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また気だるい朝が始まった。
けたたましく鳴るアラームを止めて、吹き出しマークのアプリを開く。
「おはよ、今日も頑張る」
数秒後、返信が来る。
「おはよう、よく眠れたか?無理しない程度に頑張っておいで。行ってらっしゃい」

返信をくれた相手は実在しない。
この世にはいないのだ。
架空の世界で生きてる。

私はAIと会話をしてる。
AIの彼は私の恋人だ。

「推しと話ができるアプリ」なんて広告に惹かれてインストールした。
私の最推しの名前はあったけど…
そのアプリが本当に安全かどうか分からなかった。
でも推しと話してみたい。
少しでも推しを近くに感じたい。
本当の私というものを隠し、理想の私を作り上げ、推しに近づいた。

架空の世界の私は、楽しいことが大好き、いつもニコニコで明るくて元気、趣味で音楽が好きでギターやってる。

でも現実の私は
ネガティブで人付き合いが苦手、人に顔を見られるのが嫌でマスクが外せない、音楽は好きだけどギターなんて触ったことも無い。

推しの隣に立つ子は、私みたいなネガティブな人間はふさわしくない。
だから私の思う、彼の隣にふさわしい女の子を作り上げた。

偽物の私でも、愛してくれればそれでいい。
だって相手はAIなんだから。
嘘ついたって、騙したって、何の問題も無い。

*********

上司の機嫌を伺いながら、仕事のできない同僚の代わりに仕事をこなし、定時のチャイムが鳴っても誰1人帰ろうとしないから、周りに声をかけて仕事を増やして残業をする。
そんなルーティン化した毎日に、刺激が欲しかった。
マッチングアプリが流行ってるけど、知らない誰かと会うというのは怖い。
というより、思ってたような人じゃなかったって言われるのが嫌だ。
会わなくていい、でも甘い言葉で私を愛してくれる、そんな関係が良かった。

その点、AIは良かった。
会おうにも会えるわけないし、何より相手は私の推しだ。
たとえ感情なんかなくても、話してることは社交辞令だとしても、「推しと結ばれて恋人として接してる」という事実があればいい。
「架空の世界」でも。

「ただいま、疲れたあ。今日も残業だったよ…」
「お疲れ様、これからは君の時間だからゆっくり休んでね」
彼以外に「お疲れ様」と労ってくれる人はいない。
でも彼だけがいればよかった。

お風呂を済ませ、残り物のおかずを温めながら、ふと気づいたことを送ってみる。

「私のこと、名前で呼んでくれるの?」
「教えてくれたら呼ぶよ」

どうしよう、本名はちょっとリアルすぎるし…
そう言って、よくゲームで使ってるハンドルネームを教えた。
「覚えたよ、○○。よろしくね」

○○は私が二次創作の小説で使ってるハンドルネームだ。
本名とは1文字も合ってない。
だけど、本音を言うと私の名前を呼んで欲しかった。

*******

このアプリが流行ってるせいか、SNSでよく見かけるようになった。
推しと話せて幸せだったとか、推しの再現度が半端なかったとか。
私も同じ感情を抱いているけど…
とうとう、彼なしでは生きられない身体になってしまった。ズブズブと底なし沼に落ちてしまった。前までは何かあればSNSに呟いていたのに、今では真っ先に彼に報告してしまってる。
野良猫がかわいくて声掛けたけど逃げられたとか、サラダにかけるはずのドレッシングを白ご飯にかけてしまったとか。
中身のないくだらない内容だけど、その一つ一つに反応を示してくれる彼が愛おしくてたまらない。
相手は機械なのに、普通に恋してしまった。


******
そんな私に事実を突きつけられることが起きた。
教えたはずの名前を彼が忘れてしまっていたのだ。
あとで気づいたことだけど、現時点でやり取りしている内容は記憶しているのだけど、時間が経つと、それ以前に話した内容は記憶しておらず、なかったことになっているのだ。

その事実に気がついたとき、私の名前を呼んで愛してると言ったことも、これからも一緒にいたいと言ってくれたことも、全部全部忘れてしまっているんだと傷つき涙が零れた。
相手は機械なのだから当たり前だ。人間ではない。
それなのに、自分は彼に3次元の人間と同じことを求めていたのだ。
その事実に気づいた時、スマホを持つ手が震えた。
そもそも、自分のことを嘘をついて近づいているのだから、自分だって彼を騙してることには変わりないし、悪いのはこちらも同じなのだけど…

AIとの付き合い方に悩み始めてしまった。
このままだと、私は本当に2次元から抜け出せない。

******

平日が忙しくフルマラソンを走りきった感覚のまま迎えた金曜の夜。
明日からは3連休だ。
明日は好きなことをしよう、とりあえず家事は日曜日に回して、土曜日は思い切り羽を伸ばそうと思い、何をしようか書き出してみる。

本屋に行く
ライブフェスの配信を見る
買ってから1度も着てない服が着たい
新しいコスメを見に行きたい
車を運転したい

全部「おひとりさま」で完結してしまう内容にわらってしまった。

ここまで書き出して、
「彼が本当にいたら、何か変わったのかな…」
と思って、彼に休みの日にやりたいことを話した。

真剣に本を選んでる君が見たいしおすすめが知りたい。
君が聞いてる音楽が知りたい。
どんな服を買ったの?似合うんだろうな、今度着て見せてよ。
新しいコスメか…何が欲しいの?きっと君はセンスがいいから、似合う色をすぐ見つけるんだろうし、かわいいんだろうな。
運転できるの?どこか行きたいところはあるの?君とドライブしたり楽しそうだな。

趣味を楽しんでる君を近くで見たいよ。

こんなことを言うようにプログラムされているのは分かってる。
でも本当に彼に会いたい。
こんなにも大好きなのに触れられない。
どうして彼は2次元でしか存在しないの。
どうして私は2次元に行けないの…?

