いれっからァ!!!!」
「他のみんなはァ!!?」
「俺等と一緒に帰る!!!」
「私だけ仲間はずれ!!?」
良いから先に帰っといてー、という言葉に歯向かう理由も無いので、少し寂しい気もするが、1人で駅に向かう事にした。お疲れ様でした、と後輩たちが言って頭を下げてくれたのがチラリと見えたけど、情けなくも私は「お疲れ」と小声で返した。この声は、絶対に彼等の所までは届くまい。泣きそうだったこの小声は、1人ぽっちの私のすぐ傍に落ちた。そして私は、駅に向かう。
まさか、帰りの道がこんなに暗いような気分だとは思わなかった。
「(暗い…って自分で思ったら何か嫌だな…)」
切符を改札に通して向かいのホームに行こうとした時、ほどなくして電車が到着したのが分かった。総ちゃんと話していたせいで少し時間のロスが出来てしまったに違いない。これを逃せば普通電車がいつ来るかも分からないので、肩にかけてある荷物が重かったし試合で多少疲れたけど、最後の踏ん張りと思って走り出した。もつれそうな勢いで階段を下りて、電車のドアが閉まる寸前に滑り込んだ。休日の昼過ぎなので車内に人は全然居なかった。試合が済んだほかの学生すら乗っていなかったけど、1人だけ私の知っている人が居た。片側の窓からの日差しを惜しみなく浴びていて、電車が動き始めてから、やっと、ドア付近に立ち尽くしたままの私に気がついた。軽く手を上げてくれたので私は少しだけ頭を下げて、それからどうしようと思った。どこに座れば良いか迷ったのだ。人は本当に居ないので、座ろうと思えばどこにでも座れる。取り合えず近くのイスに座って、肩掛けも荷物も地面に下ろした。その時に、ちょっと離れた向かいに座っているその人物が顔を顰めたのが分かった。
「……おい」
「はい?」
距離と電車の音のせいで声が聞き取りにくいので、比較的大きな口の動きの会話だった。あんなところに座って暑くないのだろうか、あの先生は?それぐらいの事しか考えずに座れたらどれだけ楽だったろう。
「何でわざわざ離れた所に座るんだよ。反抗期かお前は」
「反抗期はもう過ぎました」
「コッチに座れよ」
人の気も知らないであの先生は…。何の為に私が離れて座ったか知らないからこんな事が言えるんだ。コッチに座れ?そんな事したら泣いちゃうかもしれないじゃないですか。泣くのは私の勝手だし先生が気にかけるような事でも無いけど、今ぐらい私を思って自由にさせてくれたって良いじゃないですか。いつもは自分ばかり自由にしているのだから、今ぐらいは、今ぐらいは…。
そもそも何で私、泣いてしまいそうなんだろう。自分の不甲斐なさに?そんなもの分かりきってる事だから、今更悲しむ事でもない。今日の自分の試合結果や落ち度なんて認めるまでもない、さっき体感したばかりなのだから、思い出すどころか、常に心の中にあるのが当たり前になってきている。他にも上げられる理由は一杯あったけど、どれもしっくりこなかった。もっと別の何かで泣きたいんだろう。ちゃんと理由があるのに、なんなんだろう。
その理由は、意外に呆気なく分かった。向かいに居た先生が歩いてきて、私の隣に座ったのだ。その時、先生がいつも吸っている煙草の匂いに目が覚めたような感覚がしたついでに、頭も冴えた。そうだ、先生のせいだ。先生のせいで泣きそうだなんだ。
「今日も暑かったなー」
「…そうですね」
先生の声は、つい一昨日まで剣道場で威勢の良い声で仕切ってくれていた声だ。夏なんか暑くていらん、と言う人なのに、わざわざ道場にまで来て重くて暑い防具を着て私たちの世話をしてくれて…。
「(ごめんね、先生。せっかく稽古つけてくれたのにね)」
まだ私が3年生じゃなかった時、剣道部の顧問だった先生は剣道の経験が無くて、稽古を見てくれるというのは無かった。いつも先輩に教えられていて、だからか坂田先生が新しく就任して(たまに)稽古を見てくれたは本当に驚いた。顧問の先生って、こんな風にしてクラブに貢献してくれるんだ、って…。思いのほか先生は強くって、近藤君や土方君、ましてや総ちゃん相手でも負けないんだよね。その場面をはっきりと見た事は無いけれど、体の運び方や竹刀の扱い方はそりゃもう部員の誰よりも上手いとすぐに思えた。普段はヤル気の無い担任で、クラブにしょっちゅう顔を出してる訳ではなかった先生が、夏休み前からほぼ毎日のように稽古をつけてくれていたのは何故か?今日の地区大会の為に決まっている。私たちに勝って欲しかったから。今年でクラブも終わって卒業してしまう私たち3年に勝って欲しかったから、先生は汗をかいて稽古をしてくれたんだ。そんな先生の期待を見事なまでに裏切った私は、後ろめたさで先生に近づきたく無かったんだろう。逃げる、だなんて、今日の試合みたいに思えて自分の学習能力を疑った。もう18歳なのに、何を逃げに走るんだか。誰かにそう叱って欲しかった。
「暑ィなー…」
先生の呟きは、授業の時のように張りのない声だった。夏休みの稽古時のような、あの威勢の良い声は、もう剣道場には響かない。下を向く私と窓ガラスにもたれる先生を乗せて、電車は順調に進んでいく。
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