嘘ついたら針千本のーます
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何も、知らなかった。
「わたし……っっ!!!」
「俺は、無理に休めとは言わんが、いつも真面目に働いてくれてる糸だからこそ"今日ぐらいは"というアイツ等の気持ちも分かってやれる。……まぁどっちにしろ今は昼休憩だろ?…あの人に、会いに行ってやったらどうだ」
「…っ…」
「糸はそう簡単に弱音を吐かんからな、それが余計に心配なんだろ。あの人の前で、思いのたけをぶちまけたら案外スッキリするぞ!」
「きょくちょう……」
緋村の兄が殺されてしまったのは、本当に誰もが予想していない出来事だっただけにショックも大きかった。
今でも兄が斬られた姿を、彼女はありのまま思いだせる。
沸きあがる嘔吐感は厠で処理してしまえば良い。
燻る憎悪は穏やかな日常に溶かしてしまえば良い。
殺した奴を許せない心はそのままに、只復讐に走らないようにすれば良い。
そんな独自の方法で自分を保っていた緋村だったが、たった一つどうする事も出来なかったもの。
悲しみ。
これだけは、どうすれば良いか分からなかった。
兄が殺されて、血だまりの中にぼんやり立っていれば周りの悲鳴や音が一気に立ち退いた。暴れている浪人を取り押さえている人達を視界の端に捕らえたが、すぐに両手で顔を覆った。何も見たくない。倒れている兄にすら駆け寄れない。
立ち尽くしていた世界で、彼女は真撰組という組織と出会った。
曲者揃いの中で女隊士の緋村は一際目立ち、時に嫌な思いをしながらも我武者羅に生きてこれば、自分を許してくれている近藤が居て、不器用ながらも見守ってくれている仲間が居た。
目からホロリと涙が落ちた。
「局長、私っ………!!!」
「私、真撰組に居て、本当に良かったです………!!!」
「なぁー山崎ー」
「どうしたんですか局長。ホラ、松平のとっつァんに呼ばれてるんですから早く行って下さいよ」
「……俺さー、思ったんだけどよー…」
「何です」
「糸を、ここに入れて本当に良かったのかなー」
「……」
「本当に、これで良かったのかなー……」
「私、真撰組に居させて頂いて、本当に良かったです……近藤局長……!!!」
それは、まさか貰えるとは思っていなかった近藤の後悔へ対する答え。
彼は一度驚いて目を見開かせたが、すぐに目を赤くしてそりゃ良かったと笑った。本当に嬉しそうな、彼らしい笑顔。
緋村はこれ以上泣くまいと、涙をたった一筋流しただけで目を擦り、また頬を叩く。
人の優しさが、こんなに嬉しいものとは知らなかった。
いつも不躾で、デリカシーがなくて、バカ騒ぎが大好きで、でも剣の腕には長けていて、一緒に笑いあっていると落ち着ける存在である屯所の仲間が、緋村は本当に好きだった。
2年もかかったが、心の底からこの場所に来れた事に、兄に感謝できて、良い意味で本当のさよならをしたような気がした。
「行っておいで」
昨日、街中の彼女を襲った衝動は、積もりに積もった悲しみが行き場を無くして暴れていただけだった。
それは溜めれば溜める程より一層彼女を苦しめる。だから近藤は行っておいでと言う。
悲しみに、本当のさよならを。
そしてやって来た1人の訪問者。
「あ、お姉ちゃん!」
「!!君、昨日の……!」
まさか屯所の中で会うとは思っていなかったが、彼女に走り寄ってくるのは間違いなく昨日の男の子であった。
「ど、どうやって屯所に入ったの!?」
「おきたってお兄ちゃんがいれてくれた!」
「沖田隊長が!?」
「あれー?」
彼女の足に抱きついて人懐っこい笑みを浮かべている男の子に、近藤はまるで懐かしむような言い方をして目を凝らしていた。知り合いですか?彼女がそう聞けば、「そうか、糸は知らないのか」と。当時はそれどころでは無かったのだ。
「この子は、あの人が助けた子どもだよ」
「え………」
