嘘ついたら針千本のーます
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「おはようございまーす」
いつもの屯所の朝、挨拶をしながら食堂に入った緋村に一気に視線が集まる。
「な、なな…何ですか……!!」
むさ苦しい男共の視線に驚いたのか、彼女は冷や汗を垂らしながら一歩また一歩と後ずさる。それに対しずんずん近寄ってきたのは厳つい顔がトレードマークの原田であった。
「ど、どうされたんですか原田隊長……!!?」
「緋村、お前、このやろ、何で隊服なんか着てんだよ!」
「はい?だって職務の時はこれでするのが常識じゃないですか」
「職務!!?お前今日非番じゃないのか!!?」
「えぇ?はい、そうですけど…」
「何でだよ!!!」
「えぇええぇ!!!?」
一体何が何だか分からぬまま詰め寄ってくる原田や隊士達の雰囲気に負け、遂に食堂から片足がはみ出そうになった時、緋村の後ろ襟を軽くつまみ上げ半ば無理矢理助け舟を出してくれたのは土方であった。
「朝から何やってんだお前等…」
寝起きなのか、いつもより数倍掠れた声で土方は呟く。
まだ後ろ襟を捕まれた状態の彼女は至って気にする様子もなく「何か原田隊長が頓珍漢な事を言い出すんです」と言った。
それに対し反論したのは勿論原田だったが、言い出した直前に庭の方からバシャバシャと派手に水を弾く音が聞こえてくる。何の音だと一同が庭に目を向ければ、沖田が欠伸をしながら池の鯉に餌をやっていたのだが、それを見て彼女は素早く土方の手から離れ庭へと降りる。
「ちょっと隊長!!まさかその餌…!」
「おー、糸」
「あぁああ!!!やっぱり沖田印じゃないですかぁ!!」
「この前新しいブレンドに成功したんでさァ」
鯉をこれ以上凶暴化させないで下さいー!!という緋村の叫びが朝の屯所に響く。
土方達は知っているであろうが、"沖田印"とはその名の通り沖田が開発に関わった商品につくブランド名のようなものだった。屯所の中では殺傷能力が高いものばかりを取り揃えられていると名高い沖田印。
それは土方の敵以外何でもなかった。
「鯉の餌なんですから沖田印は使わないで下さいよ!!」
「いや、折角作ったもんでねィ…」
「この餌を食べた鯉達がどんどん凶暴化していってるんですよ!!?この前指食べられそうになったんですけど!」
「そらあれだ、食べようとしたのは鯉じゃなくてピラニアだろ」
「ここには居ません!!」
「いや、俺が放しておいた」
「えぇえぇええ!!?」
沖田隊長のバカー!バカとは何でィバカとは。
そこにはいつもと何も変わらない彼女の姿があって、それが原田達にはやけに痛々しいものに見えた。
彼女が無理をしているかまでは見抜けないが、あまり知らないからこそ、ここまで心配してしまうのだ。てっきり休むものかと思っていたのに、緋村はいつものように隊服を着てやって来た。
「アイツは、アイツだよ」
土方がスッと目を細めた先には沖田とやんややんや騒いでいる緋村が居る。
「真撰組隊士、緋村糸だ。それだけで良いだろ」
バシャン、と一際大きな音を立てて、鯉が跳ねた。
二度と会えないと分かっているからこそ、甦る楽しかった思い出はツライものがあった。
バシャン。池の鯉はやたら元気で、沖田印の脅威を思い知らされる。
緋村は午前に見回りを終えていて、今はしばし昼休憩をもらい、食堂前の縁側にぼんやりと座っていた。
食事を終えて足早と去っていく隊士達の足音を背中で聞いていると、いつの間にか誰も居ない事に気がついた。
鯉だけが元気に泳いでいる。
大きな音を立てて跳ねて、そして静かな水底に戻っていく。その一瞬の弾け方を、彼女はアレと似ていると思い出しながら柱に頭を預けた。うつらうつらと睡魔が襲う。
