ゆびきった!
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藍色の空に星輝きて
蝉の声はいつのまにか消え、雲も大きく膨らみ急な夕立を降らす事はなく、どことなく肌寒い朝を迎える様になって、木々の葉が暖色に色づき、そして彼女は街へ出た。
江戸に、秋が来たのだと、沖田は晴れた空を見て思う。
「行ったのか?」
低い声が朝食後の沖田を引き止める。後ろを振り返れば、いつのまにやらついて来ていた土方が縁側の柱に寄りかかり、彼に視線を向けていた。夏とは違い乾いた風が吹くようになり、沖田の髪に出来た寝癖がピョコピョコと揺れている。
「はぁ、まあ……」
朝はとことん低血圧な沖田なので、朝食を食べたとて頭がすぐに働く事はない。それでも"行ったのか"という主語も何もない言葉が意味するのだけは、すぐに理解できた。
「アイツなりに色々整理出来たんじゃないんですかィ?ふぁ~あ……ねみぃ……」
「そうか…」
「………」
腕を組んで柱に寄りかかっている土方は視線を落とし、恐らくはこの話の主要人物を頭に思い浮かべているのだろう。
因みにその人物は今、真撰組の制服は着ず、普通の女物の着物を着てとある場所へと出かけていた。朝の活気付いている江戸の街を、それはゆっくりとした足取で歩いている。
「…そんなに心配ならついて行ったら良かったじゃないですかィ」
「心配なんか誰がするか」
「顔に書いてありやすぜィ?」
「総悟お前視力悪くなったんだな」
「そういう事にしときなせェ」
飛び出している寝癖をいじりながら沖田は欠伸をもう一つ。そうすれば、お前は行かなくて良かったのか、と土方が聞いてくる。どこまでも心配性な上司だ。そう思いながらも、彼はもう一つだけ欠伸をこぼし、簡潔に答えた。
「良いんでさァ」
彼女は誰にでもない、自分で行くと昨日言ったのだ。それを聞いた近藤はとても心配したが、彼女は至って普通に微笑み「大丈夫です」と言った。
きっともう憎しみに染まる事はない。
これから先、何年かかって彼女の悲しみが癒えるかは分からない。もしかすれば一生癒える事もなく、心の中にそれを抱き続けたまま生きていく人生なのかもしれない。
「もし何かあった時は、屯所(ここ)に戻ってくりゃ済む話でさァ」
そう言って微笑む沖田は、朝だからか、いつものサディズムを感じさせる冷笑とは全く違う儚い笑み。相手を想い甘えさせてやる時、人は誰であろうと優しい顔するらしい。土方はそう思えた。
「まぁ、そりゃそうだな」
土方も人の事は言えないが、とりあえず、彼女は愛されているらしい。
実兄を殺した人間を前にして、彼女はどんな顔をするだろうか。
泣くだろうか。
それとも怒るだろうか。
彼女なら、それ以前に、きっとこの数年間の事を一気に思い出すだろう。実兄との別れ、真撰組との出会い、江戸の街での日々。それはどれも輝いている過去ではないが、たまにキラキラと光を放ち、確かに彼女を笑顔にさせるものだって隠れている。
その事を思い出して、最終的に笑顔で屯所に戻ってきてくれれば、とても心配していた近藤も安心するだろう。面会の事に対して密かに反対していた山崎だって「おかえり」と言って困ったように笑うに違いない。それから夕飯の時にはいつものように食堂は大騒ぎで、その輪の中に彼女が居てくれれば、きっと兄も安心してくれるのだ。
星になったと言ったらやけにロマンチックな言い方だが、それでも暮れた空に控えめに輝く星は、近藤や土方、沖田達にとっては彼と重なって見えてしまうのだから仕方ない。秋の日は釣瓶落とし、とはよく言ったもので、きっと彼女はちょうど暮れた頃にカラコロと下駄の音を鳴らしながら帰ってくるのだろう。空の星を道しるべに、ゆっくりでも良いから帰ってこれば、それで良い。
「秋晴れですねィ」
縁側から見える空を見て沖田が呟いた。
「早く帰ってきやせんかねィ、糸…」
「(心配性……)」
「アイツが帰ってこねーと、書類の手伝いをしてくれる奴が居ねぇんでさァ」
「おい、非番の日ぐらいゆっくりさせてやれっての」
やなこった。
そして沖田は今度こそ、いつものように意地悪く笑うのだ。
土方の眉間の皺が一本増え、不真面目な部下への説教をたらたらと話し出す。しかしそれを素直に聞くような相手ではなく、頭の後ろで手を組み口笛を吹いてやれば更に土方の怒りを煽り、まさしく一触即発!の所で丁度通りかかった近藤が止めに入り、そして巻き込まれ、ミントンの朝練をしていた山崎が騒ぎを聞きつけて止めに入り、そして巻き込まれ、他の隊士達も駄目元で止めに入り、そして巻き込まれ…。負の連鎖は続き、爽やかで静かな秋の朝を迎える事は無理らしい。
しかしこれこそ、屯所らしい朝の風景である事を、彼女はよーく知っている。
知らず知らず戻ってきた日常に、一番喜ぶのはきっと彼女だ。
彼女はやっぱり兄が好きで、その死を受け入れる事は出来ても理解はしたくなくて、すぐにでもその現実を「嘘だよ」と誰かに否定されて、今すぐに兄を返して欲しいのだ。それでも、そんな奇跡じみた事が人間に出来る筈もなく、はたまた神様に祈るだけ無駄である事はよく分かっている。
だから一歩、また一歩、ゆっくりでも良いから前に進めば、きっと今よりかは景色が変わる場所へと辿り着ける事を信じて歩くしかない。
もう憎しみにとらわれて周りを傷つけるような事はしない。
歩く彼女は自分にそう言い聞かせ、足をどんどん進めていく。
1人より、2人居た方が良いだろ?
そう言えば昨日こんな事を言われたなぁ、と何となく思い出しながら…。
お前のペースを守りゃー良いんじゃねぇの?
それは果たして餡蜜を食べるスピードに対して言っていたのか、それとももっと大きな意味があって言っていたのか、彼女には分かりかねた。
その言葉は、兄から譲り受けた言葉に重なる。
いそいでおおきくなるな
はて、私のペースとは一体どれぐらいのものなのだろうか?そんな事をボンヤリと思いながら餡蜜を口にしていれば、目の前に笑っている銀髪の男がクックッと声を殺して笑っているのに彼女は気がついた。どうしたんですか、と無意識に小首を傾げて聞いた彼女の視線に気付いた男は、まだ若干顔に笑みを残しながらこんな事を言った。
いや、何かよく分かんねぇけど、俺いま幸せかもしんねぇ。
彼自身もよく分からず笑っているのだから、彼女だってその理由が結局よく分からない。それでもあまりにも幸せそうに微笑んでいたものだから、彼女も思わず頬を緩ませ、そしてこう感じた。
嗚呼、確かに幸せな気分がしてきましたよ。
泣いた後にくる効果か、それとも餡蜜の美味しさか…。取り合えずも彼女は確かに彼に影響され、また一つ可愛らしい笑みをこぼしていたそんな昨日。
一寸狂わぬ良い天気が江戸の天井を覆っている。
彼女は一度その空を見上げ大きく深呼吸をする。チラリと光る小さな星が、一つだけ彼女に瞬きをした。
(ヒロインがお兄ちゃんを殺した相手に会いにいくというお話)