PKMN二次創作
オーレ地方の南に座し、砂漠の中の建築物とは思えぬほど豪勢な学舎を何棟も構えるのは、ポケモン・アカデミア。通称”ポケデミア”。
そこはバトル、コンテスト、映画、美術や博物を学ぶポケモントレーナーたちの巨大都市である。
“ポケデミア”に、その囁きがいつ浮上したかは知られていない。
生徒たちの間で持ちきりの噂。それはとある地方の博士と、世界的俳優との間に生まれたトレーナーが、いつぞや此処へと転入してくるというものであった。
ーー学年は一年生。
ーー美しいかんばせをしている。
ーーポケウッド俳優志望とか。
ーーポケモンの腕もなかなかもの。
ーー当人の運動神経もまた、格別。
……”らしい”。
信憑性は一切ない。
しかし、一躍有名になった光の前には、また、影も蠢くようにーー
今は誰もいない教室の中央に立ち、入り口に背を向けて佇むのは、ポケデミアの制服に身を包んだ一人のーー腰にはモンスターボールが三つーーポケモントレーナー。
そこへ乱暴に扉を開き現れた男は、急ぎ教室の鍵を閉めると己の緑のサングラスをかけ直して生徒に向き直る。
「すまない、会議が長引いてね。最も、きみには想定済みだろうが」
「いえ…………」
首を横に降る、目を伏せたままのひとりの子供の様子に、”教師”は怒りもなく本題に入る。
「口に出すのも野暮な話だが。見立てではもう直ぐなんだろう?」
「そうですね。あと十日の内にやってきます」
「ふむ…… そうか。では、手筈通りに」
「はい、先生」
そこでようやく開かれた瞳には、少年の姿がくっきりと映って見えていた。 [newpage]
新たな出会いとは、新たな季節によって運ばれるものだというお決まりごとは、今やこの学園にとっては破られたも同然だった。
もうすでに噂が広まっている転入生、とある博士と世界的有名俳優の元に誕生したーーレンリという美少年が、今朝ようやく登校してきたことで話題は持ちきりであった。
「ギャロップに乗った王子さま」というのは比喩ではあるが、黒塗りのリムジンから降り立ち、堂々とポケデミアの門をくぐり、そこから闊歩する姿は絵になっていた。
無理もない。全ては彼の容姿に由来する。
彼が己の1-D教室に着いてからも騒ぎは収まる事を知らず、休み時間になれば一目見ようとクラスの外にも人が集い、教室は大混乱であった。
担任からは無論、静粛を呼びかける槌のような声が上がったものの、喜びも隠しきれていない。(彼も俳優のファンであるようだ)
本日の授業の終わり。
人々が立ち上がりレンリを放課後へと誘うべく囲み始めた頃に、突如としてその生徒たちがモーセの波のように道を開け、ひとりの背の高い男がマントを翻してレンリの前へと歩み寄る。
黒い長髪を一つに束ね、目元には派手な緑色で塗られたサングラス。腰元にはレンリが見たことのないようなボールを六つ身につけている。
明らかなる強者。
「相変わらずおっかねえなぁ……」
「転入生、目をつけられたのか?」
「……不気味だわ」
散々な評価であるが、近くにいた生徒が避ける前にレンリに素早く耳打ちをした。
「あれはーー先生、ーーの……」
しかし、肝心なところで言葉は遮られる。
「ちょっといいかな? ここでは何だから、着いて来て貰おう」
「……わかりました」
通る道から人が避け、一人を連れ出す様子は救世であるのか、はたまた……
レンリが半ば強引に教師に連れてこられたのは、誰一人観客のいないバトルコートである。警戒して辺りを見回していると、
「突然すまないね。」
「いえ……」
「自己紹介をしよう。おれの名はシャラ。1-Pの担任。教科の担当はポケモン生物学」
「はあ……」
今日の科目にポケモン生物学の授業はなかった。全くの初対面である。面識もない。
「単刀直入に話そう。ここで、とあるトレーナーとバトルをしてくれないか? きたまえアキラ」
有無を言わせず手叩きを二回鳴らす教師の合図を受け取り、暗闇から現れるのは見ない顔の生徒である。今朝の登校の際に押しかけた面々の中も見かけなかったな、とレンリは冷静に立ち会った。
「困ったな、僕はあまりバトルはやったことがなくて……。初心者も同然ですよ」
「目と目が合ったらポケモンバトル。そう教わりませんでしたか?」
真面目な顔でそう返すアキラと呼ばれたトレーナーに、レンリは思わず苦笑する。
平均よりは高い自分の背丈から比べるといささか小柄ではある。
特に思うところのある顔立ちでもない。人の波に紛れ込んでしまえば、記憶されることのないような一人であった。良くも悪くも、平凡。
一教師が連れてきた人材にしてみれば、別段光るものは見当たらなかった。
「いつの時代の話かな? それは……」
「すまないね、アキラなりのジョークなんだ。無論、君には断る権利がある」
シャラはアキラの肩を親しげに叩き、レンリへと優しく声をかける。
一体どういう関係なのだろう?