「(ねっむ……)」
睡眠時間を減らしている訳ではないが、最近それ自体が浅いのは確かだった。
目をこすり、頬を軽くパンッと叩けば奥からやって来た近藤に「ははっ」と笑われた。
「眠いのか」
「あはははは…」
思わぬ所を見られ、彼女は若干頬を赤くしながら視線を鯉へと向けた。少し距離を取って近藤も縁側へ座り、昨日に引き続いて天気の良い空を見上げて「良い昼寝日和だなー」と呑気に呟いていた。確かに。そう思いながら彼女も空を見上げる。
バシャン。
「おー、元気だなー」
「沖田隊長のせいですよ。一体あの鯉をどうする気なんでしょう…」
「食べる、って言ってたぞ」
「食用にしようとしてるんですか!?」
段々恐ろしい彼の計画が見え隠れした所で、もう一度鯉が跳ねる。
緋村は暖かい陽気に包まれながら、とりとめのない事を話し出した。
「鯉って、なんか花火と似てませんか?」
「ん?」
「あ、鯉って言っても屯所の鯉限定なんですけどね。何か元気に跳ねて、そっから急に静かになるのが似てるなぁって」
「花火も一瞬で消えるからなぁ」
「でしょう?」
緋村はニコリと笑って庭へとおりて、軽くのびをした後に深呼吸を数回した。その背中の小さい事。近藤は数日前に彼女の部屋で見た、あの今にも崩れそうな背中を思い出してしまった。
「ねぇ、局長?」
「どうした?」
少しだけ振り返っている彼女だが、前髪や角度の関係で表情までははっきり見えない。だが、口元だけは微笑んでいたような気がする。雲からもれている太陽光に目を細めながらも、彼は比較的優しい声で応えてやった。
「今日はみんなやけに優しくて困っちゃいますね」
「そうだなぁ」
「……やだな、何で局長がそんな困ったような顔するんですか」
「そう見えるか?」
「そう見えますね」
そんな顔で笑わないで下さいよ。穏やかな声で言った彼女は、空の頂点にまで上りきった太陽を眩しそうに見上げた。
角膜、前眼房、瞳孔、水晶体。それらを通って真っ直ぐな光が彼女の目に筋をさす。思っていたより鋭い光に、反射的に涙が出始めた事に対して、緋村はもう一度目をこすり頬を軽く叩く。
「眠いのか?」
「えぇ、そんな所です」
声が泣いていたのを、近藤にはすぐに分かった。
それを必死に隠そうとしているのも分かった。
「糸」
「……何でしょう?」
彼女は決して振り向かず、風に髪を遊ばせながら返事をかえす。それを敢えて気にとめず、糸は良い子だなぁ、と唐突に言い出した。顔はいつも通りの笑顔だ。
「……はい?」
また振り返る事なく言葉を返した。
土方の話し方とは違い、近藤のは脈絡がないというかぶっ飛んでいるというか、幾ら緋村でも分かりかねる。
「そりゃここの男共も心配する筈だ!」
「……」
「何かほっておけないしなぁ」
「……もう子どもじゃないですけども?」
「そうだな。糸はよくここまで立派に成長したもんだ!!」
「……」
「あの人に育てられたんだ、そりゃ周りから愛される良い子に育たない方がおかしいってもんよ!」
「……私は…そんな……」
「……」
「そんな人間じゃ……無いですよ局長……」
彼は果たして彼女の入隊理由を知っているのだろうか。
復讐という念に駆られ只ひたすらに剣の腕を磨いていた自分の思いを、近藤に話した事はない。いや、誰一人として自分の口から言った事は無かった。
近藤はいつも緋村を1人の隊士として評価してくれていて、時にはまるで娘のように可愛がってくれる。そんな彼にずっと言わなければと思っていたのだ。真っ直ぐな魂を持っている近藤だからこそ、すみませんと直球をぶつけるしかない。
隊士ともあろう人間が私情に捕らわれ、江戸を守るどころか、何もかもを投げ捨てていた事に対し謝らなければいけなかった。
彼女は一度、土方に強くなりたいと話した事がある。
