萌芽

 木剣がかん高い音を立てて飛んでいった。手にしびれが走り、思わず声がもれる。
「まったく身が入っておらぬようですな」
 わざと腕を打ちすえた宰相が大きくため息をついた。
「殿下、いまはご自分のなすべきことのみをお考えください」
 宰相にして父上の近衛。いま、おまえのなすべきことは俺の剣術の相手なのか。喉元まで出かかっていた言葉を呑みこんで、剣を拾った。
 両手でかまえ、怒りにまかせて打ちかかる。かんたんに払われ、足元がぐらつく。踏んばって、すぐに打ちかえすが、太刀筋は完全に読まれていて、どう打ちかかってみてもすべて弾きかえされてしまう。そして最後には素手でなぎはらわれ床に倒れこんだ。
「これ以上は無駄のようですな」
 俺を見下ろす目は冷たい。
「今日はもうお部屋にお戻りを」

 鍛錬場からの帰り、謁見の間のあたりで廷臣たちが話していた。近づいて耳をすます。
「北部の村々はもうどうにもなりませんな」
「まあ、昨年の時点でこうなることは予測されてはいた。あやつらは種もみも牛馬も食ってしまって、ろくに作付けできなかったというではないか」
 なんで飢えてる者たちが悪いみたいに言うんだ。
「これほど疫病がはやっているようでは、王都の城門は封鎖したほうがよいでしょうな」
「せめて王都だけは守らねば――」
 聞いていられなくて、速足で廊下を進んだ。
 あのぶんだと、父上のもとへ嘆願に来た者を追い返したんだろう。いまでは農民だけでなく領主さえも飢えていて、今年生まれた跡取りを亡くした者もいるらしい。ほんとうにいまのこの国で赤ん坊は生きられないのだ。
 部屋に戻ると、となりからハープの音が聞こえてきた。なんだ、ずいぶんうまくなったじゃないか。守護神を讃える聖歌。小さなころから耳にしてきた旋律。好きでもないのに思わず口ずさみそうになる。降臨節まであと八日。寒さはこれからもっと厳しくなる。
 なにもする気にならないが、しばらく放り出していた史書をひらいてみる。明日までに読んでおくよう言われたが、何百年も前のアカネイアの歴史になんか興味はない。事実だけが書かれてるだけならいいが、ほとんど神話で、わざとらしい礼賛がちりばめられていて辟易する。こんなものを学んでなんになるんだ。そう口にしようものなら、父上や宰相はこう言うに決まってる。なすべきことをせよと。
 暖炉の前で寝っ転がったまま本を読みすすめた。なにが神に守られし聖王国だ。つまらなくて眠気が襲ってくる。炎の燃えるぱちぱちとした音がさらに眠りをさそう。
 目を閉じていると、鈍い音が響いた。となりの部屋からだった。
 そういえばハープの音が聞こえてこない。
 嫌な予感がした。飛び起きて、となりの部屋に駆けこんだ。
 いったいなにが起こってるのか、一瞬わからなかった。妹は床に突っ伏していた。すそを踏んづけて転んだのかと思ったけど、違う。そんなんじゃない。全然動かない。抱え起こして激しくゆさぶる。
「おい! どうしたんだ!」
 少し前から妹の様子がおかしかった。いつもだったらうるさいぐらいにしゃべりかけてくるのに、ここ最近はいやにおとなしくて、カウチにもたれて眠ってばかり。足元がふらふらしてるときもあった。
 全身に鳥肌が立つ。心臓がどくどくする。
「しっかりしろ! 誰かっ……誰か来てくれっ!」
 女官たちが駆けつけてきて悲鳴をあげた。一人はすぐに走り去っていった。抱きかかえて寝台に運び、すぐに医師がいらっしゃいますからと慰めるように言う。医師が来たってなんにもならない。
 部屋を飛び出し、渡り廊下を抜けて父の部屋に向かった。すんでのところで、じいが邪魔をした。いまはシモンどのがおられます。だからなんだと言うんだ。
 じいをふりきって、扉をいきおいよく開けた。
 目の前には不愉快な光景が広がっていた。
 王の部屋なのに、父上は立って、シモンは父上の椅子にどっかりと座っていた。卓の上にはぶあついチーズとクルミ。シモンはワインを一口飲んでから、どろんとした目で俺を見た。
「これはミシェイルどの。どうされた?」
「話の途中だ。出ていきなさい」
 父上は俺を見ずに冷たく言った。
「さあ、ミシェイルさま……」
 じいが俺の肩をかかえるようにして連れ出そうとした。思いきりもがいて腕をふりほどくと、いやらしい笑い声が部屋に響いた。
「お元気なことだ」
 シモンはにたにた笑った。憎たらしいほど顔色がいい。
「いま、父君を狩りに誘っていたところなのだが、どうやら気乗りされぬようでな。せっかくの計画をはねつけられてしまった。そなたからも父君に頼んでみてはくれぬか」
 ばからしい。
 シモンは槍も弓も下手だからキツネ狩りしかやらない。キツネをなぶり殺しにするためにアカネイアからでかい猟犬を十匹も持ちこんだ。こいつの犬に食わせる餌ほど無駄なものはない。
 黙りこんでいると、シモンは一笑して父上を見た。
「キツネの肉は臭くて食えたものではないというが、貧民どもはネズミの肉を食しておるそうではないか。キツネ肉でもやつらにとっては王からのありがたい施しとなろう? では明日、よいな?」
 父上はなにも言わない。こんな侮辱にはなれてしまってて、怒りすら感じないのだろう。
 でもそんな父上を怒らせる方法なら知っている。
「父上はいまここで狩りをされればいい」
 シモンをにらみつける。
「目の前に肥え太った豚がいるではないか」
「ミシェイルさま――!」
 じいが叫んだ。父上もこっちを見た。笑みをつくってみせた瞬間、手の甲でほおを打たれた。
 まるで邪魔なものを払いのけるみたいに。
 思わず膝をついたが、すぐに立ちあがる。豚の前でひざまづいてなんかやるものか。
「そう手荒にせずともよいではないか」
 シモンは立ちあがり、おおかわいそうに、と俺の頭を馬鹿にするようになでた。
「世の理なぞなにもわからぬ幼子の申すこと、わしはいちいち目くじらを立てはせぬぞ」
 打たれたほおにふれ、口元をゆがませる。
「そなたが王となる日を楽しみにするとしよう」
 シモンが出ていくと、父上がうんざりとためいきをついた。
「おまえは、われが何度申してもわからぬのだな。いいかげん耐えることを学べ」
 父上はじっと卓上を見つめていて、こっちを見ようともしない。今度こそ俺に失望したのかもしれない。でもそんなのこっちだっておなじだ。
「さっきミネルバが倒れたんだ」
 一瞬驚いた顔をしたが、すぐにもとに戻った。あんなに可愛がってるくせにどうでもいいのか?
「あいつは馬鹿だ。自分のものなんだから自分一人で食べていればよかったんだ。……どうしようもない馬鹿なやつだと思うけど、父上がなにもしてやらないからこんなことになったんじゃないか。父上がいつも言われるように、どんな理不尽でも耐えた結果がこれじゃないか!」
 怒りで身体がふるえる。
「恥ずかしいと思われないのか。王の娘が飢えで倒れるなんて、そんな国、この大陸のどこを探したってあるわけがない。父上はいったいなにを守ろうとしているんだ。いつまであんなやつに好き勝手にさせてるんだ!」
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