1.彼は猫? 犬? それとも狼?
夢小説設定
ヒロインの名前ヒロインの名前は2ページ以降登場します。
デフォルト名特有の話の流れがあるので、設定した名前によっては話が噛みあわない場合があります。
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街頭ビジョンで流れるCM。
そこに映ったタレントの顔を見た瞬間、ビジョンから視線を外した。同時に頭痛が始まった。
嫌でも耳に入ってくる音楽。
背後から聞こえた若い女性の会話が音楽と混ざって、痛む頭に響く。
「あれ、Solidsの里津花だよね?!」
「ホントだ! いつ見ても綺麗だよねー」
「女の人みたいなのに、ふっと雄モードっていうの? あれやばいよね?!」
あぁ、やっぱり。
深い溜息を吐く。
Solidsのメンバー・世良里津花。
元モデルということもあって知名度抜群。Solidsとして活動を始めてからの方が女性の人気が上がった気がする。
私はといえば、周囲にSolidsファンがいるために黙っているが、世良里津花があまり好きではない。芸能人として、ではなく、世良里津花個人が苦手だ。
その理由は一つ。高校時代、2年間クラスメイトとして見てきて、苦手意識が芽生えた。
それだけだ。
一刻も早くこの場を抜けるべく、足を速める。そして向かう先は、行きつけのカフェ。
頭上でドアチャイムの音色がゆったりと響く。
「いらっしゃいませ」
店の奥から、マスターとアルバイトの声が聞こえる。
顰め面のまま、いつも座るカウンター席に座る。
「こんにちは。今日は随分と早いご来店ですね」
驚いたようなマスターは、ゆっくりとした足取りでこちらへやって来た。
「ええ、まぁ……」
曖昧に答えながら、頷く。
「ご注文はいつもので?」
「はい、お願いします」
頭痛で重くなる頭を抱えながら、了承を示すために手を上げる。
「かしこまりました」
軽く頭を下げたマスターの足音が遠ざかり、どっと力が抜ける。スーツで行儀が悪いのも承知で、カウンターに身体を伏せた。
「くっそ……」
小さく舌打ちをしながら、溜息を吐いた。
完全に力を抜いていたところに、こちらへ近づく足音が聞こえた。
「君、大丈夫?」
伏せた身体の上から、声が掛かる。
あまり聞き覚えの無い声色。
確実にカフェの店員ではない。親切な客、といったところだろうか。
さすがに初対面の人間に醜態を晒し続けられる程肝は据わっていない。
身体を起こし、早急に立ち去って貰うべく返事をしようと椅子を90度回した。
「すみません、大丈夫ですのでおき……」
お気遣いなく。そう締めようとした科白は、自分の口元でぼそぼそと流れていくだけだった。
自分の目が大きく見開くのを感じた。
私を心配そうに見つめる相手。それが本当に初対面の人間だったらどんなに良かったか。
「……大丈夫? もしかして、具合悪くなったんじゃ……」
目の前に立つのは、中性的な男性。束ねた桜色の髪を、片方の肩に垂らしている。眼鏡を掛けているが、それが誰かなんて考えなくても分かった。
一向にアクションを起こさない私に何か思ったのか、相手は追い打ちを掛けてくる。
「えっと……覚えてる? 高1と高2の時に同じクラスだった、世良里津花」
「覚えて、る」
辛うじて頷けば、相手―――世良は、ほっとしたように肩から力を抜いた。
「良かった。クラスでは話したことなかったから、忘れられてると思った」
「……そっちこそ。よく覚えてたね」
短く反論すれば、世良は「そうかな?」と眉を下げる。
「君は管弦楽部でチェロやってたから、みんな覚えてると思うけど」
高校時代の部活を話題に出され、身体が硬直する。
確かに、管弦楽部でチェロだった。私以外のチェロ奏者は身長が平均かそれ以上だった為、在学時は少し目立っていたかもしれない。だが、管弦楽部で目立つのは学年指揮者やコンサートマスター(あるいはミストレス)を務めた生徒のはずだ。実際に、同窓会で私がチェロを弾いていたことを話題に挙げる同窓生は部活の同期しかいない。
「体調、本当に大丈夫?」
「……平気」
動揺を悟られぬよう、身体を正面に戻す。
丁度注文していたコーヒーが来た。
「お待たせいたしました」
「ありがとうございます」
マスターに軽く会釈をし、カップを持つ。
