ゆびきった!
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「ただいま!!」
元気な声が玄関に響いている。きっと総悟あたりと話しているんだろうなぁとボンヤリ思いつつ、その"ただいま"という言葉をかみ締めてみる。
今でこそ何の躊躇いもなく発せられてる言葉でも、それを引き出すまでには少し時間がかかったような気がする。あの頃の糸は警戒心が人並以上にあったから、ましてや時期が時期なだけにそう中々俺達に笑顔や言葉を向けてくれる事はなかった。大体は仕事の話ばかり、それ以上の踏み込みを、糸は決してしなかった。
それでも俺は、糸をここに誘った時から知っていた。
どれだけ人を引き離しても、どれだけ冷たいフリをしても、本当はとても優しい子なのだと。そして、あの人の自慢の妹なのだと。
「アイツなんか死ねば良かったのに……!」
それでもたまに思い出すこの言葉のせいか、時の流れを感じずにはいられない。
糸はもうそんな事は言わないが、心の奥底ではまだどれだけの悲しみと憎しみを抱いてるか、悔しい事に真撰組でさえ分からない。表面上笑顔で居てくれてるが、本当にたまに、この言葉を思い出す時がある。
確かに糸は通夜も告別式の時も泣いてはいなかった。泣いてはいなかったけど、それは今思えばあふれ出す憎しみをこらえるのに必死で、泣く暇もなかったんじゃないだろうかと思う。
通夜の時、松平のとっつァんに言われたのは「妹がはやまったマネをしないようによく見とけ」という事だった。あの人の人柄も力量も割りと気にいっていたとっつァんにとってもその"死"は悲しみそのもの。勿論俺だってそうだった。
だから、せめて妹が兄の後を追わないように注意して観察していた。
けれどそれは、案外拍子抜けたものだった。
あの人と少し面影のある少女は、微笑んでいる遺影に目もくれず、会場の最前列でずっと無表情のまま前を見ているような、それとも他を見ているような、取り合えず心ここに在らずな雰囲気を出していた。何て声をかければ良いかも分からない中で、御焼香をあげた時、フとその時の糸と目があった。礼儀にならい軽く頭を下げれば彼女も小さく頭を下げる。
その時に、ああ、この子は悲しみより憎しみに支配されてしまっているのだと、何となく思えた。
アイツなんか死ねば良かったのに
それは即ち、実兄を殺した相手へ向けられる言葉で、正真正銘糸が放った言葉。今居る糸からは考えられないその冷たい言葉は、通夜の後に聞いたものだった。その日もなんとかスケジュール通りに終わり、後は翌日の告別式を控えた時、誰一人として居ない筈だった斎場にあの子は居て、悔しそうにポツリと呟いていた。おおよそ弔意などのない幕府関係者に、あの子が礼儀に倣い頭を下げている光景には何故だか腹が立った。急に兄を亡くし、大人だらけの世界に放り投げられ、只時間が通り過ぎるのだけをあの子は待っていた。
何もかもに置いていかれたいと願うあの子の小さな背中に、やっぱり俺は何も声をかけられなかった。
死ねば良かったのに、と堪え切れない憎しみを誰にも吐かず、1人で在ろうとしたあの子を、どうにかして真撰組に入れられないかと俺は頭をウンウン悩ました。
そして好機は、あの人が燃やされて骨になった日にやってきた。
その日も糸は泣かず、小さな木箱におさまったあの人を抱きながら幕府の縁側でぼんやりと座っていた。数分前、緋村糸の身を真撰組に置いて良いと言ったとっつァんの言葉通り、俺はその足ですぐにあの子を探した。
あの人の妹とあれば、剣の腕も頭脳にも期待がかけられる。それぐらいあの人は実力のある人だったのだ。だから変に出世を目論む奴等に取られるぐらいなら、男所帯でも良いから、何とかして真撰組に引き込めれないかととっつァんも(密かに)頑張ったのだろう。田舎に返しても、どうせ日が少し経てば身寄りのないあの子をどうにかして自分の配下に置きたがる役人が出るに違いない。そうなる前に、と踏み出した一歩が間違っていたかなんて、考えても分からない。
――緋村糸ちゃん…?
