平和なり
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この時ほど、銀時が愛するジャンプを買いに出かけた事を後悔する事は無いだろう。いつもは滅多にならない万事屋のチャイムだが、この日は昼過ぎに一度だけ鳴らされた。ピンポーン、と家に音が響いた後、「ごめんくださーい」という女の声。ワイドショーを見ている神楽は出る気もないし、洗い物をしている新八だってさらさら頼る気は無い。
「はーい!」
新聞の勧誘かもしれないが、その考えが先走って出なかった後、あれが仕事の依頼だったとなれば物凄く後悔する事を彼は知っている。濡れた手をタオルで拭いて、返事をしてから玄関へと向かった。ドアの向こうに見えるシルエットは着物を着ている人間なら似たり寄ったりなものだが、新八はかけらた声に聞き覚えがあった。それもつい最近聞いたばかりのような…。
「はいはーい」
鍵を開けてドアを横に引けば、そこにはやはり知った人物がお菓子の袋を提げて立っていた。彼女が、来たのだ。
「こんにちは志村さん」
「緋村さん!?どうかされたんですか?」
「そんなに驚かなくても…。安心して下さい。厄介な事を頼みに来た訳じゃないんです」
「え?」
「先日は本当にすみませんでした。屯所の馬鹿らしい騒動に巻き込んでしまったようで……」
「あ、そんな!あれは僕達も悪いって言うか……お金儲けに目がくらんでたって言うか…」
「…あまり気になさってないようで安心しました」
そう言って、袴姿の緋村はフワリと微笑んだ。隊服を身にまとっている時とは雰囲気が少し違い、新八は柄にもなく頬を染めてしまう。
「?」
なぜ新八が赤くなっているかもしらず、緋村は持っていた紙袋をずずいと差し出した。中には高級お菓子が入っている。不思議そうに眉を寄せた新八に対し、彼女は「お礼です」と一言だけ告げた。
「今日は近藤局長の代わりに僭越ながら私がやって参りました。先日の一件のお礼です。どうぞお受け取り下さい」
丁寧なその言葉遣いに新八は一瞬呆気に取られたが、すぐにその紙袋を緋村へ押し返した。貰えないには少し罪悪感があったからだろう。一方的に真撰組に頼まれて屯所に赴いたのなら素直にもらっていたかもしれないが、自分達は「祓い屋」などという架空の集団を演じ、真撰組を騙して中へと侵入してしまっていたのだ。松平の所に居た緋村がそれを知る筈は無いが、そう知っていながらお礼をしてくる近藤のお人好しさにため息が出る。
「あの…?」
「こんな立派なお菓子受け取れませんよ」
「立派だなんて…。これは局長のせめてものお礼ですから、どうぞ受け取ってやって下さい。じゃないと、私が屯所に帰れません」
「う…!」
そう言われると、その言葉が本気でないと分かっていても、言い返す言葉が新八には分からなかった。こういう対処の仕方は緋村が一枚上手なのか、新八が怯んだ先にしかとその手に紙袋を持たせた。
「美味しいですから、万事屋のみなさんでご賞味あれ!」
屯所一押しのお饅頭なんですよー、と笑っている緋村は、この前の騒動の一面とちっとも重ならなかった。仕事をこなす彼女の顔は真剣そのものだった。仕事とプライベート、そのメリハリをしっかりつけている彼女に新八は少し感心した。
「あ、糸ー」
「神楽ちゃん!呼び捨てにしたら失礼じゃ…」
「気にしないで下さい。私は全然構いませんよ」
お菓子の匂いにつられてか、リビングからやってきた神楽は、彼女に挨拶するなり紙袋の中を目をキラキラさせてのぞき始めた。食べ物が好きだからこその行動だが、お客さんの前で失礼だよ、と新八に怒られ口を尖らせる。そんな平和な様子に彼女はクスクスと笑った。そしてやっと、ここの主人が顔を見せない事に気付いた。
「坂田さんはお出かけで?」
「そうなんですよ…(タイミングの悪い男だな)」
「残念。坂田さんにも直にお礼したかったのに…」
「……お言葉ですが、あの人は何も働いてませんよ?」
「強いて言うならムー大陸の入り口を発見したぐらいネ」
「それ凄い発見じゃありません?」
ムー大陸という単語が飛び出してしまったが為に話が脱線する事を恐れた新八は、わざとらしく咳払いをしてから場を正し、彼女を家に入るように促した。お客をもてなす礼儀は姉にならっている。彼女を気にいっている神楽も、わざわざ手を引き招き入れようとするが、彼女が玄関から上に上がる事は無かった。
「いえ、私はここで失礼します。連絡も無しに来なかった上に、お邪魔するなんて事は出来ません」
「そんなの全然良いアル!銀ちゃんが帰ってくるまで居るヨロシ」
「そうですよ。そっちの方が銀さんも喜ぶ……」
「?喜ぶ?」
思わず出てしまった言葉に、新八は内心「しまったアァアァァ!!」と大声で叫んでみた。喜ぶ、なんて確証が今の新八に言い切れるかどうかは微妙だが、只何となく喜びそうだと思って言ってしまったのだから仕方ない。
しかし、全く意味の分かっていない緋村にはこの言葉の意味をどう説明すれば良いか分からなかった。銀時の気持ちの全てを知らないが故に、言い訳の仕方もよく分かっていないのだ。そんな時、純粋な神楽が子どもならではの理由を述べる。
「美味しいもんは大勢で食べた方が美味しいアル。糸なら坂田家の食卓に入れてあげても良いヨ」
「(グッジョブ神楽ちゃんんんんん!!!!)」
