終わりの詩
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わぁぁあ、と歓声が上がった。その声は何人分の声で、それから、誰に向けられているのだろう。私?それとも相手?ぼんやりとする心で考えた。こもった熱を我慢しながら面金ごしに審判を見やった。汗が睫毛にかかったり目に入ったりしてどうも視界が悪い。それでもはっきりと見えた赤旗。その赤旗は大きく掲げられていた。今日のラッキーカラーは”赤”だとか何とかテレビが言っていたような気がするのに。嘘つき。勝負あり、と審判が続けて言う。その瞬間に歓声も何もかもがすっと消えた。いや、私が聞こえていないだけだろう。向かい合って、蹲踞して、立ち上がって、礼して、後ろに下がって、後は……?いつもなら体が覚えているのに、一々思い出さないと試合場から出る事は出来なかった。隣接する試合場を行き交う選手を避けて座って、重く感じた面をはずした。音が戻ってくる。息が荒くて苦しいけど早く観覧席に戻らないと。
そう思っているけど、体が中々動かない。ポタポタと髪から汗が滴り落ちて、面に被せてる手拭いに染みていった。涙みたい。そう思った。
「夏目!」
先生が観覧席から身を乗り出して私に呼びかけた。ゆっくり見上げてから、少しだけ微笑んだ。
「今からそっちに戻ります!!」
驚くほどすんなり声が出たけど、多分先生の所にまで届いてないと思う。複数の試合場から聞こえる気合の声に掻き消さて、先生まできっと届いてない…。右脇に面を抱えて左手で竹刀を持つ。すれ違う選手にぶつからないように気をつけながらアリーナの出入り口まで歩いた。そして振り返り、数秒立ち止まってから深く礼をした。天井からアリーナを照らしている沢山のライトが、いつもより余計に眩しく感じられる。ようやく私は、終わりを迎えたのだ。
「ハル先輩…!」
観覧席に続く階段を上った先には制服姿の後輩が立っていた。涙ぐんでいるのだから、最初はどう対処しようか迷った。とにかく、ふぅ、と一息はいて自分を落ち着かせて、それから謝らないとと思った。
「ごめんね、折角応援に来てくれたのにね」
「そーじゃなくて……!」
遂にはわんわん泣きだす後輩を前に、私は変に止めたりはしなかった。彼が泣いてくれてるお陰で更に実感が湧いたのだ。私は、負けてしまったんだと。
「周りの人めっちゃ見てるよ?ほら、早くみんなの所に戻ろう。男が簡単に泣くなっての!」
「ずびばぜん……」
顔を抑えて泣いている彼と観覧席にまで戻った。そしたら後輩みんなが涙ぐんでるんだから堪ったもんじゃない。私は終わったけど、まだ終わってない人だって居るじゃないか!
「ハル先輩お疲れ様でした!!!」
「うん!ありがとう!!」
なるだけ明るい声で言った時、視界にふと先生が入った。一番前の席に座ってて、赤いペンをくるくると回している。私が戻ってきたことに気がついた先生は、律儀にも立ち上がっておいでと手招きをした。面と竹刀を座席に置いて駆け寄り、私はまず頭を下げた。
「すみませんでした!」
「何も謝る事なんかないだろ」
焦ったような声で私の肩を掴み、無理矢理上を向かせてくれた。やっぱり、天井の光が私には眩しくて仕方なかった。
勝負というものは本当に一瞬でついてしまうらしい。今日家を出て、地元の駅で剣道部のみんなと待ち合わせして電車に乗り込んで、試合場に入って応援席を確保してから剣道着に着替えた。先に竹刀の重量とか試合相手を確認してから近くのコンビニに行って昼ごはん買って……。その間はとても長かったような感じなのに、この一瞬であっという間に全てが無にかえった気がしてしまった。1回戦2回戦は順調に勝ち進んでいた。そこで知らず知らず調子に乗ってしまっていたのだろうか?ブロック勝ち抜けを目前に、赤は私の目をさした。相手は私より少し背の高い同じ年代の女の子だった。割と責めてくるような戦い方だったけど、私が守りに徹する事は無かった。開始1分、私がまず小手で先制した。そしたら追うように相手も私から1本を奪う。残り30秒の間に終わらせたかった私は、ここで守りに走ってしまった。延長戦に持ち込めば勝てる気がする。そう思ってしまっていた。自分の体力を過信していたのか、可笑しな勝気が私にとってきっと駄目だったんだ。残り10秒、私が有利な訳でもないのに「ここで逃げ切れば」と足を半一歩引いた瞬間に相手が大きく攻めてきた。竹刀の先が私のどこを狙っているかは本当によく分かった。やや斜めの下がり気味、間違いなく私の籠手を狙っているのだ、と。しかけられた技に対して無反応に体が立ち向かってしまうのはクラブ時の稽古の癖なのか、私は当たり前のように面を狙った。
本当に、自然な動きで。
沢山の試合が行われてるから自分達の竹刀の音が聞こえた訳じゃないけど、互いの竹刀が狙いどころを打った瞬間、ああ駄目だ、と思ってしまったのは何故か。竹刀で打ち合う時なんて1秒にも満たないのに、その短い時間でも私がそう考えるには充分だった。相手とすれ違って残心を取って、そして、赤旗が上げられた。いよいよどうすれば良いか分からない。私、どうすれば良いんだっけ、試合場を出る時の礼儀ってどうするっけ。ぐるぐる考えて、そのお陰で蹲踞に至るまで来た。
それから立ち上がった時、私は足に違和感を覚えた。怪我をしたような痛みとかそんなんじゃなくて、いつもと少しだけ違ったんだ。審判に礼して下がってコートから出て、よーく分かった。足を引きすぎたのだ。いつもより引いていた私の足。だから蹲踞をする時も礼をする時も何だか乱れたんだ。
「(結局私は逃げちゃったんだ…)」
何であの子みたいに攻めなかったんだろう。何でいつも通り普通に立ち向かっていかなかったんだろう。頭の手拭いをはずした時、ふわりと洗濯の匂いがした。お母さんに折角洗ってもらったのになぁ。謝らなきゃ。誰に対してでもなく、あの時からそう考えていた。
「夏目ー?」
「はい」
前の手すりにもたれて座っていた時、隣の銀八先生がまだペン回しをしながら話しかけてきた。目はトーナメント表に向けられている。
「近藤達も負けたんだ」
「………うそ」
「ホントだよ。お前の試合とほぼ重なってたろ?その間にな。中堅の沖田は勝ったけど……ありゃー審判が悪かったな」
「審判と相性が合わなかったんだ……」
立ち上がってアリーナを見回すと、奥の端の所で彼等を見つけた。仲良し4人組だと私が思っている、山崎君に総ちゃんに土方君と近藤君。4人で笑いあってこっちに戻ろうとしているのがよく分かった。彼等はきっと悔いなく戦えたから笑ってられるんだ。ちゃんと立ち向かって、いつも通り、全力で…。
「ま、あいつ等は団体戦で戦わせて良かったな」
先生も笑った。やり切ったような笑顔を見せているけど、そりゃそうだろう。先生は、私たちに稽古をしてくれたのだから、一緒に戦ってくれていたようなものだ。
「そんじゃ一旦集合すっか」
立ち上がって、1・2年の元に行った先生が座っていたイスには、もう必要のないトーナメント表。赤ペンでなぞられたその線が、もう上を目指す事はない。
「一本!!」
下の試合場からそんな声が聞こえて、隣で観覧している学校が盛り上がっていた。私はそこを、静かに去った。
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