――………どなたでしょうか
――俺は近藤勲。真撰組の局長ですよ
――……別に…敬語じゃなくても結構です……どういったご用件でしょうか?
ゆっくりと向けられた黒い瞳。軽くなった兄を胸に抱き、それこそ絶望を抱いているその子に、俺は迷わず言えた。
ウチに来ないか、と。
それからあの子はウチにきて、仕事はしっかりこなす働き者になった。それでも仕事ばかりで、俺達と全く関わろうとしやしない。壁ばかりが隔てられる中、それを見事によじのぼったのは総悟だった。あの子の所属する一番隊の隊長がてら気にはしていた存在だし、何より可愛がってもらっていたあの人の妹。邪険にするような事は無いと思っていた俺の読みは当っていたらしい。
憎しみや恨みで澱んでいたあの子の瞳は、少しずつ少しずつ澄んでいく。総悟が隣に居れば、小さく笑ったりもする。と思えばトシが居たら、まるで親のように慕いありのままの表情を見せたりする(この頃から喜怒哀楽の区別がついてきたっけ…)。それから山崎の事は、一番の理解者だと言わんばかりに屯所で唯一の「くん」付けだった。
馴染んできてからのあの子は、よく笑い、よく怒り、真撰組の服なんか着ずに居たらそこら辺に居る年頃の娘と何も変わらなかった。
深く濃かった氷の日々を思えば、今のあの子が居る事は喜ばしい。
それでも俺は、局長である立場だからこそ考えなければいけない事がある。例えそれが今の屯所の空気に水を差すような事であっても、決して雰囲気にのまれ忘れてはいけない事。
俺は果たして、あの子をここに入れて良かったのかという事。
きっと他の奴等にあの子を手渡すぐらいなら、真撰組に入れて守ってやる方がよっぽどマシに決まってる。そうじゃなくてもあの子は自分の力でしっかりとここで頑張っている。
けれどそれは、もしかしたらあったかもしれないあの子の可能性を潰してしまっているのかもしれない。
もしかしたらあの子は田舎で、幕府のどんな要求にも屈せず実家に居られたのではないか。
こんな風に刀を握り、御洒落も出来ない環境に来なくて良かったのではないか。
考えれば考える程、俺が声をかけたのが合っていたのか、考えてしまう時がある。
これから先、またきっとこんな風に柄にもなく考えてしまう時があるだろう。
それでも、その気持ちが薄らいでいるのも事実だ。忘れはしない、けど、気持ちは軽くなった。それは罪悪感なんかじゃなく、なんか、こう……少し寂しい親離れに似た何かなのかもしれない。
――私、真撰組に居て、本当に良かったです………!!!私、真撰組に居させて頂いて、本当に良かったです……近藤局長……!!!
さっきの、糸の言葉だ。
近くに居たって、言葉にしなければ伝わらないのも確かにある。涙声でのその告白には流石に俺の涙腺も緩んだ。
女隊士だからといって贔屓はしない。それがあの子が入隊したての頃のトシの口癖だった。俺だってはなから贔屓をするつもりは無かったが、思わず撫でてしまいたくなるのは、何よりあの子自身が持つ人柄の良さだ。トシだって知らず知らず表情を和らげてるくせに、俺は贔屓はしてねぇ、と言い張るもんだから面白いったらありゃしない。この事はまだ本人には黙っておこう。
糸の成長が、楽しみだ。
「局長!!」
外が薄暗くなって、ちょうど夕飯前に帰って来た糸がたまたま廊下を歩いていた俺に大きく声をかけてきた。振り返ってやれば、タタタと足音を立てて走り寄ってくる。目が赤くなってるのが若干分かって心配になったが、まぁあいつが居たなら大丈夫か、と根拠のない安心感を持ったりもした。
「只今戻りました!」
今では当たり前のように見せてくれるようになったこの笑顔。屯所の紅一点はこんなに強く生きている。
それでも弱い部分だってあるから、そうなれば、今日みたいに吐き出す機会を作ってやれたらと俺は思う。
だから今は取り合えず、心からの笑顔でこの子の帰りを喜ぶだけで充分だろう。
「おかえり!糸!!」