火龍改聖杯譚
涙がシトシト床を濡らす。
ネズミがカリカリ床を引っ掻く。
脚がギリギリ引っ張られる。
(二)
まず、藤丸は音を感じた。普段は優しく藤丸の背を押してくれる、ともに戦い続けた職員の怒号。魔術師たちが必死になって知識をすり合わせる声。医者たちが患者を診る機械的な音。
次に香り。マーリンの花の香りが鼻腔をくすぐった。ベットに染みた医薬品のキュ…とくるような不思議な匂い。
次に感覚。身体に程よく重く温かいシーツと、愛する後輩の手の温もりが伝わってきた。
光が目を刺す。
「ふぁあ…よく寝た」
『…………………………………ハ?』
呑気な声が漏れた。
鋭い何対もの視線が藤丸を凝視している。もしかしなくても自分はTPOを弁えなかったのでは?? 藤丸は訝しんだ。
「先輩っ!」
「きゃっ、マシュ!」
後輩の熱い抱擁が藤丸を包んだ。マシュの腕が首に回され、伏せた顔から見える美しいまつ毛はふるふる震えていた。
あぁ自分は迷惑をかけてしまったな。後輩を悲しませてしまった。きっと彼女は自分の至らなさに気を揉んだであろう。
「ごめん…心配かけたよね」
「はい、はい、確かに心配をたくさんしました。
でも…良かった。先輩がこうして私の体を抱き返してくれて」
「いつものレムレムとは違かった?」
「全く違うぞ! 本当に面白いなっ」
アスクレピオスがハハハ、端正な顔を夏空のように鮮やかに歪めて、細い指先でこつこつバインダーを叩く。バインダーには何を書き込んでいるのかも分からないほど濃密に端的に藤丸のことが記されている。
「お、お怒り……」
慄く藤丸をこれまたハハハと笑い飛ばし、アスクレピオスは爛々と瞳を輝かせて言った。
「これは神代の中でも随分ニッチな魔術だ。僕よりも」「私の方が詳しいですね」「……だ、そうだ」
太公望がしなやかなに髪を靡かせて真っ赤に染まった両頬を摩りながら語る。
__藤丸が見ていた世界は中国の魔術形態の一部から派生されたものであり、今回は恐らく無意識下に巻き込まれたもらい事故である。
__使われている魔術は術者本人によって大幅に書き換えられており、追跡が困難である。
__この魔術を扱えるものは並大抵の技量ではない。サーヴァントにあらずとも半神か大いなる加護を授かっている者だ。
時折、口内の出血に文句を垂れながらも太公望は訥々と講釈を垂れた。そして、藤丸の中にはあの美男が思い浮かぶ。名を名乗らず、不可思議な仕草と、楽しくて弾んでいるようにも見えた赤い目。馬の尾が風に靡くみたいにシャンと舞う白髪__彼なのだろうか。
けれど疑い切れなかった。短い交流であったが彼は悪意を振り撒くようなものではないの感じたからだ。あの瞳には好奇心が宿ってた。あの瞳は藤丸自身を心から心配していた。
それを疑うなんて困難極まりない。それに、失礼だ。
彼は確かに誰かを救う、という煌めきを知る、手を持っていたから。
うぅん…。黙り込んだ藤丸を職員やサーヴァントたちは、心配半分、祈る気持ち半分の瞳で眺めていた。こういう時の彼は大抵、とんでもないことに巻き込まれていて、爆弾を抱えているのだ。長い旅路を共に歩んできたせいか分かってしまう。嫌な信頼である。
決心した顔で藤丸は頭を上げた。随分と病室が狭く見える。
「多分、概ね地獄みたいなところに行ってたんだけど…」
ほら!
