夜に爪をたてた
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不意打ちを喰らい焦ったものの、避けきれない攻撃ではない。こいつの動きは割と早い方だが、これしきの攻撃、精々体に傷をつけれたら上等だろう。つまり、仮にこいつに殺意があっても俺は殺される事はない。ましてやそんな事があっても、非情だが俺が先に片付けてやる。
「(つっても刀が無ェ!)」
さっきの捕り物で刃こぼれしてしまったから、明日の見回りがてら鍛冶屋に持って行こうと車に置いたままなのだ。血はその場で綺麗にふき取っていたから、そのまま置いておいても大丈夫だと思ってしまった俺のばかやろう。雑魚ならともかく、糸相手に丸腰というのはぶっちゃけつらく、互いに血だらけの体を動かし、真っ暗闇の屯所の廊下で"命の攻防戦"を繰り広げている。何とも可笑しな光景だ。
「ちょ、ちょっと待て!刀が…!」
「戦いに待ったなどありません」
振り上げられた刀を避けるには庭に落ちるしかない。俺は靴下のまま縁側から地面に移り、3メートルの幅ぐらいを保ったまま縁側に立っている糸を見据えた。片手の下段の構えを見て、俺はため息一つ、首に巻いているスカーフを緩めた。
「上司に攻撃するなんて有り得ねェ。というかあのタイミングで攻撃してくるのが有り得ねェ」
「だって、戦いなんていつも不意打ちだらけじゃないですか」
「状況が違うだろィ」
バカかお前は、と言ってみれば、糸は困ったように儚く笑う。さっきの死に掛けた顔はどこへ行ったのやら、この状態に目を瞑れば、いつもの日常しか見えてこなかった。しかしまあ、糸はこんな笑い方は中々しない。恐らくは人を斬って何かの境地を越えたか、見た事のない笑顔を俺に向けてくる。
「たいちょう」
「何でィ」
「私がさっきまで貴方に向けた刀の動きを覚えてますか?」
「はあ?……覚えてるっちゃー覚えてるけど……」
指を一つ一つ折りながら「最初は顎目掛けて上に払われて、そん次は真っ直ぐ突きがきて、それから左払い、んで振り下ろされて……」と呟いてみる。口に出してみれば、この短時間で繰り出された技の量に驚く。しかし糸は、それを聞いてまた微笑む。
「その刀の動き、私が今日の捕り物で繰り出した技なんですよ」
「へぇー……」
何が言いたいかも分からず俺は適当に返事をかえした。糸はそれも気にせず言葉を続ける。
「変な話ですよね。沖田隊長は丸腰でも避けれて、今こうやって距離も保ててるのに……」
「…糸……?」
言おうとしている意味が分からず眉を潜めた。ここからでも分かるその表情。全てを諦めきったようなものに近かった。その割にはこうやって動いて、俺に攻撃をしかけてくるのだから糸にしては珍しく矛盾していると思った。基本サバサバしていて善くも悪くも物事がはっきりしているヤツだから、こうやって曖昧に笑っている裏には必ず何かがあるのだ。
「………」
「………はあ、何だか疲れちゃいましたね」
「待てコラ。話を流すな」
「浴場に行きましょうか隊長」
「おいコラァ」
風にあたって体が冷えちゃいました、とか何とか言いながらヘラリと笑い、刀を一度払ってから自室に落ちてある鞘にそれをおさめた。俺だけが庭に出ててまるでバカみたいだ。結局こいつの、人を斬ってしまった、という後ろめたさの発散に付き合わされただけであって、そのお陰で危うく顎にかすり傷をつくってしまうところだった。今度から捕り物の後のこいつと会う時は、短刀の一つでも懐になおしておこうと誓った。
「えーっと新しい寝巻きはー……」
タンスの中をごそごそ漁っている糸を、俺は障子に寄りかかって見ていた。別に待っているという訳じゃなくて、この際ならとことん付き合ってやろうと思っただけなのだ。それがせめてもの上司の務めと言うべきか…。しかしながら"情けねぇ"と吐き捨てた俺がする行動ではないのはよく分かっている。自分の矛盾さからも疲れが出る。
「はぁ……」
「あらら、沖田隊長。ため息をついては幸せが逃げてしまいますよ?」
そんな事を血だらけの女に言われたのは当たり前だけど初めてだった。摩訶不思議な社会に首を突っ込んでしまったものだ。しかしそれが俺達の居る真撰組であって、平穏に眠っている街の住人には決して理解出来ない世界だろう。
それでも俺はここで生きていく。ここで生きて、ここで死んでいくんだ。糸もいずれはここで死んでいくのか分からないが、いつか来るその時は、こいつが今日人を斬ってしまった事のように必ず通らなければいけない道なのだ。決して目を伏せてはいけない。糸だって、その事はよく分かっているだろう。
「……たいちょー」
「んあー?」
取り出した浴衣を丁寧に畳ながら桶にいれた糸は立ち上がって俺の前までやってくる。刀は部屋の隅に置いてあるので、また攻撃されるという事は無いだろう。俺は腕を組んで障子に寄りかかったまま、目を適当に下に向けて返事をした。
「私、強くなりたいです」
「そうかィ、そら良いこった」
あきれ返った口調で言ってみれば、糸がどこか悔しそうに顔を歪めて視線を落とす。そうして話し出した。
「………隊長は丸腰でもさっきの攻撃を避けれたのに………!」
それは先程の縁側での言葉の続きだった。
「…………」
「なのに……!」
「…お前さっきの動きで敵を斬ったのか…」
口から、肺全体の空気が抜けるような感覚がして肩が少し下りる。その先の言葉を切なげに吐き出した糸の顔が、闇にぼんやりと浮かんで俺にはよく見えた。
「私は、強くなりたいくせに、相手の死に目も怖くて見れないような臆病者なんです……」
表面上に綺麗に見える右手で糸の後頭部を掴み胸元まで引き寄せた。大した抵抗も見せず大人しいこいつを、俺はどう生かしていけば良い?強くなりたいと願うくせに、人に甘すぎて、自分の気持ちもストレスをも表現できないこの女を、俺はどう生かしてやっていけば良いのだ。
「情けねぇ」
呟いた対象が誰に向いているかは分からない。只暗闇が何かを叫んでいるような気がした。足掻いてごらん。井戸の底から響いてくるようなその声に、俺は今一度、右手だけで糸の頭を強く自分の胸元におしあてる。それから前髪付近に口を埋めた。汗も流してねえ体だし血の染み付いたベストだが、今は勘弁して欲しい。足掻いてごらん。その声に反応するように、俺は目線だけを上に向けた。見えない何かが確かに、足掻け、と俺に向かって叫んでいる。上等だ、俺はその通りに立派に足掻いて生きて死んでやる。現に今だってそうしてるじゃねーか。刀を向けてしか自分の気持ちを吐く勇気が得られない女だとか、それを素直に受け止めてやれない俺だとか…。それは分かりにくい動作であっても、ジッと時を過ごしている訳では無いじゃないか。糸の髪を、右手でくしゃりと軽く握ってみれば、足掻け足掻け、と尚更声が強く闇に刻まれたような気がした。
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