願う日々
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その日の夕方、山崎が門の前に出てきたのは偶然であった。暑かった昼間を思わせるように、隊服のズボンは膝下まで折られていて、靴ではなく下駄を景気よく鳴らしながら門へと向かった。
ひょっこりと顔を出してみれば、これもまた偶然、先から見慣れた人物が見えた。昼間に見回りに出た筈なのに中々帰ってこず、今日も土方をイライラさせていた沖田であった。それからもう一人、知った人物が沖田を追いかけて隣についていた。華やかな着物では無いが落ち着いた色合いの召し物で、手には柄杓の入った桶をぶら下げている緋村であった。
そのタイミングの良さに感動して、山崎は何となく門の外へと出てみる。一番先に彼に気付いたのは緋村で、なにやら笑っていた。山崎の格好がどうにも可笑しく見えてしまったのだろう。その笑顔の隣で沖田だけは笑っていないように見えた。
いや、沖田という男はそんな頻繁には笑わないし、それは山崎から見た感覚から言わせたものだ。沖田がどう考えているかは知らないが、少なくとも山崎から見れば「笑っていない」と感じ取れた。それもいつもとは違う、どことなく悲しい表情のように思えてしまった。
「お帰りなさい」
「やだーもー。そんな格好で外に出ちゃ仕事してないように思えるじゃないですかー」
「今日も暑かったからなあ…俺も見回りの途中にラムネ買って飲みやしたぜィ」
「またラムネですか!?もう!仕事中は控えて下さいって言ってるじゃないですか」
「沖田隊長ラムネ好きですね」
「おぅ」
その素っ気無い返事が、今度は緋村に何かを考えさせた。いつも一緒に仕事をしている上司だからこそ、ほんの少しの違いでも分かるようになってきているのかもしれない。
どうかされましたか?
体の具合でも?
街中で何かありましたか?
緋村がこの時にそう聞いていれば、沖田はもう素っ気無い返事をする事は無かっただろうか?けれど同じ職場の人間にあたるとしても、監察の山崎がその一言で異変を見抜ける筈も無かった。彼とて監察、人を見る目はある。それでも沖田はどうやら難しい部類に入る人間らしい。さっきのように表情で見えたり、一言では無く連なった文を返されれば緋村同様気付いた事だろう。
「さーて、腹減りやしたねィ。晩飯の準備は?」
「もう出来てますよ!多分隊士達はもう食べてるかと…」
「ふーん……んじゃ俺着替えてから行くから山崎と糸は先に行っててくれィ」
「はいよ!」
「あ、はい…」
さっさと中に入って行く沖田の背中を緋村は数秒の間見つめていた。何かがおかしい、と感じても、それは結局聞けずじまいだ。
「糸ちゃんも着替えなくて良いの?」
「…着替えてきて良いですか」
「どうぞどうぞ」
「あ、じゃあ席取っといて下さいっ」
「りょーかい」
また沖田の後を追うように緋村は屯所へと入っていく。その後姿が何となく幼い子供のように見えたのはもちろん気のせいであるが、どうにも目をこすっても今日の緋村はいつもより幼く見えた。
「(彼女は、まだずっとあの時のままなんだ…)」
背中を見送った山崎がそう思っても、口に出さないのだから誰の耳に入る筈も無い。ただ、近くに潜んでいた猫だけが一度鳴いた。
墓参りが終わって、緋村は比較的ゆっくりとした速度で歩いていたので帰ってきたのがこの時間になった。桶に入っている柄杓がカタカタと揺れる音を常に聞いていた。それでも屯所の塀通り、沖田の背中を見つけた時、彼女はその音が更に強くなろうとも駆け出した。彼女に渇いた音は聞こえておらず、ただ風が通り過ぎる音だけが耳を抜けていった。
“沖田隊長!今お帰りですか?”
いつものように呼びかけ隣についた。
“お前も随分ゆっくりしてきたんだな”
“あはは……ちょっとのんびりし過ぎちゃいました”
“今は刀さして無ェんだし、あんま遅くになると危ないですぜィ?”