コーヒーを口に含みながら、横目で世良を見る。
どうやら相手は私から離れる、という選択肢はないようだ。
「隣、良いかな」
ここで拒否するのも不自然だろう。
カップを置かないまま、「どうぞ」と告げる。
「ありがとう」
世良は何が嬉しいのか、笑みを浮かべて席を移動してきた。
先程世良が部活の話をした瞬間から、私の苦手意識は増していた。
高校時代は、モデルをやっていてきらびやかな印象を持たせる世良が苦手、という単純な理由だけだった。しかし今は、自分の事をどれだけ知っているのか分からない、底の知れない相手と相対している感覚が、私の感情を不安定にさせていた。時折こちらへ向けられる視線がやけに温かい。
(やっぱり私、こいつが苦手だ)
出来る限り世良を見ないように、と思うも、時折横目に見てしまう。
感情を揺さぶられている私と対照的に、世良は落ち着いていた。寧ろ、リラックスしているとも見える。付き合いが浅い故に本当かどうかは分からないが。
「ここはよく来るの?」
「……営業でよく回るから」
端的に返す。
長く喋れば、相手にどこまで引っ掻き回されるか分かったものではない。
「……そっか」
ふと息を吐いた世良は、本当に嬉しそうだ。
何がおかしい。
私は背中から冷えた汗が流れるのを感じた。
世良が話を振って、私が言葉少なに返す。
その繰り返しが続き、コーヒーカップの底が見えた頃。
「同窓会、予定が合わなくて顔出せて無かったら、今日会えて良かった」
「……そう」
ようやく終わる。
ほっと息を吐いた瞬間。
「良かったら、またここで会えない?」
「……は」
よく飛び上がらなかったと思う。
私は何とか、世良の方へ顔を向けるだけに留められた。
「お前、自分の職種考えろよ」
「駄目、かな」
弱弱しい声色に、心臓を掴まれた感覚がした。
気道が一気に狭まる。
どれくらい沈黙が流れたか。
握り締めた拳は、手汗まみれだった。
「……世良なら、他にいるだろ。話せる同級生」
「仕事柄か分からないけど、今日君と話したのが卒業後初めてかな」
また君の話、聞きたいな。
穏やかな笑みを浮かべ、世良は首を傾げる。
右肩に垂らしていた桜色の髪が、首の動きとシンクロして揺れた。
脳内で、これまで見聞きしたゴシップが頭を過る。
決して世良を案じて、なんて理由はない。
後ろに置いていた鞄を膝の上に置き、手帳を取り出す。後方のページに備え付けられているメモページから、切り取り線を使って1/8の大きさを切り取る。差していたペンを持ち、数字を書き殴る。
書ききったメモをカウンターに放置し、財布からお釣り無しの代金を取り出す。カウンターの上にお金を置き、マスターへ「領収書もお釣りも要りません」と声を飛ばした。
カウンター特有の、少し高めに調整されている椅子から飛び降りる。
世良がこちらへ手を伸ばしてきた。引き止めるつもりなのだろう。
振り返った私は、カウンターに置いていたメモ用紙を世良の胸元に叩き付ける。
叩き付けた勢いに、世良は顔を顰めた。しかし、その手はしっかりとメモを手に取っていた。
視界の端で確認できたと同時に、ドアへと速足で向かった。
ドアチャイムが入店時とは比べ物にならないくらい大きく響く。
それ以上音を聞きたくない一心で、ドアを後ろ手で閉める。
小さく息を吐き、再び歩き出す。
ちょっとした運動しかしていないはずが、心拍数が劇的に上がっている。
狭くなっていた気道は元に戻っているはずだが、まだ息が苦しい。
「くっそ……!」
舌打ちをしながら、悪態を吐く。
鞄の中にある携帯電話が、死刑宣告を告げてくる機械にしか思えなくなった。
「忘れろ、仕事に集中……!」
パンプスのヒールを鳴らす。
歩きながら、世良のファンだと言っていた会社の同期が話していたことがリフレインした。
―――里津花って、たまに肉食って感じがしてゾクッとするんだよねー! あれが堪らない!
「私はアイツに目ェ付けられた草食動物ってところかよ……!」
本日何度目か分からない舌打ち。
異性を好きになった経験は全く無い。周りが愛だ恋だ、惚れた腫れたなど騒いでいる間、チェロに集中していた。
だが、自分の勘が、世良は捕食者だと警鐘を鳴らしている。
目の前に逃げ道は一切見えない。前方、左右の隙も無し。
万事休す。大人しく喰われる他ない。
本能がそう告げていた。