あれは嘘ではない。
だからこそ彼女は、これから世話になった彼等に恩を報いるよう、人を守る為に強くなりたいと願った。
「局長っ、私……!」
やっと振り返った緋村は眉間に皺を寄せて、今にも泣き出しそうな悲しい表情だった。確かにこれではトシもたじたじになる訳だ…。心のどこかでそう納得しながらも、近藤は「どうした?」と問いかける。
「私…っ!」
ついこの前も小さな八つ当たりをぶつけてしまったばかりだ。
良いですね、局長は。会いたい人にすぐに会いにいけて
なんて馬鹿馬鹿しい言葉だったのだろう。
思い出せば思い出す程自分の餓鬼っぽさに嫌気がさすが、近藤はさして気にはしていない。それが緋村の本心であるならば、第三者がどうこう言う必要は無いのだ。
「総悟は、やっぱり今日は休んで欲しかったみたいだな」
「え…?」
言葉につまった彼女を助けるように、近藤が優しく笑いながらそう言った。
「この頃アイツ、少し変だと思わなかったか?」
「変……ですか…?……あ!ちゃんと仕事をするようになりました!」
「だろ?それはな、糸が今日は休めるように仕事を片付けてたんだ」
「へ……?」
「ちゃんと書類も片付いたら糸もいつもみたいに怒る真似しなくて良いだろ?見回りだってしっかり行けば”早く行けー!”って探し回らなくても良いしな。そうしたら、1日ぐらい休めるだろ」
何も知らなかった。
まさか沖田が自分の為にそんな行動を取ってくれていた事など、いつもの彼が彼なだけに思いも寄らない真実に今ようやく辿り着いた。
「じゃあ…去年も……?」
「そうだろうなぁ…。でも糸はそれに甘えて絶対休まねぇから、トシもぶつぶつぼやいてたぞ」
「ぼや…!?ど、どうしてですか!」
「…大体、今日から一ヶ月前ぐらいに予定を調整するんだよ」
「予定を調整……?なんの為に…」
「糸の為だよ」
「私…?」
近藤は頷いて笑った。
「1カ月前からなら糸と周りの隊士の予定を調整して休みが取れるからな。トシも、今日ぐらいは糸に休んで欲しいって思ってるんだぞ?…まぁ不器用な男だからそう中々はいかんみだいだな。相手が相手だ、仕方ない」
すぐにでも思い出せるその時の土方の姿。寝不足で疲れきった顔を引っ提げてでも予定を組み、「何でアイツは休まねぇんだチキショー」とぼやきながら頭を掻いていた姿はまるで過保護な親のよう。まさか鬼の副長が1人の隊士にこうまで振り回されるとは、出会った当初、思いもしなかっただろう。
「山崎だって、隊士達だって、みんなお前の事が好きだぞ?」
彼女の知らない所で、色んな作戦が決行されていた。
緋村が風呂掃除の当番ならそれに先回りして終わらせたり、夜番に入っている事が分かればそれなりに偽造して代わったり、イライラしているように見えたら目のつく所に甘い物を置いたり、縁側でぼーっとしていていつの間にか眠りこけていたらそっと羽織りをかけて忍び足で立ち去ったり…。それはこの1カ月の間に繰り広げられていたもので、彼女にしたら身に覚えのあるもの。
まさかそれが自分を思って行ってくれていた隊士達の行動だったなど、彼女は考えもしなかった。
近藤や土方のように彼女の非番という休みを与える事は出来ない隊士達。
また、彼女が望まないかぎりその非番を与えてやれない近藤と土方。
全部全部自分の為だった行動に、熱いなにかが彼女の胸に込み上げる。さっき見上げた太陽のような鋭い光ではなく、ぼんやりと灯って行く暖かい気持ち。
何も、知らなかった。
「今日は詰め寄られなかったか?」
「え…?」
「何で休んでないんだ、って」
「あ……」
いま思えばあれは自分を心配して詰め寄られていたのか。
私はまだまだ子どもだ。何も分かっていない。
不意に彼女の視界がじわりと歪んだ。