そして晴れ
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朝の屯所にドタバタと足音が響き渡っているのは座敷わらしが居るだとか緊急招集だとかでは無く、只単に緋村が廊下を走っているだけであった。本来彼女は礼儀はしっかりなっていて、こんな盛大な足音、ましてや朝に派手な音を立てたりする事はしない。だからか自室でまだ布団に篭っていた土方はその足音の要因が彼女だという事を知らないままイライラを募らせていた。
一昨日に厄介な民事事件を解決させたのだが、その報告書に追われている現実の多忙さは事件があろうが無かろうが変わらないようであった。彼の本当の休養はまだ先の事らしい。そんな日々を過ごしている土方が、唯一体を休められる布団の中で緋村のこのやかましい足音が聞こえるのだからストレスは相当だろう。まさか緋村が立てているとも知らず、しかも近づいて来るのだから、土方は枕元に置いてあった刀に腕を伸ばしゆらりと起き上がってその時を待った。
ダダダダダダ、と何かの大移動のようにも聞こえる音が丁度自室の前に差しかかった時、副長という役を担っているからこその抜刀の早さを見せつけるように、そいつに斬りかかった。言わずもがな相手は緋村である。しかも彼女は土方の部屋に向かって来ていたので、彼の部屋の障子を開けた瞬間にキラリと光る何かが自身に向かってきているのだから心底驚いただろう。いや、その前に土方の抜刀が見えていたのかどうか分からないが、屯所に居座って出来た本能が危険を察知して彼女の足を踏み止まらせたのは事実である。刀の切っ先は緋村の頭を刺さずに済んだ。反射的に彼女はお手上げポーズを作る。
「ちょっと副長!どうして刀なんか向けるんですか危ないですねぇ」
「朝からドタバタとうるせぇんだよテメーは。てっきり総悟かと思ったぜ」
「沖田隊長ならまだお休み中です」
「んな事ァどうでも良い。取敢えず緋村、俺は事件が終わったばっかで疲れてんだ。数分でも良いから休みてェ時にあんなやかましい足音を立てて来るな」
「そうなんですよ副長!事件なんです!その事件について言いたい事があって来たんです!!」
「は?」
既に制服に着替えてある緋村の手には新聞紙が握られてあった。近藤局長に見せてもらって驚いちゃいました、と言いながら土方に見せつけたのは今朝の一面だった。
それは華々しくも真撰組が挙げた快挙について書かれてあった。しかしながら何を驚くのか土方には分からなかった。事件を解決させて、記者たちが面白がって騒ぎ立て、そうして記事になる。そんな一連は彼女だってよく分かっている事である。
だが、彼女が伝えたいのは、記事がのっているという事ではなく、記事の内容の深さについて訴えたいらしい。煙草臭い部屋は換気、と元気に言いながら、緋村はまず障子を開けて空気と太陽の光を土方の部屋に取り入れた。眩しそうに顔をしかめる彼を無視して、彼女は新聞紙をわざわざ畳の上に敷くついでに土方の寝巻きの裾をもひいて、しゃがむように促せた。座り込んでいる彼女のお願いを素直に聞きいれしゃがむのが可愛いトコだが、今はそんな様子はどうでも良いらしい。
「これ!絶対おかしいです!」
必死にその記事をさす緋村だが、その真意が掴めない。内容が無い、と言い張っているのだが、土方が目を通した感じ別にそんなようには思えない。中々理解を得られないのに業を煮やしたのか、「もう!」と言って彼女が新聞紙を持って立ち上がる。
「この記事に書いてあるのは真撰組の事だけなんですってば!」
「そんな事分かってるっつの。だから何が言いたいんだよ」
「もー……!」
どうして分かってくれないんだこの男は。そんな思いが込められたような声であった。
「真撰組が働いたのは書かれてるのに、どうして私の事は書かれて無いんですかっ!」
「は?」
「だから、怪盗ふんどし仮面を捕まえた事がどうして記事になってないんですか!」