“ちゃんと懐に短刀持ってます”
“………ほんと物騒な世の中でさァ”
その時の緋村は「この人は何を言っているの?」と思った事だろう。物騒も何も、己が真撰組という組織に入り刀を握っている毎日なのだから、口に出さなくたって百も承知済みだ。物騒なんて言葉、彼等にとってはほぼ当たり前のような真実で、改めてそれを着目する必要も無い。でも沖田はそれが「オカシイ」と言うような口ぶりで話した。それはそうかもしれない。けれど、同じ真撰組である緋村に言う事だろうか?着替える為に帯に手をかけ、全体の締め付けが緩くなった拍子に何かが畳へと落ちた。誰も居ない、電気もついていない、布がすれる音しか聞こえないその部屋で、彼女の短刀が落ちたのだ。浴衣に着替えてからそれを拾った。
「……物騒……か…」
思わず呟いてみる。言った所で、それは緋村の日常に変わりはない。
「………沖田隊長何かあったのかな……」
いつもならこんな事は絶対にしないが、今日だけは部屋まで呼びに行こうと決めて立ち上がる。短刀も引き出しにしまって部屋を出た瞬間そこには沖田が立っていて、緋村は何となく驚いて「ひぃ…!」と声を上ずらせた。
「上司が待っててやったってんのにそれは無ェんじゃねぇの?」
廊下の梁にもたれるようにして立っていた沖田は、彼女が出てきてから組んでいた腕を解いて食堂へと歩き出す。
「ま、待って下さい沖田隊長!」
「着替えるのが遅ェ」
「……あれ?何で私が着替えに戻ったの知ってるんです?」
「何となーく気配で分かんだろ」
「私ってどんな気配ですか?」
「フワフワしてる感じ。何か……お前ヤル気あんのか?みたいな気配」
「沖田隊長にだけは言われたく無いんですけど…」
「何だテメーやんのか」
「あーあー部下に八つ当たりする上司って最低ー」
「上等でィ、刀を抜け糸」
「いま私丸腰ですー短刀も置いてきましたーそんな部下に刀向けるなんて最低ー」
そんなこんなで二人が食堂にやって来た時には、いつもの様に沖田が緋村を茶化し、彼女がそれを真に受けてムキになっているという状態になっていた。待っていた山崎がそれを見て、安心した、という気持ちを抱いたのは初めての事である。
「あ゛ー!!!沖田隊長それ私の漬物なのに!!」
「ケチくせぇ野朗でィ」
「私は野朗じゃありません!」
「山崎からもらえば良いだろ」
「山崎君はもう食べちゃってるんです!」
「ご飯のおかずでそんなに騒ぐたぁみっともねぇ」
「誰のせいだと思ってるんですか!?」
屯所の食堂とは随分騒がしいものであり、そこに沖田と緋村が入れば更に騒がしいものだ。土方はこの二人が居ない時に食べる為に時間をずらすずらさない、というのは余談として、とにかく山崎は嬉しく思っていた。沖田の様子も緋村の様子も、今のように子どもっぽく振舞っている方がしっくりきた。彼等の実年齢には目を伏せて、山崎は二人の喧嘩には慣れているので間に挟まれようとも平然と味噌汁をすすっている。
「(やっぱり、俺はこんな二人が良いなぁ……さっきみたいに妙な雰囲気は、何だか気ィ使っちゃうや)」
「それは私の豚カツ!!!」
「ケチくせー野朗でィ」
「だから野朗じゃない!!」
騒いで喧嘩して、それが山崎から見た彼等の「日常」であった。物騒、なんて言葉、山崎の口からも到底出ない。例えそれが自分の日々の代名詞だとしても、言ってしまえばさっきの猫だって返事すらしないだろう。空気にのせれば、人はその真意を掴もうと考えて、途方も無い思考にはまってしまうのだ。そんなものに呑まれるなら…と山崎はただ呑気に咀嚼を続けていた。ただ、土方にとって彼等の喧嘩はある意味「物騒」であり、口に出せば彼等が起こす不祥事に頭を悩まされストレス思考にはまるのだろう。彼の場合すでに呑まれている。これもまた、余談である。
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