抱きつかれる力が少し強まったような気がした。彼女は彼を離し、視線を合わせるようにゆっくりとしゃがんだ。子ども特有の輝く目に、緋村の情けない姿が映る。
「この子が……」
その当時は今より子どもだったせいか、あの事件の全貌を身内と言えどあまり詳しく知らされていなかった。
肩に手を置けばまだ小さいが、目の前には確かに兄が守ったものが自分の足で立っている。
「……おつかいは……終わった…?」
また涙腺が緩む。
兄との楽しかった思い出が甦る。
一緒に道場で稽古もしたし、花火もしたし、喧嘩したり仲直りしたり、そんな日々がずっと続くと思っていたあの頃。
もう兄はこの世には居ないが、生きていた証は確かにあった。
男の子はにこりと笑う。
「うん、今終わらせるの」
「いま…?」
「僕、伝言を伝えに来たよ」
「伝言……?…誰から……」
「お姉ちゃんの、お兄ちゃんから」
「えぇ……!?」
「あのね、僕を助けてくれたお兄ちゃんがネンネする前に僕に言ったんだよ。えっとね……あのお兄ちゃんね、お姉ちゃんに"いそいでおおきくなるな"って伝えてくれって」
それは、いつも自分の実力以上の働きをしようとする最愛の妹へ向けられた言葉。
彼女は優しいから、何より周りを優先する兄譲りの癖があった。それを見抜いているから、変に大人ぶるな、お前はお前で良いという言葉をたった一文になるだけ詰め込んで、まだ幼かったこの子に託した。
いつか君が大きくなって、おつかいに行ける様な歳になったら、俺の妹を探してこう伝えて欲しいな。
途切れ途切れの言葉、男の子は何故か忘れなかった。最後まで強く光り続けていた目が閉じられる瞬間まで、血だらけの手で彼の手を握ってやっていたのだ。
小さな爪のはめこまれたその手を、彼女はゆっくりと取った。脈に触れられる。生きている。兄が守った確かな命は、ずっと自分を探して生きてくれていた。
「おつかい、…ご苦労様…!」
「うんっ!!」
緋村は溢れそうになる涙を腕で拭い、そして走り出した。目指すは、兄の所。
「お姉ちゃんどっか行っちゃったねー」
「そうだなぁ。ま、夕方ぐらいには帰ってくるよ。……1人で"おつかい"してたのか?」
「うん。隣の町から来たよ」
「へぇ…!偉いな!」
「えへへ。…あ、でもお兄ちゃんに手伝ってもらってた」
「お兄ちゃん?」
「うん。木刀さしてて、甘いものが好きなお兄ちゃんと」
その言葉に近藤は一度大きな瞬きを繰り返し、そして大きく豪快に笑った。
「あはははは!!!そうか、アイツがか」
目尻にたまった涙を拭い、近藤は空を見上げた。良い天気だ。そう呟けば男の子も笑って、そうだね、と言い返す。
よもやそこから死角になる至る所で隊士達が盗み見をしているとは思っていなかっただろう。割かし出歯亀な彼等だが全てを見ていた訳ではなく、緋村がこの真撰組に居て良かったと言ってくれた場面から居座っており、思わぬ彼女の発言に大の男達が涙や鼻水を垂らして不細工に声を殺して泣いていた。ちゃっかりその集団に交じっていた土方は「汚ェ!!」と蹴散らしながら、泣いてはいないが安心したような小さな笑みを見せて立ち去っていった。
帰ってきたら緋村に茶をいれてもらおう。そんな事を思いながら。
緋村と言えば素早く玄関に滑り込み下駄から靴に履き替え、暑苦しいジャケットを脱いでまるで夏仕様のように腕や足元を折り込み走り出した。
門番と談笑していた沖田が走ってくる緋村に気付き「行ってらっさい」と声をかけた。彼女は泣き笑顔で頷き街へと飛び出す。
暗くなる前に帰ってこいよーー!!
門番達が恥ずかしげも無くそう叫んでいるのが分かった。
声が大きいっつの。
彼女は噴出して、兄の元を目指した。
「さて、俺は職務に励むとするかねィ」
「隊長この頃仕事してますね?」
「まぁそれも今日までだし、俺の仕事ぶりをとくの見とけよ」
「あはは!」
「……後は旦那にまかせて、俺達はアイツの帰りを待つとしやしょうか」
ミツバによく似た笑顔で、沖田は笑って見送った。