待っているよ
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目を開けると見慣れた天井のシミが見えた。雨漏りの跡なのか、私が住み始めた頃から既にあったものだ。それが段々と大きくなっている事実には目を伏せておこう。
「ふぁ~ぁ………」
久しぶりの休みに、間抜な欠伸を1つこぼした。アラームを設定せずに寝たものの、8時に目が覚めてしまったのは日頃の生活時間が身に染み付いてしまっているからだ。我が侭を言うなら10時ぐらいまで寝たかったけれど、まぁ、この際どうでも良いと割り切ってみる。
最近働きづめだった体を労わりながらゆっくり体を起こし、特に面白くもない朝の番組をつけてみれば、狭い部屋に賑やかな声が広がった。寝癖だらけの髪に手をやれば、随分伸びたのだと実感する。最後に髪を切ったのはいつだったっけか…?それを考えるのは酷く面倒臭いように思う。もう、何もかもを思い出すのが面倒臭い。
「あ、そうだそうだ……今日は万事屋さんに行かないと…)」
気が進まないのは、何故か。
そんなこっぱずかしい理由を言うには、私は少し仕事に浸りすぎたんじゃないかと思う。
「アポなんか取らなくても大丈夫だよね……」
1人呟いて、淹れたばかりのコーヒーに口をつけた。
坂田さん御一行と会うにはきっと私の運が必要だ。電話なんかで約束を取り付けるより、自分を信じて万事屋に行けば会えるんじゃないかと思う。坂田さんは凄く自由な人だから、安っぽい電話の1本じゃ捕まらないだろう。前回みたいにママさんにからかわれないように祈りながら、今度はすぐに坂田さんに会えるようにと軽く願い、テレビをぼーっと眺めた。
自転車のサドルが盗まれるという大事件に襲われて、もう随分の月日が流れた。その間も自転車に乗り、私は立ち漕ぎという技を鬼レベルにまで鍛え上げた。太ももの筋肉が最近凄くついてきたような気がする。悲しきかな、パンツスーツが窮屈に感じてきたのはそのせいだろうか。…とまぁ、私の立ち漕ぎ話は置いといて、ご飯というご飯も食べずに顔を洗い歯磨きをして簡単に化粧も済ませ、久しぶりに着物に袖を通す。着付けの順番を覚えているのが、せめてもの日本人らしさだろうか。
帯の窮屈さに驚いて、足袋の歩きにくさに驚いて、そうして私は起きてから1時間も経たずに外に出る事が出来た。長い髪はどうしたかというと、くくる気力も無く少しクシで梳いただけに終わった。良いんだ良いんだ、この頃私の女子力なんて無いに等しいんだから、簪をさすのすら面倒臭いと思ってるやつなんだから。
自分で綺麗にそう結論づけてみたものの、ちょっぴり悲しくなったのは気にしないでおこう。
着物と自転車。全く合わない絵だけれど、これを持っていかねばサドルのサイズが分からない。自転車の状態が状態なだけに、周りから結構見られたけれど、着物姿で立ち漕ぎをする訳にも行かず、途中居た堪れなくなった私は小走りでそれを引っ張った。万事屋さんへの道はもう分かりきっている。賑わう歌舞伎町よりかは少し離れた、車の通りの少ない往来にその店は建っているのだ。
"万事屋銀ちゃん"という看板を久しぶりに目にして、何故だかホッとした。でかでかと掲げてあるこの看板は、あの自由奔放な坂田さんに似合っていると思う。
自転車を2階に続く階段の下にとめて、今更緊張しだした胸を押さえ上へとあがる。
坂田さんは居るだろうか?
そもそも依頼の事を忘れてはないだろうか?
そんな不安など、本当に今更だと思う。
――恋と仕事、どっちが大切?
友達に聞かれた言葉が不意によみがえり、階段の踊り場まできていた足も止まってしまった。え、仕事だけど、と素直に言った自分が悲しい、悲しすぎる。あの時、暖房の不細工な音にまぎれて霞んだ坂田さんの顔が、まだはっきりと思い出せない。
恋と仕事、どっちが大切?
そんなもの、決まってるじゃないか。
坂田さんの顔もはっきり思い出せない程酷く忘れっぽい女が(ついでに言うと面倒くさがり)、「恋が大切!」とか言った日にゃ宇宙が爆発するに決まって……
「……あれ?お前そこで何してんの」
上から突如声がふってくる。おや、これは聞いた事のある声だぞ。ゆっくり見上げてみれば、片腕にヘルメットを抱えている坂田さんが私を見下ろしていた。霞んでいた輪郭がようやく厚みを増し、今度は邪魔だった暖房の音がどこかへ消えていった。
久しぶりの、坂田さんだ。
「こ、こんにちは!」
……って、こんにちはじゃねぇーーっ!!!思わずそんな言葉遣いで叫びながら、頭を抱えてヘッドシェイクをかましたかった。もっと他にも言う言葉はなかったのか自分!、と叱りながら、その珍妙な苦しみ方はなんとか理性が抑えた。久しぶりすぎて、どうにも何をすれば良いか分からない。
前までどうやって話していたっけ?どんな風に接していたっけ?
「(あれ……)」
どうして、急に接し方が分からなくなったのだろうか。
坂田さんは急な私の挨拶に少し目を丸くしたけれど、すぐに表情をいつものに戻し、髪をポリポリとかきながら「コンニチハ」と言った。あぁ、そうそう、こんな低い声だったな。
それから坂田さんは階段を降りてきて、踊り場から一歩も動けない私とすれ違った時「ようやく来たな」と呟いた。
「へ?」
その意味が分からず思わぬ間抜な声が出た。
「早く来い」
「え?あ、はい?」
「サドル。……お前が俺に頼んだんだろうが、ったくよー……」
覚えて、くれていたのか。
緊張して強張っていた体も、いつのまにか力が抜けていた。
「よし、行くぞー」
「よろしくお願いします」
報酬は甘い物で良いから、とあまりの坂田さんらしいお願いに思わず笑みがこぼれた。
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