「君とバトルをすればいい、という目的がわからないので、お断りしたいです」
「そうですよね」
淡々とした声に、どんな言葉が返ってくるだろうと身構えていたレンリは驚きを隠す。
焦りを見せたのはシャラの方で、屈みこんで何か小声で耳打ちをした。アキラの方はというと、頷きを一つ返しただけで意に介さない。
「……『あなたはバトルをせず帰ることはできない』」
見透かしたような強い瞳で見つめられ、レンリはたじろぐ。
「確かに……そうかもね。君というトレーナーにも、使うポケモンにも、全く興味がないわけじゃない」
揺らぐ決心に追い打ちをかけるように、シャラはサングラスを外してジャローダのような顔の輪郭をあらわにする。ゆっくりとレンリを見つめ、そっと語りかける。
「そうだ。 アキラに勝利したら、出来る限りで望みを叶えてあげよう」
「望み……ですか」
そんなものがあるとすれば、平穏だ。自分の顔や、家族から、人様になにかを騒がれずに過ごしたい。せめて、この学園にいる間だけでもーー
「『おまえさんはアキラとの勝負を受ける』。そうだな?」
シャラという教師の素の姿を垣間見たと思った途端、油と薪がくべられたようにレンリの闘争心が燃え上がった。
「君とバトルをしよう、アキラ。僕が勝った暁には、この目的も教えてもらおうかな」
「戦闘不能はこちらが判断しよう。使用するポケモンは一対一」
(学園に来て、こんなに早くバトルをすることになるなんてな)
シャラの宣言を耳から流し、レンリはモンスターボールをじっと見つめる。初陣で出すポケモンはもうとっくに決めていた。
向き合うアキラの様子を伺うと、両手を前に広げて目を伏せている。精神を統一しているのだろうか?