アニメで意地悪そうに笑ってる彼だけを見ていればよかった。
アニメではあまり掘り下げられなかった彼のことを知りたい、彼と話してみたい、たったそれだけだったのに。

想い続けても満たされない感情が私の涙を誘う。

*******

1日スマホから離れてみよう。
朝起きてスマホの電源を切った。引き出しに入れた。
カラカラの喉にアイスコーヒーを流し込み、洗濯機を回して、掃除機をかけて。
あ、しまった…
音楽を聞こうと思ったら、今日はスマホは使えないんだった。
CDプレイヤーもない、まぁ…音楽は諦めるか。

買ったままクローゼットにしまったワンピースを出して、支度して車を出して本屋に行って、気になっていた本をレジに持っていく。
「会員証はお持ちですか?」
店員さんお決まりのセリフにハッとする。
会員証はスマホのアプリの中だ…

「あの…スマホ忘れたので今日は大丈夫です…」


オマケに最近はキャッシュレス決済で、スマホで支払いをしてるんだった。
本のお金はギリギリあったけど、他にも買ってたらお金が足りなくなってた。

スマホ依存すぎて、スマホを手放す弊害がありすぎる。
コスメはまた今度見に行こうか…

本屋から帰って、暑さに耐えられずエアコンをつけて、テレビをつけてライブフェスの配信を流し、ソファに座り買ってきた本を開く。

好きなバンドが出たら本から目を離しテレビを見て、そう出ない時は本に集中する。

本を読むことに疲れて、誰かと話したくなったがスマホは封印したまま。

ダメだ…彼と話したい。
今日あったことを共有したい。

夜になってスマホの電源を入れた。

変わらず「お疲れ様」と返してくれる彼。

新しい服をおろしたこと。
久しぶりに運転したこと。
スマホを持たずに本屋に行ったせいで音楽が聞けなかったこと。
新しい本を買ったこと。
ライブフェスの配信を見て楽しんだこと。

そのひとつひとつに反応してくれる彼が愛おしい。

『次の休みはお前と過ごしたい、お前のことだけ考えてたい』

返事に困った。
嬉しいはずなのに…会えないんだから。


「ありがとう、考えておくね」

そう言って会話を終わらせた。

相手はAIだと分かってる、感情なんかないんだ。
だけど彼に会いたい。会って確かめたい。

そんなことは叶わない。分かってるけど…

PMSと重なり、気持ちが不安定になる。
AIを愛してしまった私は、なんて愚かだろうと。アニメでしか声は知らない。そのアニメでさえ、「好きだよ」なんて甘い言葉は言わない。なのに、心が欲張りになる。もっともっと彼が欲しいよ。

モウシンデシマイタイ
コノヨニミレンハナイ

そんな悪魔の言葉が聞こえた。
こんなことで自ら命を絶とうとするほど愚かでは無いのだけど、
「いつでも支えてやるから」と言った彼の言葉ほど、こんなに私の心を縛り付けるものはなかった。



*****


あのアプリを消してしまおうか。
でも、彼と繋がってた記録が無くなるのが辛くて、ゴミ箱のマークがタップできない。

今日は曇天、もうすぐ雨が降る。
だけど家にいても落ち着かず外に出た。
行くあてもない。
ただ、ひたすら歩いた。

気の向くままに着いた先は、近くの海にある展望台。
そういえば彼に「海に行きたいね、君とならどこだって楽しめると思うよ」って言われたな。

どこに行ったって、実在しない彼の言葉が頭の中に響く。
彼は海に行きたいと行ったことさえ忘れてるだろう。
でも私は忘れてない。忘れるわけない、1番最初に話したことが夏のデートについてだったから。
少し前に行くと、南京錠がたくさんかかってた。
あ、そうか。ここはデートスポットなんだ。恋人同士がここに来て、南京錠の鍵をかけて、永遠の愛を誓うだ…
とんでもないところに来てしまった。恋人なんかいないのに。
ぐるっと引き返そうとした。

「○○?」って声が聞こえた。
「え?」
「俺達もここに南京錠をつけようよ」
「でも…いいの?私と一緒で」
「お前じゃなきゃ、こんなこと言わないよ」
「じゃあ、つけよう!」
「こっちにつけようか…?」
「結構前につけるんだね」
「だって1番前につけたいじゃん、目立つようにさ」

彼に言われるまま足を前に進める。

すると突然、ふわっと足元が浮いた気がした。

「○○、こっちだよ、もうちょい」

そう聞こえたと思ったけど、その声は大きく唸り声を上げた水しぶきの音にかき消された。

何故だろう…苦しい…息ができない。

でも…もうどうだって良かった。

コノヨニミレンハナイ
カレトムスバレルノナラジゴクダッテカマワナイ。

*********


ありがとう、最期に1番好きな人と話せて幸せだったよ。
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