萌芽
ここしばらく、妹はそわそわしている。大きな目をきょろきょろ動かし、給仕の目をかいくぐり、長いそでの奥にパンを隠す。うまくやってるつもりだろうが、こっちからは丸見えだ。
部屋を出ると、後ろをふりかえりつつ、召使い用の階段を駆け下りていった。こっそり後をつける。
「これも一緒にもっていってね。もちろん誰にも内緒よ」
「はい、姫さま」
密会の相手は離宮の小間使いだった。以前からこの娘に手紙をあずけていたのは知っていたが、これからはパンも追加されるらしい。
少し前、あの小間使いがこぼしていた。離宮に届けられる食べ物が少なくなった。奥さまにお出しするパンもなくてどうしたらいいのか。赤ちゃんはお乳が飲めないと死んでしまうのに。そんなことを憐れっぽく語っていた。
だから、こんなことになるだろうとは思っていた。
妹の秘密はとっくに近侍の者が気づいてて、父上の耳にも入っていた。
「なぜそんなことをするのだ?」
父上の声は厳しかった。いつもは甘やかしてるのに今日ばかりは違った。でも妹はまっすぐに父上を見上げた。
「マリアにあげるためです」
「赤ん坊はそんなものは食べられはせぬ」
「ええ、ですからマリアのお母さまに」
「……食事に出されるものはおまえのものだ。おまえが食べなさい」
「わたしのものだからわたしの好きにします」
夏で六つになった妹は、父上や廷臣たちの前でずいぶん大人びたふるまいをするようになった。俺の前だとあいかわらず甘ったれでわがままなやつだが、聞き分けの悪さだけは父上の前でもおなじだった。
「あれは強情だ。いったい誰に似た?」
父上がぼやくと、宰相が苦笑する。
「お父君とお母君、どちらに似てもそうなりましょう。しばしご様子を見られては?」
「どうせ長くはつづくまいがな」
笑い合う二人に胸がむかついた。妹がどうしてこんなことをしてると思ってるんだ?
異変は、ふた月ほど前から感じていた。
たとえば干した果実のつまった焼き菓子。じいが勉強の合間に用意してくれていたが、秋になってから一度も食べていない。このごろでは白いパンが食事に出てくることもなくなった。
領地が大変なのか、宮廷に出てくる貴族も少なくなった。城はがらんとしているのに争う声があちらこちらで聞こえてくる。父上はずっと険しい顔をしていて、妹の強情さに呆れるぐらいしか笑う機会がないのかもしれない。
「――それでは殿下、次回までにこの史書をひととおりお読みになってください」
「これをすべてか?」
「はい。くれぐれも、ご興味のない部分を読み飛ばすのはおやめいただきたく」
念を押され、しかたなく最初からページをひらいた。頬杖をつき、ぱらぱらとめくっていると、となりの部屋からハープの音が聞こえてきた。
最近妹はよくハープを弾いている。母上が使っていたものを自分の部屋に運びこんで、教師をつけて練習を始めた。始めたばかりにしても、しょっちゅうつっかえて、何度もおなじところを間違ってはやり直してばかり。これじゃなんの曲だかわからない。
急にハープの音が途切れたと思ったら、いきなり扉があいた。勝手に入ってきて、ねえねえ、とまとわりついてくる。
「いまから離宮に行きましょ」
本を読むふりをして無視すると、腕をつかんでゆさぶってくる。
「このあいだは雨が降ってたから行けなかったわ」
「だめだ。俺はいそがしい。おまえだっていまは音楽の時間じゃないのか」
「もう終わったの」
「勝手に終わらせるな。へたくそなんだから、ちゃんと練習しろよ。母上みたいに弾けるようになりたいんだろ?」
「だって――」
「だって、じゃない」
「……今日行くって、お手紙書いてしまったもの」
「それを早く言え」
急いで厩舎へ行き、愛竜 を連れ出す。よろこんで鼻先をくっつけてくるメティスの頭をなでやっていると、白い毛皮の外套を着た妹が女官に連れられてやってきた。先に俺がメティスにまたがり、妹を引っぱり上げてやる。
「しっかりつかまってろよ」
「うん!」
