掌中の珠
かつて見たことのないほど明るい空だった。
これは暗闇をかき消す黎明の光か。難攻不落と謳われた千年王宮――傲慢にそびえ立つ巨塔がいま、あえなく崩れ去ろうとしている。
もっと近くで最後の時を見守らねば。手綱を引き締め一気に下降し、聖都を望む砦の一角へ降り立った。妹も後を追って砦に飛来した。
晩秋の夜風が、熱波を運んでくる。眼前に広がるのはまさに夢に描きつづけてきた光景だった。
巻きあがる火の粉でかすむ先に、黄金の都が横たわっている。あちらこちらで上がる火の手と狂乱の声。狂騒の果てにたどり着いた瞬間に鼓動が高鳴る。
この胸の高揚は、父を手にかけたとき以来だ。地に足がつかぬような恍惚感、そして冴え冴えとした寂寥感がない交ぜとなっている。
久方ぶりの感覚に酔いしれながら、かたわらに立つ妹の横顔を見る。その瞳は炎を宿していながら暗く、どこか空虚にも思えた。時折こうして俺の知らぬ顔を見せる。
「なにを考えている?」
「……あっけないものだと」
にべない答えに笑いがもれた。たまらなく愉快だった。思えばこいつもずいぶんと変わった。
距離をつめ、顔を近づけると、不快げに眉をよせた。空虚な目に嫌悪がにじむ。この目で見られることにももう慣れた。
「少しはうれしそうな顔をしたらどうだ?」
籠手をはめたままの手で、引きつった頬にふれる。
「ようやくわれらの悲願が叶えられたのだから」
「われら? あなたの悲願であろう」
忌々しい答えに、嗜虐心をあおられる。
「いかな経緯があろうと、選んだのはおまえ自身だ。そうだろう?」
さらに距離をつめれば、あわてて肩を引く。甲冑ががちゃりと音を立てた。
「おまえも楽しんでいたではないか」
耳をつかみ、顔を引きよせる。
「思い描いたとおりに駒が進んでゆくさまは、快感だっただろう?」
「……違う」
「違うものか」
反駁しようと唇がふるえている。造作もない。おまえはたやすく心を乱す。
「小娘に竜騎士団を預けることに難色を示す者もいたが、おまえの挙げた武功は権高な将軍らをはるかに凌ぐもの。もはやおまえを侮る者はいない。やつらを黙らせたおのが手腕、誇りに思えばいい」
「そのようなもの、なにが誇りか!」
いきおいよく手をふり払った。逃げるように背をむけ、おぼつかぬ足どりで鋸壁によりかかる。騎竜イージスが主をなぐさめるように鼻先を髪に押しつけた。妹はしばらくなすがままになっていたが、ついにこらえ切れぬとばかりにその首にすがりついた。
――憐れな女。
〈赤い竜騎士〉などと呼ばれ、恐れられていようとも、一皮むけばこのありさま。あまりにもろく、弱い。
その頼りなげな姿が、あの夜を想い起こさせる。
こいつが俺を受けいれぬことなどわかっていた。それでも真実を突きつけ、踏みにじり、痛めつけた。
憎悪を宿し、涙にぬれた瞳。かぶりをふり、むなしい否定をくりかえし、願いがかなわぬと知れば、ぶざまに泣き崩れた。声を押し殺してなおもれる嗚咽が礼拝堂にはかなく響いた。
柩に横たわる父はさぞ無念であっただろう。最愛の娘の慟哭を前に、涙をぬぐうこともできぬ。
そう、おまえを庇護する者はもういない。俺をのぞいて、ほかには誰も。
立つことさえままならぬ打ちひしがれた姿を見ても、憐れみをおぼえはしなかった。
それはいまも変わらない。いたわるべき言葉がなにひとつうかばない。
これは、あのとき俺が殺したにひとしい存在なのだ。どうあっても断ち切らねばならなかった。いっそ父とともにこの手にかけてもよかったのだ。それを押しとどめたものが情であったのか、保身であったのか、いまになってもよくわからない。
戯れに生かした者ゆえ、そのまま捨ておくつもりだった。争いを望まぬのなら、剣を捨て、姫らしく過ごしていればよい。歯向かわぬかぎりはそばにおき、これまでのようにいつくしんでやる。