「……それでは、バトル開始!」
カッ、と目が見開かれたアキラからは見たこともない青いボールが繰り出される。
「行きなさい、”ミダス”」
レンリには聴きなれぬニックネームを呼ばれ、現れたのは、全身が紫色のヘドロポケモン……ベトベター。
何故かこれに慌てて腰元を弄るのは、固唾を飲んで見守っていたシャラである。
「……おれのポケモンをいつの間に!?」
「すみません、拝借させていただきました。
いずれ、彼とは違う形で戦うことになりますので」
最後の方は小声だが、予言にも似た発言をアキラはする。ベトベターは、トレーナーのことも気にせず愉快そうに両手を挙げた。
「早速だけど、場面を有利にさせてもらうよ。……ラルトス! きみが主役だ!」
ラルトスは現れると、ちいさな片腕を回して一礼をする。劇の始まりのような仕草であった。
「エスパータイプですか……。ではミダス、ちいさくなる」
「ラルトス、ねんりき!」
ちいさな念動力を働かせるラルトスであったが、ベトベターはビクともしない。
「ミダス、ちいさくなる」
「(どんどん回避を上げていく作戦か……!)ラルトス、ねんりき!」
再びベトベターへ攻撃を送るラルトスだが、やはりピクリともしない。おかしいと思って一人と一匹が首を傾げていると、シャラがフフフと不気味に口元を釣り上げる。
「このミダスはアローラ地方にルーツを持っていてね……タイプはどく、そしてあくタイプも加わるのさ。
この色違いの姿は一見すると、通常のベトベターと区別がつかないだろう?」
「……自分のポケモンの事となるとおしゃべりになりますね、先生」
「余計なお世話だ」
教師にあるまじく舌を打つと、バツの悪そうに人差し指で額を抑えるシャラ。アキラといえば、作戦の全てを明かされたにもかかわらず、ポーカーフェイスは崩れない。
「つまりエスパータイプのわざは効かない……なるほどね?」
「ほう? そこまでタイプ相性を理解しているとは期待通りだ……」
「ミダス、はたく攻撃」
アキラが掌を返すと、同じくベトベターも長い毒手を振り上げてラルトスへと攻撃する。
頭が揺れるものの、ラルトスは立て直しなきごえあげた。
「残念ですね。特性がどくしゅであれば良かったのですが」
「おれのこだわりにこだわり抜いたベトベターに、ケチをつけないでいただこうか」
二回目のわざとらしい種明かしに、ならば更なる追加効果を恐れる必要はないと確信するレンリ。
(しかし、ラルトスのぼうぎょは低い……長引けばこちらが段々と不利になる……!)
「そのなきごえは困りますね。かなしばり」
「かわせラルトス! テレポート!」
発する呪文に対し、ラルトスはベトベターの遥か後方へと瞬間的に移動をする。
「続けてチャームボイス!」
その魅力の声は、初めてベトベターを苦しめた。
「音を扱うわざは、回避率に関係なくダメージを与えられる。おまえさん、本当にバトルは初心者なのか?」
「……」
まさかまぐれだとも言えず、おし黙るレンリ。しかし、好都合である。
「このまま押し切らせてもらう! もう一度チャームボイス!」
離れた位置からの、絶対に命中する音波攻撃。アキラは頭をすばやく回転させた。
「……ミダス、アシッドボム」
「とくしゅこうげきに切り替えてきたのか……! だけど、そうさせない!」
ベトベターの痛がりように、直撃したチャームボイスの威力が大きくなっていることにアキラは気付いた。
「……のどスプレーでしょうか」
「ご名答! のどスプレーは音をつかうわざを使ったときに、自分のとくこうを上げる!」
「……ミダス、アシッドボム!」
「ラルトス、チャームボイス!」
二人のわざがぶつかり合い、そしてーー
「ベトベター戦闘不能。勝者、レンリ。
いやはや、お見事」
ちっとも目の奥が笑っていないシャラが、拍手とともに宣言をする。
「お疲れ様でした、ミダス。 すみません。勝てませんでした、先生」
シャラにそっとボールを差し出すアキラは表情が乏しいが、どこか気落ちしているようである。
「なかなか見応えのある試合だった」
「本当に、僕を連れてきた理由ってなんだったんです? 答えてもらいますよ」
チラ、とシャラを見上げたアキラは彼の頷きを得た後でボソボソと話し出す。
「……ただ、シャラ先生が転入生のバトルの腕を試したかったようですよ」
絶対に嘘だ、と確信するレンリ。
「それよりも、勝者は何を望む? 屋上の鍵でも好きなコの隣の席でも、できる範囲でだがーー叶えることを約束しよう」
