今日という日が
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「はあ、私がですか?」
我ながら上司に対し何っちゅー生意気な声を出しているのか。けれど仕方ない。仕事に追われてるこんな時期に新たな課題をのせられてはイライラが顔や声にまで出てしまう。上司はそれが分かっているかのように苦笑いをしながら「まあまあ」と私を宥めた。冷房が効きすぎている社内で、私はデスクの椅子に座ったままくるりと上司に向き直った。申し分け無さそうな顔をされたとて、どう反応すれば良いか分からなかった。
「いや、秋月が今じゅーぶん忙しいのは分かってるんだ」
「なら別の人に頼めば良いじゃないですかー!」
「お前ぐらいにしか頼める奴がいないんだよ」
「こんなに忙しそうにしてるのに」
パソコンへと向き直りこれ見よがしにタイピングを続けた。夏も本番を見据え、その分イベントが増えるせいでこっちの広告やら宣伝やらいろんな会社から何かと仕事依頼が入るのだ。今ようやく一つの仕事を消化出来そうなのに、また増やされたらたまったもんじゃない。私しか頼める人が居ない、とか何とか言ったって、周りにも働いている社員はたっくさん居ます。仮に隣の同期だって今働いてるじゃないですか。私は上司を見上げて言った。
「私じゃなくてこの子に頼んで下さい!」
「いや、こいつ寝てるし」
「え゛!!?」
後ろを振り返ってみれば、確かに今の今まで書類をめくっていた彼女が顔を伏せて眠っている。…狸寝入りって事は分かってるんだから!どうせこの話を聞いて自分に降りかかってくるかと思ったから、狸寝入りをして助かろうとしているのだろう。こんな薄情な同期に構ってなんていられない。
「じゃ、じゃあ!他の人たちに!」
そう言った途端、社内に響き渡っていたタイピングの音や紙を捲る音や人の話し声が一瞬で消え去り、微かに聞こえてくるのはコピー機の機械音だけだ。何事かと思い立ち上がって周りを見渡してみれば、みんな達磨さんが転んだ状態のように固まっていて、身動き一つ取っていない。まるで何かのオブジェのようにみんな少しも動かない。
「いや、みんな石化しちゃってるから無理なんだ」
「なんて薄情な会社だよオォォオォォ!!!!!」
そう嘆きながら机に顔を伏せた。プルルルル、と電話が鳴っても誰も動かない。いや、誰か取らなきゃいけないだろ!どこまでこの仕事やりたくないの!?私よりもこれ以上仕事増やしたくないんかい!
「…~っ分かりましたよ!私がすれば良いんでしょ私が!!!!」
「あー秋月ならそう言ってくれると思ったよ」
「この状況じゃ私がするしか無いじゃないですか……」
「まあそう落ち込むな。手伝ってやるから。それに特別に助手をつけさせてやる」
「助手…?」
「そこで寝ているお前の同期」
それを聞いた途端彼女は魔法が解けたかのようにガバッと起きた。
「どうしてですかアァアァァ!!!千早一人でやらせれば良いじゃないですか!」
「何ですって!」
指された指を逆方向にへし曲げてやった。上司は私が仕事を請け負った事に満足したのか、何度か笑顔で頷いて自分のデスクに戻っていく。その途中、一度大きく手を鳴らして「はい!みんな仕事仕事!」と言うと、一気にざわめきが社内に戻ってきた。私達がこれを担当する事になって、いらぬ火の粉が飛んでこないと分かったからに違いない。鳴っていた電話がようやく誰かによって取られる。まるで皆何事も無かったかのような振る舞いだ。
「秋月さーん、お電話でーす」
どこからともなく聞こえたその声に、私は「分かってらァ!」と声を張り上げて応えた。
減らない仕事を目の前に、どうしたもんかと考える。…どうしようも無い。新しく頼まれた仕事は祭りの宣伝の話で、しかもこれ将軍が顔見せるやつだから結構大きな部類に入る仕事…。適当にやったら私達のクビが飛ぶ…、と呟けば彼女が軽く反論してくる。
「いんや、私は生き残るね」
「私達は運命共同体だよ。この夏を乗り切ろう」
「海行きたいー旅行に行きたいー」
「……」
「デートしたいー浴衣着たいー」
ぐでーっとイスにもたれている彼女の肩にそっと優しく手をかけ、いつもよりも柔らかい笑顔を向けてみる。疲れた彼女の顔が私を捉えた。