それでもかまわなかったというのに、こいつは立った。血のにじむ傷口をえぐってもなお、ひるむことなく食らいついてきた。手負いの獣にも似たその気高さに、たまらなく興をそそられた。
やはりおまえは必要だ。
すべてを共有するわが半身よ。
いつか俺の征く道を阻む者がいるとすれば、それはおまえ以外にいないだろう。それでも切り捨てることはできかねるのだ。その才を惜しむがゆえに。
こいつはまだ使える。利用価値がある。紅い甲冑をまとい、天空を駆ける姿。さながら女神のごとき威容に、熱をおび、酔ったような兵士の目がそそがれていた。あれほど熱狂的に兵を鼓舞できる者をほかには知らぬ。
だから、いまはまだ――
「……兄上」
うるんだ瞳が、その奥に鋭利な光を宿して俺を射た。
「わたしは、おのが罪から逃れようとは思わぬ。これから先、咎人としていかな誹りを受けようとも、神の罰が下ろうとかまわぬ。この身、朽ち果てるまで……あなたともに」
夜明けはまだ遠い。だがここに光はある。
たぎる憎悪を呑みこみ、遺恨を燃やす紅蓮の炎。暁の光が地上をつつむまで、その火を絶やすわけにはいかない。破壊なくして再生もない。
そうだろう、ミネルバ。俺たちは誰よりも知っているではないか。
亀裂を糊塗しつづけても、なにも変わりはしないのだと。
「俺が大陸をこの手中におさめるとき、おまえは俺のとなりにいろ」
両の目が、驚きにみひらかれる。そこに嫌悪はない。あどけない幼子のように無垢な瞳。切り捨てたはずの昔日の面影が、暗闇からよみがえる。
あのころ夢に描いた世界は、いまなおまばゆくきらめき、まなうらを踊っている。輝く光のもとで風が舞いあがる。さやかな花のにおいが鼻腔をくすぐる……。
いま、聖都に広がる炎が大陸をおおい、すべてを破壊し尽くした後、そこには骨のように白く清浄なかけらが残るだろう。
それこそが、われらの願い。
濁りなき理想。(了)
これは暗闇をかき消す黎明の光か。難攻不落と謳われた千年王宮――傲慢にそびえ立つ巨塔がいま、あえなく崩れ去ろうとしている。
もっと近くで最後の時を見守らねば。手綱を引き締め一気に下降し、聖都を望む砦の一角へ降り立った。妹も後を追って砦に飛来した。
晩秋の夜風が、熱波を運んでくる。眼前に広がるのはまさに夢に描きつづけてきた光景だった。
巻きあがる火の粉でかすむ先に、黄金の都が横たわっている。あちらこちらで上がる火の手と狂乱の声。狂騒の果てにたどり着いた瞬間に鼓動が高鳴る。
この胸の高揚は、父を手にかけたとき以来だ。地に足がつかぬような恍惚感、そして冴え冴えとした寂寥感がない交ぜとなっている。
久方ぶりの感覚に酔いしれながら、かたわらに立つ妹の横顔を見る。その瞳は炎を宿していながら暗く、どこか空虚にも思えた。時折こうして俺の知らぬ顔を見せる。
「なにを考えている?」
「……あっけないものだと」
にべない答えに笑いがもれた。たまらなく愉快だった。思えばこいつもずいぶんと変わった。
距離をつめ、顔を近づけると、不快げに眉をよせた。空虚な目に嫌悪がにじむ。この目で見られることにももう慣れた。
「少しはうれしそうな顔をしたらどうだ?」
籠手をはめたままの手で、引きつった頬にふれる。
「ようやくわれらの悲願が叶えられたのだから」
「われら? あなたの悲願であろう」
忌々しい答えに、嗜虐心をあおられる。
「いかな経緯があろうと、選んだのはおまえ自身だ。そうだろう?」
さらに距離をつめれば、あわてて肩を引く。甲冑ががちゃりと音を立てた。
「おまえも楽しんでいたではないか」
耳をつかみ、顔を引きよせる。
「思い描いたとおりに駒が進んでゆくさまは、快感だっただろう?」
「……違う」
「違うものか」
反駁しようと唇がふるえている。造作もない。おまえはたやすく心を乱す。