思わず無言でガッツポーズを決め込んだ新八だが、それでも緋村は甘える事は無かった。格好を見る感じ今日は非番らしいが、やる事は自室に所狭しと待ち受けているのだろう。幽霊騒動の間にたまっていた仕事を、今の間にも片付けておいた方が賢いのかもしれない。そう考えている彼女は、神楽の手から離れ、一歩退いた。
「坂田さんにはまた後日お会いした時に挨拶しておきます。今日は突然すみませんでした」
「そんな、こちらこそすみませんっ!」
「また来るヨロシ」
「うん、ありがとう」
「お仕事気をつけて下さい。色々大変だと思いますが、休養は取った方が良いと思います」
「駄メガネが偉そうに何言うネ」
「何だとオォォオォ!!!」
「ふふ、ありがとうございます、心配してくれて。そのお気持ちだけで凄く嬉しい。…そうですね、休養は大切ですもんね。……帰ったら仕事しようと思ってましたが……折角の非番ですし、少し体を休めてみます。助言どうもありがとう」
「いえっ」
「またネ」
「坂田さんに、よろしくお伝え下さい」
軽く頭を下げた緋村が、見送ってくれている2人のもとを去ろうと足を階段へ向けた時、下の通りに響く悲鳴に彼女の空気は一瞬にして仕事モードへと切り変わった。すぐに2階の手すりから周りを見渡し、その悲鳴の発生場所をさぐる。しかし聞こえた感じからして、ここからは見えないもう少し先のように感じたのは、緋村の仕事の勘だ。
同じようにして両隣の新八と神楽も見渡すが、何が起こってるかさえよく分かっていない。しかしそんな時、一台の黒ずくめのバイクが人の間の縫って、猛スピードで万事屋の下を走っていくのだけは分かった。その一瞬で彼女は、そいつの手に女物のバッグがぶら下がっているのを捉えた。
「ひったくり…っ!」
「え?」
小さく吐き出した彼女の呟きを2人が聞いた時には、その本人は既に階段に足をかけていた。それも降りるという動作がもどかしいのか、数段飛ばしで半ば飛び降りるようだった。
「糸早ァー……」
「………」
神楽はその行動に感嘆の声をもらし、新八は呆気に取られている。そうとも知らずに緋村は辺りを見渡して何か乗り物が無いかを探していた。通り過ぎていった対象がバイクと分かっている以上、走ったって捕まえれる自信は流石に無い。だが、この通りは本来車は中々通らない場所で、徒歩の人間しか視界にはうつらない。
「走るしかないか……っ!」
緊迫しているこの通りの中、緋村が意を決し逃げた方向に走り出そうとした時、神は彼女の全てを見放した訳ではなかったらしい。ブロロロ、とこの空気を解いていくような呑気な音が彼女に向かってくるのが分かった。
「あれ、緋村じゃねぇか」
「!坂田さん!!」
たった今買い物から戻ってきた銀時が、彼女が居る事に驚きながら真後ろへとスクーターを止めた。因みに今さっき角を曲がってこの通りに出てきたせいで、周りの空気は分かっていない。しかし説明する義理も暇も無いのだから、彼女はこれ幸いにとスクーターから降りた銀時に駆け寄った。まあ正しく言うならば、スクーターに駆け寄ったのだ。
「坂田さんこれ借ります!!」
「はぁ!?」
キーがささっている事を確認し彼女は今にも発進しそうなのだが、それを銀時は訳も分からずに止めた。
「ちょ、ちょっと!離して下さい!危ないじゃないですか!」
「会った瞬間にスクーター乗っ取られたら誰でもこうします」
「あいつを追いかけなきゃいけないんです!協力して下さい!」
彼女の必死な目に嘘偽りが無いのをすぐに理解した銀時だが、何も意地悪で彼女のこれを貸さない訳では無いのだ。
「……ったくよー」
かぶっていたヘルメットを彼女にかぶせたと思ったら腕を引っ張って降ろし、自分が前に乗る。そして、乗れ、と一言だけ呟いた。
「え?」
「急いでんだろ、だったら早く乗れ。このスクーターちょっくらポンコツで上手く運転出来ねぇんだよ。お前がこれ乗ったら事故りそうだ」
「んなっ、そんな事無いです!」
「良いから行くぞっ!!」
「うわっ!」
無理矢理彼女を後ろに乗せて、落ちないように片腕で軽く支えながら、銀時はさっきのバイクの速度をしのぎそうな猛スピードで発進しただした。後輪がギャギャギャと悲鳴のような音を立てたが、スクーターは何とか無事に通りを爆走していく。
「銀ちゃんも早ァー……」
「……僕ついさっき緋村さんに"休養は大切ですよね"みたいな事話さなかったっけ…?」
仕事への切り替えが早いというか、神風の如く消えていった彼女に対し、新八は"怪我だけはしないように"と優しく願った。
「ひったくりよ!!!!」
遠くでそんな声が聞こえた。悲鳴を上げた人物と同一人物なのだろうが、そんな事実新八は分かっていた。緋村の呟きを既に聞いた後だったからである。
「緋村さん凄いなあ…」
「新八ー、銀ちゃんいつ帰ってくるアルかー?」
「んー………ま、夕方には戻ってくるんじゃないかな」
「手助けしに行かなくて良いアルか?」
「………あの2人ならひったくりぐらいすぐに捕まえてくれるよ」
そういいきった新八の声音には、曖昧な期待など無く、はっきりとした確証だけが感じられた。微笑んだ新八の頬を、今日も夏の風が撫ぜる。
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