拭えよ100W
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江戸の住人が暑さと闘う為に、冷たいものを食べたり打ち水をしたりと色々なものを試す。現実的に言うなれば打ち水をした所で気温が変化する訳では無いが、水の音だけで癒される部分は確かにある。風は弱くとも風鈴が軽くなれば何となく涼しい気になるような感覚と同じだろうか。
そんな良い音の鳴る部屋に転がるのが彼女としては幸福であった。女中さんが庭に水をまいた直後、彼女の部屋には涼しい空気が流れていた。その上風鈴が鳴る。幸せだなぁ。畳に寝転んでいる彼女がそう思い目を閉じた瞬間、やって来た人物によってそれは簡単に壊された。
「糸ー」
「うっわ……もう何ですか、また仕事押し付ける気ですか、それとも何かやらかしたんですかぁ…」
面倒くせぇ、という言葉を体全体で表現するかのように彼女はゴロゴロと転がり、仰向けになり腕で顔を隠すようにした。
訪れた人物、彼女の所属する隊の長である沖田は、明かりも点けていない部屋に上がり込んだ。目的はもちろん彼女に用があるからである。
「狸寝入りかコノヤロー」
「非番なんですから寝たって良いじゃないですかー…」
「そんな糸ちゃんにお使いを頼んまさァ」
顔を覆っていた彼女の片腕を取り、恨めしそうに見上げてくる視線に対し黒い笑みを返す。それを見て彼女は顔をひくつかせた。
自分の隊長である沖田の事など彼女はよく分かっている。沖田がこう笑うと誰も逆らえない逆らってはいけない、と…。蝉が鳴き、風鈴が歌い、彼女が「あはは…」と乾いた笑みを浮かべる。
「頼まれてくれるな?」
「ぇぇえええー………」
「重要な事でさァ。非番であるお前だけにしか頼めないんでさァ」
「私だけ……?」
重要と言う言葉を聞き彼女は上半身だけを起き上がらせた。目の高さがしゃがんでいる沖田と重なる。
「近藤さんや土方さんにも言ってねぇ事でさァ」
「局長達にも……」
「ああ……頼まれてくれ」
「…何をですか」
「………花火を買ってきてくれ」
「はい………………はい?」
彼女は真剣だった顔を一気に崩し、沖田もまた口角を上げて話し出す。
「今朝、隊士と話しててよ、やっぱ夏は花火と水着か、海と水着か、スイカと水着かだなっつー事になったんでィ」
「………」
「今俺たちが出来る範囲なら花火かスイカ+αだろィ」
「……+αって……」
「だから糸!お前が居れば夏気分が味わえるんでさァ。さぁ!花火を買ってきなせェ!」
沖田が親指を立てて言った後、彼女は拳を目の前の相手の鼻に素早くかつ正確に叩き込んだ。ごつ、と痛々しい音が響く。
「言っとくけど水着は着ませんよ」
「ケチな野郎でィ」
出てきた鼻血を片手で抑えつつ、沖田はがま口財布を彼女に手渡す。恐らくはこの金で買ってこいと言う事だろう。彼女は嫌々それを受け取り立ち上がった。文句を言っても沖田に逆らえないというのは今までの経験でよく分かっている。
着崩れた浴衣をなおして、フラフラした足取りで玄関へ向かう。せっかくの非番が沖田によりクソ暑い外へと出なければいけなくなったのだ、気持ちが沈むのはよく分かる。
「花火ね、あぁハイハイ花火ね、花火を買ってくりゃ良いんですね」
「敵に襲われんなよー」
「討ち取ってやりますよ」
口を尖らせ彼女が振り返ってみれば、沖田は「行ってらっしゃい」と言い笑った。
「派手なやつ買ってきてくれィ」
「はいはい」
「ついでに水着もき…」
「それだけは絶対に嫌ですからね!!?」
チリン、と風鈴が鳴る。今の今まで良い音だと感じていたが、この状況ではこれさえも「行ってらっしゃい」という風に聞こえて仕方ない。彼女は廊下でもう一度振り返り、部屋の前にかざってある風鈴を見た。チリンチリンと可愛い音が鳴っている。
「はぁ……」
盛大なため息は諦めからくるものだった。沖田がくる時点で諦めた方がいっそ清々しい。制服を着ていたくせに昼寝用のあのアイマスクを頭につけていた沖田が来た時点で……。
玄関前にさしかかった所、一番隊の隊士たちとスレ違い、出掛けてくる、という事を告げようかと思えば先に声をかけられた。
「あ、緋村!!」
「なあに?」
「ほら、隊長から聞いてるかもしれねぇけど、これが緋村に着てもらうみず…」
そして、数体の屍が屯所の廊下に転がる事となる。
「ふう、雑魚だったわ…」
短い髪を耳にかけた彼女は、宣言通り敵を討ち、屯所を出たのである。
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