「概ね地獄!? なんだいそれはっ」
マーリンが虹色の目の瞬きを繰り返す。藤丸の正気を疑っているようだ。
「実は……」
事情をかいつまんで話す。なるべく丁寧に、何かを溢してはいけないと自分に言い聞かせながら。
「……君は地獄の入口まで行ったらしいね」
「それなら前に行ったことなかったけ?」
地獄の閻魔大王の養女を思い出す。あれも中々にスリリングな経験だった。
「それとは別ですね」
「太公望…頬が」
「えぇそうですね、そこの真っ白なキャスターと妖精女王にその他造詣が深い方々と、切磋琢磨、鋭意を持ってあなたのために知識の擦り合わせをしましたからね…こうやってぶつかり合うこともあります」「おーい、ズレてるよ会話っ」「話がズレてますよ、我が夫を待たせないで」「ア、はい」
「マスターが茶々入れたせいですよ、もう。
恐らく仙人に近い、あのひと が関わっています。こんな時代まで生きていたのか、はたまた過去から未来に語りかけているのか、そこまでは分かりませんけれどね」
「あのひと ?」
「名を遊斎 、白髪とにぃっ、と気味の悪い笑顔を持つ男です」
「遊斎」
太公望の言葉を反芻する。そうか、これが彼の名か。神が自由に動き回り、それに仕える者の意をもつ名。彼らしいものだと感じた。
魔術師の世界では、名は深い意味を持つという。赤いフードを被る聖杯の寵愛を受けた男は言っていた。名は自身の在り方を示すものであると。神話の神々がいい例だ。彼らの名は大地そのものであったり存在であったりする。大層な名があるからこそ彼らは神々として力を振るうのだ。実際、自分の名を忘却してしまったサーヴァントは宝具もスキルすらも覚束ず、悩みあったりもした。
「きっとその人に会った」
「遊斎にですか!?」
パチパチ細い目を見開く太公望に同意を示して頷く。彼が妙に力を入れて語った、にぃっ、という笑顔と外見の特徴、間違いなくあの美男は遊斎である。
「なるほどなるほど、彼ならば、マァ行けますね地獄に」
「行けるんですか」
「行けちゃいます」
驚きについていけないマシュが思わず繰り返す。太公望はそれに分かると首肯を返し、いやはやしかし…と言葉を繋ぐ。
「うーん。彼は確かに卓越した魔術の腕と知識を持っていますが、誰かを地獄に引き摺る外道ではない。
これは遊斎以外の第三者がいると見ていいでしょう」
誰かが自分を事故とはいえ地獄に引き摺った、その事実に恐怖を覚える。
「いったい誰が…」
「おやっ、おやおやおやッ!」
先ほどから一言も言葉を発さず、端末と向き合っていたダヴィンチちゃんが突然端末から顔を上げて仰け反った。
どうしたんだ?
「お誂え向けな特異点が、つい先ほど観測されたよ」
「エ、」
「場所は日本の江戸時代…まだ徳川が政権を握っている時代だ」
「レイシフトの準備はオーケーかいっ、藤丸くん!」
「バッチリ!」
「よし来たっ、今回同行するサーヴァントも集まっているね」
いつもの如く、流れるように組まれたレイシフト。行く先は江戸時代ということでなるべく近代に詳しい日本系サーヴァントに同行を頼んだ、が、
「あなたの力になれるなら」
藤堂平助。
「あらあら旦那様、久しぶりのでぇと ですわね。不肖清姫、張り切っていきますわ!」
清姫。
「わはーっ! 楽しみだなっマスター!」
太歳星君。
「イヤ、ばらつき!!」
つい突っ込まずにはいられなかった。これがシバの出す最適解なのだろうが、あまりにばらつきが激しい。上記二名は日本出身という括りで見ればいいが、太歳星君が異質だ。
なんだ? 同じ東南アジアだから今回のレイシフトメンバーに組み込まれたのか?
「落ち着きなさい藤丸氏。仕方ありませんよ、何故かこの御三方以外、特異点に入ることすらできないという演算結果が出てしまいましたから」
「だ、だとしてもっ」
「バラバラだな…」
「ゴッフ所長!」
彼の肉厚な手がそっと肩に置かれる。一言。
「気張りなさいよ」
藤丸はその一言に崩れ落ちた。やらねばならないか、自分が!?