「それなら、君と先生の本心を聞きたいな」
レンリの甘いマスクを存分に発揮した誘惑だが、
「「そんなものはない な/です」」
と、目も合わせぬ双方に一喝される。
結局何かの目的で僕に近付いたのだろうなとーー今まで己に近付いてくる人間といえばーーレンリはどこか冷めた気持ちで二人を見た。
ラルトスは機敏にそれを感じ取ったらしく、そっと服の裾を摘む。
(大丈夫だよ、慣れているから)
「……平穏をお望みですか?」
突飛な言葉にギクリとする。
「まあ……そんなものがあるのなら」
「先生。どうしましょうか。私は、叶えてあげたいと思うのですが」
「好きにしたまえ」
「それでは、できる範囲で」
「…………は?」
まるでウソのような会話がなされたのを最後に、レンリの意識はそこで途絶えた。
寮に戻った記憶がないにもかかわらず自室に帰っていたレンリは、都合のいい夢だったのかもしれないとベッドに横たわり、隣で眠るラルトスに微笑む。校内放送をラジオのようにうとうとと聞いた。
朝に目を覚まし、彼が半ば絶望のようなものを感じて昨日と同じようにポケデミアの門を叩くと、自分の姿を目にした学生たちも、教師たちも、まるで彼の姿に関心がないかのような振る舞いをするのであった。
不気味な景色に驚愕しながら、教室まで無事にたどり着いたレンリは、隣の席の生徒に自分から話しかけねばならなかった。
彼女は「レンリくん、おはよう」と軽い挨拶を交わすと、読書に手をつける。
「……そんなに見られると、びっくりしちゃうわ」
「!?」
昨日はあれほど委員長と隣の席という特権を利用して、やれ教科書を貸すとか移動教室について回ってきた彼女、ハンナである。
まじまじと見つめていたレンリはハッとして、自然を装って会話を続ける。
「ごめんね、少し聞きたいことがあって……」
「そうなんだ? あっ、レンリくん、昨日転入してきたばっかりだもんね……なんでも聞いて?」
「……1-Pの教室って、どこかな?」
シャラが担任だという教室の名を出し、反応を伺った。
少女の顔はよろしくない。
「……1-Pには、近付かないほうがいいわ」
「どうして?」
「どうして、って……彼らはちょっと、”あれ”っていうか」
ハンナが口を開ききる前に、担任の教師が現れホームルームの開始を告げる。
急ぎレンリは彼女の方へ話を促すが、この話はおしまいだと首を振られてしまう。
おかしな状況と、おかしな人たち。
僕の日常は、何が正しく何が正しくないのだろうかーーレンリは、殆混乱してしまっていた。
そこはバトル、コンテスト、映画、美術や博物を学ぶポケモントレーナーたちの巨大都市である。
“ポケデミア”に、その囁きがいつ浮上したかは知られていない。
生徒たちの間で持ちきりの噂。それはとある地方の博士と、世界的俳優との間に生まれたトレーナーが、いつぞや此処へと転入してくるというものであった。
ーー学年は一年生。
ーー美しいかんばせをしている。
ーーポケウッド俳優志望とか。
ーーポケモンの腕もなかなかもの。
ーー当人の運動神経もまた、格別。
……”らしい”。
信憑性は一切ない。
しかし、一躍有名になった光の前には、また、影も蠢くようにーー
今は誰もいない教室の中央に立ち、入り口に背を向けて佇むのは、ポケデミアの制服に身を包んだ一人のーー腰にはモンスターボールが三つーーポケモントレーナー。
そこへ乱暴に扉を開き現れた男は、急ぎ教室の鍵を閉めると己の緑のサングラスをかけ直して生徒に向き直る。
「すまない、会議が長引いてね。最も、きみには想定済みだろうが」
「いえ…………」
首を横に降る、目を伏せたままのひとりの子供の様子に、”教師”は怒りもなく本題に入る。
「口に出すのも野暮な話だが。見立てではもう直ぐなんだろう?」
「そうですね。あと十日の内にやってきます」
「ふむ…… そうか。では、手筈通りに」
「はい、先生」
そこでようやく開かれた瞳には、少年の姿がくっきりと映って見えていた。 [newpage]
新たな出会いとは、新たな季節によって運ばれるものだというお決まりごとは、今やこの学園にとっては破られたも同然だった。
もうすでに噂が広まっている転入生、とある博士と世界的有名俳優の元に誕生したーーレンリという美少年が、今朝ようやく登校してきたことで話題は持ちきりであった。
「ギャロップに乗った王子さま」というのは比喩ではあるが、黒塗りのリムジンから降り立ち、堂々とポケデミアの門をくぐり、そこから闊歩する姿は絵になっていた。
