嘘ついたら針千本のーます
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自分の兄の命日を明日に控えた今日、彼女は数人の隊士からこんな事を言われた。
明日の仕事は俺達に任せて、明日は休みなよ。
どうせなら2日連続で非番ってのも悪くないと思うぞ?
緋村はいつも働いてくれてるから、サボったりしても文句は言われないって!
全て、生前の兄を知らない者達ばかりに言われたものだった。
恐らくは近頃の彼女の異変に気付き近藤にでも詰め寄ったのだろう。どこまで話しているかは知らないが、それを彼女は別に嫌だとは思っていない。寧ろ、何も感じていなかった。
兄の命日が明日で、そして自分は働いて、周りから休めとすすめられている。
それだけの事だった。
20㎝ぐらいの書類の束を抱え、足元が見えなくても慣れた足つきで廊下を歩いていく。ここの構造は既に体が覚えていて、ついでに飽きる程訪れた部屋の前で立ち止まる。
「沖田隊長、失礼しますよ」
中から返事は聞こえない。もしかして、と襖を開ければそこには誰もおらず、すっかり冷え切ったお茶と書類が机の上にあるだけであった。
「まーた逃げたか……?」
だがしかし、いつもの様に"仕事"から逃げた訳ではないらしい。
その証拠に、机の上に置かれてある書類は全て片付けられている。いつも仕事をさぼる沖田にとっては有り得ない事がここ数日続いているので、彼女は怪訝そうな目つきでそれを一枚一枚眺めていく。特に目立つミスもない。
「あの人本当に隊長かな……?」
まさかの偽者疑惑が出るが、仕事面以外での彼はいつも通りだ。至って普通に彼女をからかったり、くだらない話をしてきたり、特に変わった面はない。
取り合えず沖田に渡す筈だった書類を数十枚置いて、残りは土方の元へと持って行く。
ついでにお茶でも持っていくか。
小姓の居ない彼にとって、緋村という存在はやけに大きい。
「副長、失礼します」
「おー入れー」
返事すると共に煙を吐き出せば、足を踏み入れた途端「ケムッ」と彼女が顔を歪める。まるでこの部屋だけが火事の現場後のように煙が漂っており、色としては白だが、喫煙者でない彼女にとっては肺にも喉にも目にも毒であった。
それが沖田ならば土方は特に気にもしなかっただろうが、女である緋村だからこそ、渋々と「なら換気しろよ」とぶっきらぼうに呟く。
スパン!
気持ち良いぐらいの音を立てて障子が開けられれば、今まで締め切られていたこの場に光が射した。
「今日も良い天気ですねぇ」
とりとめのない事をいって、緋村は笑う。
雲一つなく、青い空がどこまでも広がり、気候も丁度よく響き渡る街の色んな音が耳に心地良い。
「良い天気です」
緋村が入隊してきた日も、確かこれ程晴れた日の事だった。
「お前…、」
「はい?」
もって来てくれたお茶に軽く礼を言い、土方は目を書類に向けながら彼女に話しだした。
「数日前またひったくり捕まえてくれたんだってな」
「え?…はぁ…まぁ……」
「ご苦労さん」
「いえ……」
この副長は分かっている、と彼女は膝の上で作っている拳を強く握った。
ひったくりを捕まえた事など過去何度もあり、その度に小さく褒められたりはした。だが今回は声音が少し違うと感じ取れたのは、やはり彼女が優秀だからなのかもしれない。そんな所が可愛くない、と緋村直属の上司である王子様はぼやいたりするが、この場で単刀直入に話をしたい土方にとっては好都合。いつの間にか自分から目を逸らしていた彼女を捉え、土方は唐突に「会わないのか」と続けた。
話としては繋がっていない。
だがそれが何を意味しているのかはよく分かっている。
もう、緋村はあの頃のままの子どもではない。
「…会わないんじゃないんです。会えないんです」
「………」
そっと彼女が顔を上げた。その瞬間、しまった、と土方は焦る。
緋村にこんな悲しげに笑わせるような顔をさせようとは思っていなかったのだ。彼の銜えていた煙草から灰がポロリと落ちるように、彼女の言葉も色を無くしたそれのように落ちた。
「私、もう、ここの皆を困らせたくないんです」
それは昔の己を悔やむように言われた言葉。そしてこれからの誓いを表した言葉。
緋村は静かに、失礼します、と頭を下げて部屋を出ていった。足音が遠ざかりやがて聞こえなくなった所で土方が困ったように首の後ろをかく。煙草を押し潰し、すっかり乾いた口を彼女の持ってきてくれたお茶で潤した。程好い苦さがあって良い味だった。
「まずったなコリャ……」
土方としては只、昔にケジメをつけるという点だけに注目して、彼女と明日出所してくる人物との接見を一つの案として提示してしまっていた。
それがまさかあんな展開になるとは思わなかった。
どうせなら「嫌だ!」と叫んでくれた方がどれだけ楽だったか……。土方は今更後悔するが後の祭り。彼女が真撰組を想う気持ちはそれ程大きかった。
そんな事を見抜いてやれない苛立ちに、もう1本と煙草に手がのびる。
「(クソッ……隊士をまとめる副長ともあろうものがよー……)」
私、もう、ここの皆を困らせたくないんです
その言葉に、彼はやられた。
「(この場面を総悟が見てたら多分オレ殺されるな…)」
昔からの二人は知っている。何より互いを嫌って、何より近くに居あって、いつの間にか肩を並べて歩く様子はまさに兄弟のよう。
フと彼女の兄が甦った。兄妹であるだけ、緋村によく似た笑みを浮かべている。
「アンタが生きてりゃ、あいつはここに居たんだろうか……」
それはそれは奇妙な巡り合わせ。
土方は出会った頃の彼女を思い出す。
周りを拒否して、まるでこの世に1人で居るような孤独感を持っていた少女。それを解いてやっていったのは自分達なのだろうか?