「……マスター」
崩れ落ちた藤丸に駆け寄りあらぬことをしようとした清姫を締めながら、平助は憐憫の瞳で見つめる。
「行こう」
伊達に人理修復を成し遂げていない。これくらいやってみせねば。
こうして藤丸たち一向は江戸時代__人形町に繰り出した。
ネズミがカリカリ床を引っ掻く。
脚がギリギリ引っ張られる。
(二)
まず、藤丸は音を感じた。普段は優しく藤丸の背を押してくれる、ともに戦い続けた職員の怒号。魔術師たちが必死になって知識をすり合わせる声。医者たちが患者を診る機械的な音。
次に香り。マーリンの花の香りが鼻腔をくすぐった。ベットに染みた医薬品のキュ…とくるような不思議な匂い。
次に感覚。身体に程よく重く温かいシーツと、愛する後輩の手の温もりが伝わってきた。
光が目を刺す。
「ふぁあ…よく寝た」
『…………………………………ハ?』
呑気な声が漏れた。
鋭い何対もの視線が藤丸を凝視している。もしかしなくても自分はTPOを弁えなかったのでは?? 藤丸は訝しんだ。
「先輩っ!」
「きゃっ、マシュ!」
後輩の熱い抱擁が藤丸を包んだ。マシュの腕が首に回され、伏せた顔から見える美しいまつ毛はふるふる震えていた。
あぁ自分は迷惑をかけてしまったな。後輩を悲しませてしまった。きっと彼女は自分の至らなさに気を揉んだであろう。
「ごめん…心配かけたよね」
「はい、はい、確かに心配をたくさんしました。
でも…良かった。先輩がこうして私の体を抱き返してくれて」
「いつものレムレムとは違かった?」
「全く違うぞ! 本当に面白いなっ」
アスクレピオスがハハハ、端正な顔を夏空のように鮮やかに歪めて、細い指先でこつこつバインダーを叩く。バインダーには何を書き込んでいるのかも分からないほど濃密に端的に藤丸のことが記されている。
「お、お怒り……」
慄く藤丸をこれまたハハハと笑い飛ばし、アスクレピオスは爛々と瞳を輝かせて言った。
「これは神代の中でも随分ニッチな魔術だ。僕よりも」「私の方が詳しいですね」「……だ、そうだ」
太公望がしなやかなに髪を靡かせて真っ赤に染まった両頬を摩りながら語る。
__藤丸が見ていた世界は中国の魔術形態の一部から派生されたものであり、今回は恐らく無意識下に巻き込まれたもらい事故である。
__使われている魔術は術者本人によって大幅に書き換えられており、追跡が困難である。
__この魔術を扱えるものは並大抵の技量ではない。サーヴァントにあらずとも半神か大いなる加護を授かっている者だ。
時折、口内の出血に文句を垂れながらも太公望は訥々と講釈を垂れた。そして、藤丸の中にはあの美男が思い浮かぶ。名を名乗らず、不可思議な仕草と、楽しくて弾んでいるようにも見えた赤い目。馬の尾が風に靡くみたいにシャンと舞う白髪__彼なのだろうか。
けれど疑い切れなかった。短い交流であったが彼は悪意を振り撒くようなものではないの感じたからだ。あの瞳には好奇心が宿ってた。あの瞳は藤丸自身を心から心配していた。
それを疑うなんて困難極まりない。それに、失礼だ。
彼は確かに誰かを救う、という煌めきを知る、手を持っていたから。
うぅん…。黙り込んだ藤丸を職員やサーヴァントたちは、心配半分、祈る気持ち半分の瞳で眺めていた。こういう時の彼は大抵、とんでもないことに巻き込まれていて、爆弾を抱えているのだ。長い旅路を共に歩んできたせいか分かってしまう。嫌な信頼である。
決心した顔で藤丸は頭を上げた。随分と病室が狭く見える。
「多分、概ね地獄みたいなところに行ってたんだけど…」
ほら!