離宮までは飛竜でひとっ飛び。俺なら歩いてもいけるが、妹の足じゃ絶対に無理だ。誰かが連れて行ってやらないといけない。それなのに忙しいと突っぱねたら、こいつはひとりで歩いていくと言い張って聞かない。父上の言うようにほんとうに強情なやつだ。
主宮の西、ちいさな泉の近くにこじんまりとした館がある。館の前の木陰に降り、おとなしくしてるよう愛竜に言い聞かせていると館の扉が開いた。二階の窓から俺たちが来たのが見えたのだろう。侍女が現れ、明るい笑みで迎えてくれる。
「ミシェイルさまにミネルバさま、お待ちしておりました」
「ああ、邪魔をする」
「お寒かったでしょう。さあ、なかへどうぞ」
「ミシェイル、早く行きましょ!」
妹は待ちきれない様子で石段を先に駆け上がっていった。
「まあまあ姫さま、そんなに急がれては危のうございます」
「おい」
急いで後を追おうとする侍女を呼びとめる。
「どうかなさいましたか」
「俺たちはここに来てもかまわんのか」
侍女は目を丸くした。さて、どう言ったものだか。
「……俺はよく事情を知らんのでな。妹のわがままでたびたび離宮を出入りするようになったわけだが、ソフィアどのは迷惑には思われてはいないのか」
「そのようなお気遣いを……」
侍女は少し涙ぐむように目をさっとぬぐった。
「どうぞ、なんの気兼ねもなくおいでになってくださいませ。奥さまはとてもよろこんでいらっしゃいます」
「そうか」
階段を上ってすぐの大きな扉を開けると、いつものように館の主がお辞儀をして待っていた。
「王太子さま、姫さま、よくぞおいでくださいました」
「ごきげんよう、ソフィアどの。お招きありがとうございます」
妹は急にかしこまった態度になった。招かれたんじゃなく押しかけたんだろうに。吹き出しそうになるのをこらえる。
「あの、マリアは元気ですか」
「ええ、とても。さっき起きたばかりですわ」
ソフィアどのは、部屋の真ん中におかれたゆりかごに目をやった。赤ん坊の小さな手がちらっと見える。
妹はゆりかごに近づくと、その手と自分の手を重ね合わせて、歌うような調子で話しかけはじめた。こんにちは、しばらくあなたに会えなくてさみしかったわ、いつになったらあなたとおしゃべりできるようになるのかしら。その様子を、ソフィアどのが目をほそめてみつめている。
ソフィアどのは母上とはまるで違う。母上はうつくしかったが厳しくて冷たかった。笑顔なんて見た記憶がない。でもこの人の笑みはやわらかくて、妹への態度もいつくしみ深い。もとは女官だと誰かが言ってたが、こんなに弱々しくひかえめな気性では王宮での暮らしは向かないだろう。
「……父上はここへは来るのか」
思い切って聞くと、ソフィアどのは微笑したまま首をふった。侍女も悲しそうな顔になる。聞くべきじゃなかった。話題を変える。
「ここでの生活に困ってはいないのか」
「ご心配にはおよびません。みな、とてもよくしてくださってますから」
よくしているなら下働きが愚痴をこぼすことなどないだろうに。
迷惑に思われていないにしても、この親子とどう接すればいいのかわからない。継母であるのだし、母と呼んでもよいのだろうけど、なんとなくそうすべきでないのはわかる。
父上は俺たちがここへ来ることにあまりよい顔はしていない。妹に会いたいとミネルバが駄々をこねるから、しぶしぶ許してくれただけだ。じいもこの件には口が重い。妃となるには身分が高くないだとか、母上が宰相の姪だから、宰相に気兼ねしているだなんて噂も聞いた。母上が死んで二年になるし、父上が後添えを迎えたってべつにどうとも思わないが、そんなかんたんな話でもないのだろう。
「姫さま」
ソフィアどのが妹に近づいてやさしく言った。
「この子を抱いてみますか」
妹は顔を輝かせる。
「いいのですか」
「もちろんですよ」
ゆりかごから抱きあげて、妹の膝の上にそっとのせた。
「ええ、首をそうして支えて、そのままそっと……」