そうだと良い。
それなら、今度彼の墓参りに行く時に堂々と胸を張れるような気がしたのだ。
それでもまだ救世主を豪語するには早い。
緋村はまだ、全てを吐き出す場所を持っていない。
この真撰組は彼女の帰るべき場所であって、だからといって何もかもを曝け出してくれている訳ではない。
心配してやっているのは単なる上司だからか、それとも引き継いだ兄心か、土方は最後にミツバに会った時をぼんやりと思い出す。
もう会えはしない、
遠くに行った訳ではない、
只存在しないというだけで距離はこんなにも長くなり決して相容れる所の無い場所まで引きちぎる。
約束も、待ち合わせも、どんな決め事も一瞬で消されてしまうその距離感を、土方もよく分かっているのだ。
「(はぁ………不器用な人だな……)」
まさかたまたま通りかかった山崎が事の一部始終を見ていたとも知らず、土方はまた新しい煙草に手を伸ばしたのだった。
*
秋晴れの空の下、あれから緋村は特に見回りがある訳ではないが街をブラブラと歩いていた。何故だか屯所でジッとしていられなかったのだ。
落ち着きがなくなっているのは、きっと明日が関係しているからなのだろう。自分の未練たらしさにモヤモヤしながらも、彼女は人の行き交う道を歩き続けた。
いつもとは違う心の中。
そんな些細な変化が周りの景色をグルリと変えた。
普段は目につかないような場所に注意が向けられるのだ。それは例えば通り過ぎる人の服だったり、賑わう果物屋の中であったり、極めつけは兄とよく似た年齢の男性を目が追ってしまうのだ。それには緋村も冗談じゃないと自分を叱った。
もう兄はここに居ない。
それは重々承知しているが、体がそれを納得していないような気がした。その拍子に体内を蠢いている何かが暴れ出しそうで、彼女は思わず右手首を強く握って肩を強張らせた。周りは彼女の異変に気付いていない。何て事ない景色に真撰組の隊士が1人居る。それぐらいの認識だろう。
けれど緋村にとっては、昔の自分を支配していた孤独感に近い何かが手招きしてを呼んでいるように感じられた。
その先に行けば、その距離を歩けば兄に会えるとでも言うのか。
彼女は手首をぐっと握って強く目を瞑った。よく分からないこの波が早く静まるようにと祈れば、ねぇ、と不意に声がかかった。
「あ……」
「ねぇ、お姉ちゃん大丈夫?どこか具合悪いの?」
それは小さな男の子の声。
不思議とその第一声ですぐに現実へと戻ってこれたような気がした。
「ううん、大丈夫。ちょっとボーっとしちゃってて…」
「そうなの?ならあそこの公園で少し休んでいけば?」
「……君、公園で遊んでたの?」
「違うよ。おつかいしてた」
「おつかい…?」
「うん。僕もう6歳になったから、おつかい行けるようになった!」
「そう、偉いね」
両手で自分が6歳という事を示してくれたその子の頭を彼女は優しく撫でた。
「でも、おつかいの途中なら公園にいちゃ駄目なんじゃないの?」
「んー…、でも公園は人がいっぱい集まるから!」
「??」
おつかいの内容が一切分からなかったが、相手が6歳という事もあり尋問のように深くは追求しない。ただ「偉いね君は」と優しく褒める。それに対し男の子も嬉しそうに笑い、じゃぁね、と手を振って近くの公園へと戻っていったのだった。
いつの間にか、原因不明のモヤモヤは落ち着いていた。だが完全に姿を消したという訳ではなく、気を抜けばまた訳の分からぬ感覚に襲われるかもしれない。そうなる前に早く屯所へ帰ろう、と踵をかえせば「あ!緋村ー」と一番隊の隊士の声が聞こえてきた。どうやら見回り組らしく、いつも通り、彼女に接してくれている。例え目に見えて様子がおかしくとも、彼女には何も聞かない、触れない、いつも通りあるだけだった。声が大きいなぁ、と彼女は照れ隠しに呟き、それでも駆け足に手を振っている彼等の元へと走り寄ったのだった。