「概ね地獄!? なんだいそれはっ」
マーリンが虹色の目の瞬きを繰り返す。藤丸の正気を疑っているようだ。
「実は……」
事情をかいつまんで話す。なるべく丁寧に、何かを溢してはいけないと自分に言い聞かせながら。
「……君は地獄の入口まで行ったらしいね」
「それなら前に行ったことなかったけ?」
地獄の閻魔大王の養女を思い出す。あれも中々にスリリングな経験だった。
「それとは別ですね」
「太公望…頬が」
「えぇそうですね、そこの真っ白なキャスターと妖精女王にその他造詣が深い方々と、切磋琢磨、鋭意を持ってあなたのために知識の擦り合わせをしましたからね…こうやってぶつかり合うこともあります」「おーい、ズレてるよ会話っ」「話がズレてますよ、我が夫を待たせないで」「ア、はい」
「マスターが茶々入れたせいですよ、もう。
恐らく仙人に近い、
「
「名を
「遊斎」
太公望の言葉を反芻する。そうか、これが彼の名か。神が自由に動き回り、それに仕える者の意をもつ名。彼らしいものだと感じた。
魔術師の世界では、名は深い意味を持つという。赤いフードを被る聖杯の寵愛を受けた男は言っていた。名は自身の在り方を示すものであると。神話の神々がいい例だ。彼らの名は大地そのものであったり存在であったりする。大層な名があるからこそ彼らは神々として力を振るうのだ。実際、自分の名を忘却してしまったサーヴァントは宝具もスキルすらも覚束ず、悩みあったりもした。
「きっとその人に会った」
「遊斎にですか!?」
パチパチ細い目を見開く太公望に同意を示して頷く。彼が妙に力を入れて語った、にぃっ、という笑顔と外見の特徴、間違いなくあの美男は遊斎である。
「なるほどなるほど、彼ならば、マァ行けますね地獄に」
「行けるんですか」
「行けちゃいます」
驚きについていけないマシュが思わず繰り返す。太公望はそれに分かると首肯を返し、いやはやしかし…と言葉を繋ぐ。
「うーん。彼は確かに卓越した魔術の腕と知識を持っていますが、誰かを地獄に引き摺る外道ではない。
これは遊斎以外の第三者がいると見ていいでしょう」
誰かが自分を事故とはいえ地獄に引き摺った、その事実に恐怖を覚える。
「いったい誰が…」
「おやっ、おやおやおやッ!」
先ほどから一言も言葉を発さず、端末と向き合っていたダヴィンチちゃんが突然端末から顔を上げて仰け反った。
どうしたんだ?
「お誂え向けな特異点が、つい先ほど観測されたよ」
「エ、」
「場所は日本の江戸時代…まだ徳川が政権を握っている時代だ」
「レイシフトの準備はオーケーかいっ、藤丸くん!」
「バッチリ!」
「よし来たっ、今回同行するサーヴァントも集まっているね」
いつもの如く、流れるように組まれたレイシフト。行く先は江戸時代ということでなるべく近代に詳しい日本系サーヴァントに同行を頼んだ、が、
「あなたの力になれるなら」
藤堂平助。
「あらあら旦那様、久しぶりの
清姫。
「わはーっ! 楽しみだなっマスター!」
太歳星君。
「イヤ、ばらつき!!」
つい突っ込まずにはいられなかった。これがシバの出す最適解なのだろうが、あまりにばらつきが激しい。上記二名は日本出身という括りで見ればいいが、太歳星君が異質だ。
なんだ? 同じ東南アジアだから今回のレイシフトメンバーに組み込まれたのか?
「落ち着きなさい藤丸氏。仕方ありませんよ、何故かこの御三方以外、特異点に入ることすらできないという演算結果が出てしまいましたから」
「だ、だとしてもっ」
「バラバラだな…」
「ゴッフ所長!」
彼の肉厚な手がそっと肩に置かれる。一言。
「気張りなさいよ」
藤丸はその一言に崩れ落ちた。やらねばならないか、自分が!?
「……マスター」
崩れ落ちた藤丸に駆け寄りあらぬことをしようとした清姫を締めながら、平助は憐憫の瞳で見つめる。
「行こう」
伊達に人理修復を成し遂げていない。これくらいやってみせねば。
こうして藤丸たち一向は江戸時代__人形町に繰り出した。