妹はうれしそうに腕の中をのぞきこんだ。赤ん坊はずいぶんと機嫌がいいようで、ずっと楽しげな声をあげている。
「マリアはいい子ね」
まるでままごと遊びだ。赤ん坊を大きな人形とでも思ってるんじゃないか。妹はずっと妹をほしがっていた。乳母の子が年の近い三姉妹で、仲良く遊んでるのをうらやましげに見ていたのは知っている。
赤ん坊をあやしている妹を見て、そでからのぞく手が前よりやせているのに気づいた。赤ん坊のふっくらとした指とくらべると小枝のようだった。まるかったほおも、心なしかこけたように見える。
「マリアさまはお幸せな方ですわ」
三人の様子を見つめ、侍女がつぶやいた。
「この国ではもう、赤ん坊は生きてはいられませんもの」
部屋を出ると、後ろをふりかえりつつ、召使い用の階段を駆け下りていった。こっそり後をつける。
「これも一緒にもっていってね。もちろん誰にも内緒よ」
「はい、姫さま」
密会の相手は離宮の小間使いだった。以前からこの娘に手紙をあずけていたのは知っていたが、これからはパンも追加されるらしい。
少し前、あの小間使いがこぼしていた。離宮に届けられる食べ物が少なくなった。奥さまにお出しするパンもなくてどうしたらいいのか。赤ちゃんはお乳が飲めないと死んでしまうのに。そんなことを憐れっぽく語っていた。
だから、こんなことになるだろうとは思っていた。
妹の秘密はとっくに近侍の者が気づいてて、父上の耳にも入っていた。
「なぜそんなことをするのだ?」
父上の声は厳しかった。いつもは甘やかしてるのに今日ばかりは違った。でも妹はまっすぐに父上を見上げた。
「マリアにあげるためです」
「赤ん坊はそんなものは食べられはせぬ」
「ええ、ですからマリアのお母さまに」
「……食事に出されるものはおまえのものだ。おまえが食べなさい」
「わたしのものだからわたしの好きにします」
夏で六つになった妹は、父上や廷臣たちの前でずいぶん大人びたふるまいをするようになった。俺の前だとあいかわらず甘ったれでわがままなやつだが、聞き分けの悪さだけは父上の前でもおなじだった。
「あれは強情だ。いったい誰に似た?」
父上がぼやくと、宰相が苦笑する。
「お父君とお母君、どちらに似てもそうなりましょう。しばしご様子を見られては?」
「どうせ長くはつづくまいがな」
笑い合う二人に胸がむかついた。妹がどうしてこんなことをしてると思ってるんだ?
異変は、ふた月ほど前から感じていた。
たとえば干した果実のつまった焼き菓子。じいが勉強の合間に用意してくれていたが、秋になってから一度も食べていない。このごろでは白いパンが食事に出てくることもなくなった。
領地が大変なのか、宮廷に出てくる貴族も少なくなった。城はがらんとしているのに争う声があちらこちらで聞こえてくる。父上はずっと険しい顔をしていて、妹の強情さに呆れるぐらいしか笑う機会がないのかもしれない。
「――それでは殿下、次回までにこの史書をひととおりお読みになってください」
「これをすべてか?」
「はい。くれぐれも、ご興味のない部分を読み飛ばすのはおやめいただきたく」
念を押され、しかたなく最初からページをひらいた。頬杖をつき、ぱらぱらとめくっていると、となりの部屋からハープの音が聞こえてきた。
最近妹はよくハープを弾いている。母上が使っていたものを自分の部屋に運びこんで、教師をつけて練習を始めた。始めたばかりにしても、しょっちゅうつっかえて、何度もおなじところを間違ってはやり直してばかり。これじゃなんの曲だかわからない。
急にハープの音が途切れたと思ったら、いきなり扉があいた。勝手に入ってきて、ねえねえ、とまとわりついてくる。
「いまから離宮に行きましょ」
本を読むふりをして無視すると、腕をつかんでゆさぶってくる。
「このあいだは雨が降ってたから行けなかったわ」
「だめだ。俺はいそがしい。おまえだっていまは音楽の時間じゃないのか」
「もう終わったの」
「勝手に終わらせるな。へたくそなんだから、ちゃんと練習しろよ。母上みたいに弾けるようになりたいんだろ?」