無理もない。全ては彼の容姿に由来する。
彼が己の1-D教室に着いてからも騒ぎは収まる事を知らず、休み時間になれば一目見ようとクラスの外にも人が集い、教室は大混乱であった。
担任からは無論、静粛を呼びかける槌のような声が上がったものの、喜びも隠しきれていない。(彼も俳優のファンであるようだ)
本日の授業の終わり。
人々が立ち上がりレンリを放課後へと誘うべく囲み始めた頃に、突如としてその生徒たちがモーセの波のように道を開け、ひとりの背の高い男がマントを翻してレンリの前へと歩み寄る。
黒い長髪を一つに束ね、目元には派手な緑色で塗られたサングラス。腰元にはレンリが見たことのないようなボールを六つ身につけている。
明らかなる強者。
「相変わらずおっかねえなぁ……」
「転入生、目をつけられたのか?」
「……不気味だわ」
散々な評価であるが、近くにいた生徒が避ける前にレンリに素早く耳打ちをした。
「あれはーー先生、ーーの……」
しかし、肝心なところで言葉は遮られる。
「ちょっといいかな? ここでは何だから、着いて来て貰おう」
「……わかりました」
通る道から人が避け、一人を連れ出す様子は救世であるのか、はたまた……
レンリが半ば強引に教師に連れてこられたのは、誰一人観客のいないバトルコートである。警戒して辺りを見回していると、
「突然すまないね。」
「いえ……」
「自己紹介をしよう。おれの名はシャラ。1-Pの担任。教科の担当はポケモン生物学」
「はあ……」
今日の科目にポケモン生物学の授業はなかった。全くの初対面である。面識もない。
「単刀直入に話そう。ここで、とあるトレーナーとバトルをしてくれないか? きたまえアキラ」
有無を言わせず手叩きを二回鳴らす教師の合図を受け取り、暗闇から現れるのは見ない顔の生徒である。今朝の登校の際に押しかけた面々の中も見かけなかったな、とレンリは冷静に立ち会った。
「困ったな、僕はあまりバトルはやったことがなくて……。初心者も同然ですよ」
「目と目が合ったらポケモンバトル。そう教わりませんでしたか?」
真面目な顔でそう返すアキラと呼ばれたトレーナーに、レンリは思わず苦笑する。
平均よりは高い自分の背丈から比べるといささか小柄ではある。
特に思うところのある顔立ちでもない。人の波に紛れ込んでしまえば、記憶されることのないような一人であった。良くも悪くも、平凡。
一教師が連れてきた人材にしてみれば、別段光るものは見当たらなかった。
「いつの時代の話かな? それは……」
「すまないね、アキラなりのジョークなんだ。無論、君には断る権利がある」
シャラはアキラの肩を親しげに叩き、レンリへと優しく声をかける。
一体どういう関係なのだろう?
「君とバトルをすればいい、という目的がわからないので、お断りしたいです」
「そうですよね」
淡々とした声に、どんな言葉が返ってくるだろうと身構えていたレンリは驚きを隠す。
焦りを見せたのはシャラの方で、屈みこんで何か小声で耳打ちをした。アキラの方はというと、頷きを一つ返しただけで意に介さない。
「……『あなたはバトルをせず帰ることはできない』」
見透かしたような強い瞳で見つめられ、レンリはたじろぐ。
「確かに……そうかもね。君というトレーナーにも、使うポケモンにも、全く興味がないわけじゃない」
揺らぐ決心に追い打ちをかけるように、シャラはサングラスを外してジャローダのような顔の輪郭をあらわにする。ゆっくりとレンリを見つめ、そっと語りかける。
「そうだ。 アキラに勝利したら、出来る限りで望みを叶えてあげよう」
「望み……ですか」
そんなものがあるとすれば、平穏だ。自分の顔や、家族から、人様になにかを騒がれずに過ごしたい。せめて、この学園にいる間だけでもーー
「『おまえさんはアキラとの勝負を受ける』。そうだな?」
シャラという教師の素の姿を垣間見たと思った途端、油と薪がくべられたようにレンリの闘争心が燃え上がった。
「君とバトルをしよう、アキラ。僕が勝った暁には、この目的も教えてもらおうかな」
「戦闘不能はこちらが判断しよう。使用するポケモンは一対一」
(学園に来て、こんなに早くバトルをすることになるなんてな)
シャラの宣言を耳から流し、レンリはモンスターボールをじっと見つめる。初陣で出すポケモンはもうとっくに決めていた。
向き合うアキラの様子を伺うと、両手を前に広げて目を伏せている。精神を統一しているのだろうか?