「……それで?」
「それで!?あーあーあーあーあー、どうせ土方副長にはどうでも良い事でしたよね、そうですね、そうですよね。何かを期待した私がバカでした」
「そうだな。俺に期待するお前がバカだ」
「土方副長の鬼!」
「聞き飽きましたー」
「近藤局長は"糸が折角頑張って捕まえたのになー"って言って下さったのにー!」
最後にそう言い残し、緋村はまた遠慮なく足音を立てて土方の部屋を去って行った。
「だから足音を立てるなアァァアァァァ!!!!!」
しかし土方が叫ぼうとて彼女はもう声が届かない場所まで走り去ってしまっている。大方、今度は同じ一番隊の隊士に意見を求めるのだろう。
そりゃ今回は私情を少し挟んだにしろ、緋村があそこまでこだわるのは珍しい事だった。よほど下着を盗まれたのに腹が立ったのか……何にせよ珍しい事なのだ。
何が、と聞かれれば緋村のテンションの上がりよう。自分の栄光を見せびらかすような性格では無いのだが、今回は特別として土方も深くは考えなかった。あれはきっと彼女のはしゃぎ方の一種のようなもので、喜びの裏返しだったりするのだろう。今日も沢山の仕事が残っている土方は、今から頭を使う事なんて無いましてや緋村の事で、と失礼な事を思いつつ制服に着替える。洗濯が終わっているシャツはどこか硬くて、アイロンが行き届いているのかシワはとても少なかった。そんなシャツを見れば、土方はとある事に気付く。シャツ姿だった彼女だったのが、どことなくシワが寄っていたように思えたのだ。身なりは屯所に居るぐうたらな男共とは違いしっかりしている方なので、シャツの管理もしっかりしている。シワのあるものを選ぶとは思えなかった。
「あ………。あいつ夜番だったのか?」
いつもの制服姿になった土方が机に投げ出してあった振り分け表を見てみると、緋村は昨日の夜から今日の朝方まで夜通し働いている事となっていて、今の時間から昼過ぎまで休憩となっている。夜番明けに少し悪い事をしてしまったか…、と考えてしまうのは緋村が唯一の女だからである。それに気付いている土方は「差別はいかん」と思いながらも、近藤とは違った形の優しさが出てしまうのだから仕方ない。
"近藤局長は糸が折角頑張って捕まえたのになーって言って下さったのにー!"
そんな叫びを残して走って行った彼女を思い浮かべ、軽く噴出してから土方は部屋を出た。
結局あの後緋村は、沖田を筆頭とする一番隊の隊士や他の隊にまで記事を見せては意見を求めたが、「緋村ドンマイ!」とバカにするような笑みしか返って来ないのに失望していた。昼まで非番という事で自室にこもり、机に置かれている書類に目も通さず寝転んでいた。彼女自身あの事件が終わってから体を休ませる時間などそんなに無かったので、不貞腐れつつ腰を下ろす時間があるのは内心有難かった。
ゴロリと仰向けになって手の届く範囲にあった新聞を広げる。書かれている真撰組の手柄。それが嬉しくない訳ではない。ただ土方が不思議がった通り、彼女が自分の栄光を記事に載せねばと思う気持ちはとある約束に基づいての事なのだ。でなければ土方の部屋に押し込んでまで不満をもらしたりはしない。徐々に高くなっていく気温と共に日差しも心地の良いものになってくる。どうせ昼から勤務に戻るのなら今の内に睡眠を取ってしまえ、と彼女が座布団を枕代わりに手繰り寄せた時、誰かが庭からもれてくる日差しを遮った。丁度寝始めるという良いタイミングで己を邪魔しにくるのは沖田しか居ない。と、彼女は職務の経験上考えた。大体、人が非番という幸せを浸っている時に沖田が訪れる確率が高いからであった。それが故意的なのか偶然なのかは知らないが、部下からしたらそれは故意的に思えるらしい。
今そこに立っている人物はきっと沖田で自分の睡眠を邪魔しに来たに違いない。そう思い込んで瞑った目は開けずに無視を決め込もうとしたのだが、彼女にかかった声は沖田のものでは無かった。
「寝てんのか?」
