君の隣で
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山崎君、髪を切ってくれませんか?
食堂で朝飯を食べている時、糸ちゃんは突如そう言ってきた。隊服に着替え、少し長い髪は寝癖で所々がはねていた。口に含んでいた味噌汁を飲み込んで「良いよ」とすぐに答えた。寝癖を直すのが嫌になったのかな、とその時は単純に思った。ありがとうございます、と元気に言った糸ちゃんは、まだ頭に変なアイマスクをつけている沖田隊長の隣に座った。
「ちょ、隊長。まだ寝ぼけてるんですか?アイマスクを早く取って下さい。あと隊服にも着替えて下さい」
「朝からウルサイやつでィ。お前は俺の母ちゃんか」
「沖田隊長の母になるんなら、アメンボになりたいです」
「それ何気に酷くね?俺よりアメンボって酷くね?ってか母ちゃんに謝れ」
「ごめんね母ちゃん。あん時、実はお中元に出す筈だったゼリーを食べたの私なんだ」
「それはテメーの母ちゃんに対する懺悔だろうがィ」
「すみませーん、醤油切れたんでもらえますかー?」
「土方さーん、上司の話を聞かないこいつを異動させてくれやせんかーィ」
などと面白い会話を繰り広げながらお茶を飲んでいる。そんな彼女の髪を切り始めたのは、朝ごはんを食べたすぐ後の事だった。
霧吹きとハサミと櫛と、一応手鏡を持たせて、簡単な用意しかしていない散髪は庭で始まろうとしていた。切った後にシャワーを浴びる、と彼女が言うので、敢えてゴミ袋のようなもので肩を覆ったりはしなかった。どうやら午前にオフをもらったらしく、羨ましいなぁと思いながら髪を濡らしていった。
「涼しー!」
「あー、動いたら駄目だよー」
それにしても、せっかく細くて綺麗な髪なのに、ここまで未練なく切ってくれと頼む彼女には驚かされる。この前なんか刀を持ち出し、迷いもなくバッサリと切り落としていた。
だからこんなに毛先が雑になっているんだろう。何でか俺の方が躊躇って「本当に切るよ?」と声をかけてしまっていた。
「ショートにしちゃって下さい!」
「うん………でも何で今回はわざわざ頼んだり?」
「あー、助言してもらったからです」
「助言?」
「刀で切んな!ショートにしろ!的な」
副長が言ったんだろうか?彼女がいともあっさりとその意見を取り入れているのだから、上司とかそこらへんかもしれない。俺はその命令に従うように、やっと髪にハサミを通した。ハラリと髪が地面へと落ちる。
「どうせなら可愛らしく切ろうか」
「いや、可愛さとかはどうでも良いです。仕事の邪魔にならない程度にバッサリとお願いします」
失恋でもしたのか、と冗談混じりで言ってみると「失恋する相手が居ません」と笑いながら即答された。本人は至って素で答え、それが二十の女性の答えだと思うとやけに悲しい。非番の日でさえ道場で稽古しているから、そりゃ恋人なんて間柄の人間は居ないだろう。良い娘さんだと思うのに、とオヤジ臭い事を思ってみたりもした。
男所帯でただ1人の女隊士として働き、それでもしっかりと自分を持つ彼女。負けん気は少々強いものの、鼻につく程ではないし、よく人を観察しているから上司や隊士との付き合い方も中々良い。何より可愛らしい所もあるのだから、恋だの愛だのについて相談して欲しいと思う事もしばしばだ。
「糸ちゃん……たまには男の人にさ、好みのタイプは、なんて聞いてみたりしたら?」
きっと彼女にとって体験した事のないものだろう。サクサクと手が進むように、話もすんなりと飛び出した。
「好みのタイプは?」
「いや、俺に聞いても…」
「アハハ!因みにね、これ、男の方に助言してもらったんですよ?」
「副長とかでしょー?」
「違いますよ!」
「…………屯所に居る人間じゃないの?」
「はい」
ハサミが、一際大きな音を立てて髪を切り落とした。
「いま凄く切りませんでした!!??」
自分の手で慌てて髪を確認する糸ちゃん。何だ君は。屯所の外にもこんな助言をしてくれる人間が居るのか。心配して損したよ。
「ザクッて音が聞こえましたよ!!??」
焦った顔で振り返る糸ちゃん。実は、今のは少し切り過ぎたなと思ってみたけど、振り返った彼女にそのショートはよく似合っていて良かった。
「案外、素直なんだねぇ」
「何の話ですか?」
「髪似合ってるよ」
きょとんと目を開かせて、持っていた鏡で髪を確認しはじめた。そして照れ笑いしながら、「ありがとうございます」と呟いた。
「シャワー浴びてきますね!!」
嬉しそうに駆けていった彼女は、屯所の外でどんな人間と会ってどんな会話をしているのだろうか?とうてい分からぬ問題を考えるのはやめて、後片付けに取りかかる。切られて落ちている髪は、どこぞやの彼の助言で落ちていった。一度顔が見てみたいと思いつつ、今一度彼女のショートの似合いさに、自分を誉めてみたりしたのだった。
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