「小娘に竜騎士団を預けることに難色を示す者もいたが、おまえの挙げた武功は権高な将軍らをはるかに凌ぐもの。もはやおまえを侮る者はいない。やつらを黙らせたおのが手腕、誇りに思えばいい」
「そのようなもの、なにが誇りか!」
いきおいよく手をふり払った。逃げるように背をむけ、おぼつかぬ足どりで鋸壁によりかかる。騎竜イージスが主をなぐさめるように鼻先を髪に押しつけた。妹はしばらくなすがままになっていたが、ついにこらえ切れぬとばかりにその首にすがりついた。
――憐れな女。
〈赤い竜騎士〉などと呼ばれ、恐れられていようとも、一皮むけばこのありさま。あまりにもろく、弱い。
その頼りなげな姿が、あの夜を想い起こさせる。
こいつが俺を受けいれぬことなどわかっていた。それでも真実を突きつけ、踏みにじり、痛めつけた。
憎悪を宿し、涙にぬれた瞳。かぶりをふり、むなしい否定をくりかえし、願いがかなわぬと知れば、ぶざまに泣き崩れた。声を押し殺してなおもれる嗚咽が礼拝堂にはかなく響いた。
柩に横たわる父はさぞ無念であっただろう。最愛の娘の慟哭を前に、涙をぬぐうこともできぬ。
そう、おまえを庇護する者はもういない。俺をのぞいて、ほかには誰も。
立つことさえままならぬ打ちひしがれた姿を見ても、憐れみをおぼえはしなかった。
それはいまも変わらない。いたわるべき言葉がなにひとつうかばない。
これは、あのとき俺が殺したにひとしい存在なのだ。どうあっても断ち切らねばならなかった。いっそ父とともにこの手にかけてもよかったのだ。それを押しとどめたものが情であったのか、保身であったのか、いまになってもよくわからない。
戯れに生かした者ゆえ、そのまま捨ておくつもりだった。争いを望まぬのなら、剣を捨て、姫らしく過ごしていればよい。歯向かわぬかぎりはそばにおき、これまでのようにいつくしんでやる。
それでもかまわなかったというのに、こいつは立った。血のにじむ傷口をえぐってもなお、ひるむことなく食らいついてきた。手負いの獣にも似たその気高さに、たまらなく興をそそられた。
やはりおまえは必要だ。
すべてを共有するわが半身よ。
いつか俺の征く道を阻む者がいるとすれば、それはおまえ以外にいないだろう。それでも切り捨てることはできかねるのだ。その才を惜しむがゆえに。
こいつはまだ使える。利用価値がある。紅い甲冑をまとい、天空を駆ける姿。さながら女神のごとき威容に、熱をおび、酔ったような兵士の目がそそがれていた。あれほど熱狂的に兵を鼓舞できる者をほかには知らぬ。
だから、いまはまだ――
「……兄上」
うるんだ瞳が、その奥に鋭利な光を宿して俺を射た。
「わたしは、おのが罪から逃れようとは思わぬ。これから先、咎人としていかな誹りを受けようとも、神の罰が下ろうとかまわぬ。この身、朽ち果てるまで……あなたともに」
夜明けはまだ遠い。だがここに光はある。
たぎる憎悪を呑みこみ、遺恨を燃やす紅蓮の炎。暁の光が地上をつつむまで、その火を絶やすわけにはいかない。破壊なくして再生もない。
そうだろう、ミネルバ。俺たちは誰よりも知っているではないか。
亀裂を糊塗しつづけても、なにも変わりはしないのだと。
「俺が大陸をこの手中におさめるとき、おまえは俺のとなりにいろ」
両の目が、驚きにみひらかれる。そこに嫌悪はない。あどけない幼子のように無垢な瞳。切り捨てたはずの昔日の面影が、暗闇からよみがえる。
あのころ夢に描いた世界は、いまなおまばゆくきらめき、まなうらを踊っている。輝く光のもとで風が舞いあがる。さやかな花のにおいが鼻腔をくすぐる……。
いま、聖都に広がる炎が大陸をおおい、すべてを破壊し尽くした後、そこには骨のように白く清浄なかけらが残るだろう。
それこそが、われらの願い。
濁りなき理想。(了)
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