この声はまさしく今朝彼女が足音で起こしてしまった声だった。
「……どうされました?」
まさか土方が来るとは思っていなかったので、驚いた声を出しつつ彼女がすぐに体を起こした。自分の予想が外れたのを、やっぱり沖田隊長は何かと意地が悪い、とこの場に居ない彼に八つ当たりしてから思わず正座して向き直る。そんなに畏まらなくてもいい、と土方は先に言っておいて、一歩だけ彼女の部屋に入った。わざわざ空いてる時間に自分を訪ねてくる用が分からず、彼女は土方を見上げたまま大きな瞳を向けて言葉を待っている。
「……何だよ」
「いやこっちの台詞ですけど。何か御用ですか?沖田隊長の書類に不備でも?」
「いや…。…………わり、何もねぇ。昼までゆっくり休んどけよ」
「はぁ?」
「それじゃ」
「ちょ、ちょっと待って下さい!!」
中途半端な感じにはぐらかされては流石の緋村も気になるのか、何事もなく歩き始めた土方の背中を追いかける。
「何だよ。俺ァ今から見回りなんだ。お前は昼まで休んでろ」
「え、ちょっと、土方副長は何の用があっていらしたんですか?気になるじゃないですか!」
教えろ土方コノヤロー、と絶対に沖田譲りの話し方で彼女は玄関まで土方についていった。慣れた手つきで靴紐を結んでいる土方を覗き込む緋村を、副長ー、とまるで観念したような声を出している。ここまで来てしまえば気になって仕方ないのだ。
しかしぶっちゃけ大した理由も無い土方としては、今更口を開くのも面倒くさい。ただ、緋村が部屋に居たら飯にでも連れていってやろうと思っただけなのだ。近藤のように素直に褒めれる性質なら楽だったのだが、そんな事を相手に簡単に言える程土方はおしゃべりでは無い。かと言って(半分私情で)頑張った緋村の働きを無視する事は出来なかった……ここがこの男の優しい部分である。
「ねー、フクチョー」
「……」
門を目指して歩けども彼女に片腕を掴まれているので引っ張るように進む。さっき訪れた緋村の部屋で土方が見たものは、座布団を枕にして目を瞑っている彼女だった。寝ているとは思っても居なかったようで、見える光景に何を言えば良いか分からない。いや、その場合何も言わずに立ち去るのが良い方法なのかもしれないが、彼女の枕元に置いてあった新聞紙に目が言って思わず声をかけてしまったのだ。寝てるのか、と。
「ふーくーちょー!」
一旦止まって引っ付いてくる緋村を見やる。気のせいでなければ、先程は眠たそうな目が今では軽く冴えているように見えた。シャツのシワの理由は知っているとしても彼女が着ればやけに目がつくようにも感じ、クセ毛の多い髪も勤務続きで一段とはねている。女性らしさには欠けているかもしれないが、真撰組の中では一段と小柄なこの隊士が、数日前の事件の解決に大きく貢献したと思えば凄いと思えた。それは、彼女に対してである。稽古中の時とは違う柔らかな瞳で彼女は土方に訴え続ける。
「気になるじゃないですかー!」
「……」
だから大した理由じゃ無ェし。この空気では何とも言い難いものであったが、ここまで来たからこそ言える事もある。
「…飯、食いに行くか?」
ぶっきらぼうな言い方だったが、彼女はその言葉をゆっくりと理解していったのか、表情が段々と明るいものへと変化していく。単純極まりない態度を見て土方はそれを肯定と受け取った。ポケットから煙草を一本拝借して、火をつける前に彼女に言う。
「ここで待っといてやっから、せめてベストぐらいは着て来い。そのシワだらけのシャツで街中歩かれちゃ世話ねぇや。…あ、刀も差してこいよ」
銜えたままよく話せたものだが、ちゃんと全てを聞き取った緋村は元気よく返事をして縁側から屯所の中へと戻っていく。朝よりは静かだったが、それでも足音は微かに響いた。その隙に土方が密かに財布の中身を確認していた、という話はその時の門番だけが知る話である。
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