「……それでは、バトル開始!」
カッ、と目が見開かれたアキラからは見たこともない青いボールが繰り出される。
「行きなさい、”ミダス”」
レンリには聴きなれぬニックネームを呼ばれ、現れたのは、全身が紫色のヘドロポケモン……ベトベター。
何故かこれに慌てて腰元を弄るのは、固唾を飲んで見守っていたシャラである。
「……おれのポケモンをいつの間に!?」
「すみません、拝借させていただきました。
いずれ、彼とは違う形で戦うことになりますので」
最後の方は小声だが、予言にも似た発言をアキラはする。ベトベターは、トレーナーのことも気にせず愉快そうに両手を挙げた。
「早速だけど、場面を有利にさせてもらうよ。……ラルトス! きみが主役だ!」
ラルトスは現れると、ちいさな片腕を回して一礼をする。劇の始まりのような仕草であった。
「エスパータイプですか……。ではミダス、ちいさくなる」
「ラルトス、ねんりき!」
ちいさな念動力を働かせるラルトスであったが、ベトベターはビクともしない。
「ミダス、ちいさくなる」
「(どんどん回避を上げていく作戦か……!)ラルトス、ねんりき!」
再びベトベターへ攻撃を送るラルトスだが、やはりピクリともしない。おかしいと思って一人と一匹が首を傾げていると、シャラがフフフと不気味に口元を釣り上げる。
「このミダスはアローラ地方にルーツを持っていてね……タイプはどく、そしてあくタイプも加わるのさ。
この色違いの姿は一見すると、通常のベトベターと区別がつかないだろう?」
「……自分のポケモンの事となるとおしゃべりになりますね、先生」
「余計なお世話だ」
教師にあるまじく舌を打つと、バツの悪そうに人差し指で額を抑えるシャラ。アキラといえば、作戦の全てを明かされたにもかかわらず、ポーカーフェイスは崩れない。
「つまりエスパータイプのわざは効かない……なるほどね?」
「ほう? そこまでタイプ相性を理解しているとは期待通りだ……」
「ミダス、はたく攻撃」
アキラが掌を返すと、同じくベトベターも長い毒手を振り上げてラルトスへと攻撃する。
頭が揺れるものの、ラルトスは立て直しなきごえあげた。
「残念ですね。特性がどくしゅであれば良かったのですが」
「おれのこだわりにこだわり抜いたベトベターに、ケチをつけないでいただこうか」
二回目のわざとらしい種明かしに、ならば更なる追加効果を恐れる必要はないと確信するレンリ。
(しかし、ラルトスのぼうぎょは低い……長引けばこちらが段々と不利になる……!)