「相手も居ないのにそんな妄想口に出しちゃ駄目よ」
頭突きを頂きました。
「いったぁぁい!」
「今のは私の心の痛みだ!思い知ったか!」
「た、たんこぶが出来たかも……!」
今は周りは全員帰って、私と彼女だけが残業チームとして頑張っているのに、まさか頭突きは無いでしょうよ。ちょっとした冗談のつもりが中々痛かった。しかしながら、今日会社に泊まって明日も引き続き仕事をするのは少ししんどいな…、と今更考える。足元に置いてあるカバンからスケジュール帳を拾って明日の予定を確認してみる。そこには真新しく「外」という一文字が書かれてある。
「はぁ……」
その文字を見て自然とため息が出る。この文字が指す内容は、今日まさしく新しく背負わされた仕事の一部だ。祭りの宣伝だか広告だか知らないけど、まさか宣伝用の看板を建てるとまでは考えていなかった。明日はその建てる位置の確認を先にして、それから業者に電話するまでの下取りをしなければいけない。上司の話によると看板はもう出来ているらしく、後は私たちがその場で安全やら色々最終確認しなくちゃいけなくて…。
「って言うかさー…」
そのスケジュール帳をまたカバンになおした時、パソコンでデータをまとめている彼女がボソリと呟いた。その声に疲れが含まれているのはよく分かる。私は敢えて聞き返さずに首だけ振り返った。私達の頭上しか電気を点けていないせいかどことなく暗く感じるのに、その目に写っているパソコンの画面は痛々しいくらい眩しく見えた。その視線を一切私に向ける事なく彼女は言う。
「明日凄い暑いんでしょ?何でそんなクソ暑い時にややこしい事が入るんだろね?第一"最終確認"なんて女の私達じゃなくて男がやれっつー話じゃない!?…と、私はそう思うんだけどもどうだね千早君」
前半は熱く、後半は冷静に言い、まるでマイクを持っているかのように私に手を伸ばしてきたと思ったら、膝元にポトリと何かを落とした。それは小さなチョコだった。落としていた視線を彼女に戻してみれば、彼女もまた体勢を元に戻しパソコンに向き直る。そうしてぶっきらぼうに「疲れた時は甘いモノ」とだけ言った。
「あはは、あんた何か可愛いねぇ」
「そうやって言ってくれる男の人が居たら良いなぁー」
いつか現われるって!私がそう言うと彼女は軽く笑って、そうだと良いね、と言った。こんな遅い時間まで働くというのは、肌には悪いし睡眠は取れないし明日の体力も温存できないし、良い事なんて一つも無い。今の時期、みんな夏に浮かれて、恋する乙女なんかは気になる人を祭りへ誘ったり自分に似合う浴衣を見繕ったり、そういう類の事で忙しいんじゃないだろうか?
昼休みの時に見た雑誌の中に、今年注目の浴衣特集をやっていたのをやけに覚えている。綺麗な花柄や落ち着いた模様、それら全てはキラキラしていて、今のパソコンの画面のように眩しく見えた。静かに雑誌を閉じて元あった場所に戻し、同僚と自分のデスクに戻ろうとする。廊下の突き当たり、ガラス張りの窓に自分の全身が浮かんで、フと足を止めた。可愛い高下駄には程遠いパンプスが私の足を支えていて、浴衣よりかは機能性が高くても、地味な灰色のスーツが身を包んでいる。お世辞にも可愛い格好には見えなくて、私は少し急ぐようにしてデスクに戻ったのだ。
「(羨ましいって思うなんて……私らしくないな……)」
「…千早どうしたの?」
「え?あ、何でもない!ささ、仕事仕事!」
「おー」
浴衣着たって、何しに祭りに出かけるのよ、相手の男も居ないくせに何甘えた事考えてんの。そんな心の中での叱咤を、隣に居る彼女に口に出して欲しかった。そうして言葉として改めて私に思い知らせて欲しい。私がいま望んでいるのはそんなんじゃない。ぼんやりとした考えの中そんな事を思う。なら私が今求めている事は何?
「千早ー、このクソ忙しい時期が終わったらさ、絶対飲みに行こうね」
疲れ目で笑いながら彼女はガッツポーズを作った。
「そうだね。絶対飲みに行くぞ!」
静かな社内に2人の気合の声が少しだけ響いた。
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