「そのなきごえは困りますね。かなしばり」
「かわせラルトス! テレポート!」
発する呪文に対し、ラルトスはベトベターの遥か後方へと瞬間的に移動をする。
「続けてチャームボイス!」
その魅力の声は、初めてベトベターを苦しめた。
「音を扱うわざは、回避率に関係なくダメージを与えられる。おまえさん、本当にバトルは初心者なのか?」
「……」
まさかまぐれだとも言えず、おし黙るレンリ。しかし、好都合である。
「このまま押し切らせてもらう! もう一度チャームボイス!」
離れた位置からの、絶対に命中する音波攻撃。アキラは頭をすばやく回転させた。
「……ミダス、アシッドボム」
「とくしゅこうげきに切り替えてきたのか……! だけど、そうさせない!」
ベトベターの痛がりように、直撃したチャームボイスの威力が大きくなっていることにアキラは気付いた。
「……のどスプレーでしょうか」
「ご名答! のどスプレーは音をつかうわざを使ったときに、自分のとくこうを上げる!」
「……ミダス、アシッドボム!」
「ラルトス、チャームボイス!」
二人のわざがぶつかり合い、そしてーー
「ベトベター戦闘不能。勝者、レンリ。
いやはや、お見事」
ちっとも目の奥が笑っていないシャラが、拍手とともに宣言をする。
「お疲れ様でした、ミダス。 すみません。勝てませんでした、先生」
シャラにそっとボールを差し出すアキラは表情が乏しいが、どこか気落ちしているようである。
「なかなか見応えのある試合だった」
「本当に、僕を連れてきた理由ってなんだったんです? 答えてもらいますよ」
チラ、とシャラを見上げたアキラは彼の頷きを得た後でボソボソと話し出す。
「……ただ、シャラ先生が転入生のバトルの腕を試したかったようですよ」
絶対に嘘だ、と確信するレンリ。
「それよりも、勝者は何を望む? 屋上の鍵でも好きなコの隣の席でも、できる範囲でだがーー叶えることを約束しよう」
「それなら、君と先生の本心を聞きたいな」
レンリの甘いマスクを存分に発揮した誘惑だが、
「「そんなものはない な/です」」
と、目も合わせぬ双方に一喝される。
結局何かの目的で僕に近付いたのだろうなとーー今まで己に近付いてくる人間といえばーーレンリはどこか冷めた気持ちで二人を見た。
ラルトスは機敏にそれを感じ取ったらしく、そっと服の裾を摘む。
(大丈夫だよ、慣れているから)
「……平穏をお望みですか?」
突飛な言葉にギクリとする。
「まあ……そんなものがあるのなら」
「先生。どうしましょうか。私は、叶えてあげたいと思うのですが」
「好きにしたまえ」
「それでは、できる範囲で」
「…………は?」
まるでウソのような会話がなされたのを最後に、レンリの意識はそこで途絶えた。
寮に戻った記憶がないにもかかわらず自室に帰っていたレンリは、都合のいい夢だったのかもしれないとベッドに横たわり、隣で眠るラルトスに微笑む。校内放送をラジオのようにうとうとと聞いた。
朝に目を覚まし、彼が半ば絶望のようなものを感じて昨日と同じようにポケデミアの門を叩くと、自分の姿を目にした学生たちも、教師たちも、まるで彼の姿に関心がないかのような振る舞いをするのであった。
不気味な景色に驚愕しながら、教室まで無事にたどり着いたレンリは、隣の席の生徒に自分から話しかけねばならなかった。
彼女は「レンリくん、おはよう」と軽い挨拶を交わすと、読書に手をつける。
「……そんなに見られると、びっくりしちゃうわ」
「!?」
昨日はあれほど委員長と隣の席という特権を利用して、やれ教科書を貸すとか移動教室について回ってきた彼女、ハンナである。
まじまじと見つめていたレンリはハッとして、自然を装って会話を続ける。
「ごめんね、少し聞きたいことがあって……」
「そうなんだ? あっ、レンリくん、昨日転入してきたばっかりだもんね……なんでも聞いて?」
「……1-Pの教室って、どこかな?」
シャラが担任だという教室の名を出し、反応を伺った。
少女の顔はよろしくない。
「……1-Pには、近付かないほうがいいわ」
「どうして?」
「どうして、って……彼らはちょっと、”あれ”っていうか」
ハンナが口を開ききる前に、担任の教師が現れホームルームの開始を告げる。
急ぎレンリは彼女の方へ話を促すが、この話はおしまいだと首を振られてしまう。
おかしな状況と、おかしな人たち。
僕の日常は、何が正しく何が正しくないのだろうかーーレンリは、殆混乱してしまっていた。
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