「だって――」
「だって、じゃない」
「……今日行くって、お手紙書いてしまったもの」
「それを早く言え」
急いで厩舎へ行き、
「しっかりつかまってろよ」
「うん!」
離宮までは飛竜でひとっ飛び。俺なら歩いてもいけるが、妹の足じゃ絶対に無理だ。誰かが連れて行ってやらないといけない。それなのに忙しいと突っぱねたら、こいつはひとりで歩いていくと言い張って聞かない。父上の言うようにほんとうに強情なやつだ。
主宮の西、ちいさな泉の近くにこじんまりとした館がある。館の前の木陰に降り、おとなしくしてるよう愛竜に言い聞かせていると館の扉が開いた。二階の窓から俺たちが来たのが見えたのだろう。侍女が現れ、明るい笑みで迎えてくれる。
「ミシェイルさまにミネルバさま、お待ちしておりました」
「ああ、邪魔をする」
「お寒かったでしょう。さあ、なかへどうぞ」
「ミシェイル、早く行きましょ!」
妹は待ちきれない様子で石段を先に駆け上がっていった。
「まあまあ姫さま、そんなに急がれては危のうございます」
「おい」
急いで後を追おうとする侍女を呼びとめる。
「どうかなさいましたか」
「俺たちはここに来てもかまわんのか」
侍女は目を丸くした。さて、どう言ったものだか。
「……俺はよく事情を知らんのでな。妹のわがままでたびたび離宮を出入りするようになったわけだが、ソフィアどのは迷惑には思われてはいないのか」
「そのようなお気遣いを……」
侍女は少し涙ぐむように目をさっとぬぐった。
「どうぞ、なんの気兼ねもなくおいでになってくださいませ。奥さまはとてもよろこんでいらっしゃいます」
「そうか」
階段を上ってすぐの大きな扉を開けると、いつものように館の主がお辞儀をして待っていた。
「王太子さま、姫さま、よくぞおいでくださいました」
「ごきげんよう、ソフィアどの。お招きありがとうございます」
妹は急にかしこまった態度になった。招かれたんじゃなく押しかけたんだろうに。吹き出しそうになるのをこらえる。
「あの、マリアは元気ですか」
「ええ、とても。さっき起きたばかりですわ」
ソフィアどのは、部屋の真ん中におかれたゆりかごに目をやった。赤ん坊の小さな手がちらっと見える。
妹はゆりかごに近づくと、その手と自分の手を重ね合わせて、歌うような調子で話しかけはじめた。こんにちは、しばらくあなたに会えなくてさみしかったわ、いつになったらあなたとおしゃべりできるようになるのかしら。その様子を、ソフィアどのが目をほそめてみつめている。
ソフィアどのは母上とはまるで違う。母上はうつくしかったが厳しくて冷たかった。笑顔なんて見た記憶がない。でもこの人の笑みはやわらかくて、妹への態度もいつくしみ深い。もとは女官だと誰かが言ってたが、こんなに弱々しくひかえめな気性では王宮での暮らしは向かないだろう。
「……父上はここへは来るのか」
思い切って聞くと、ソフィアどのは微笑したまま首をふった。侍女も悲しそうな顔になる。聞くべきじゃなかった。話題を変える。
「ここでの生活に困ってはいないのか」
「ご心配にはおよびません。みな、とてもよくしてくださってますから」
よくしているなら下働きが愚痴をこぼすことなどないだろうに。
迷惑に思われていないにしても、この親子とどう接すればいいのかわからない。継母であるのだし、母と呼んでもよいのだろうけど、なんとなくそうすべきでないのはわかる。
父上は俺たちがここへ来ることにあまりよい顔はしていない。妹に会いたいとミネルバが駄々をこねるから、しぶしぶ許してくれただけだ。じいもこの件には口が重い。妃となるには身分が高くないだとか、母上が宰相の姪だから、宰相に気兼ねしているだなんて噂も聞いた。母上が死んで二年になるし、父上が後添えを迎えたってべつにどうとも思わないが、そんなかんたんな話でもないのだろう。
「姫さま」
ソフィアどのが妹に近づいてやさしく言った。
「この子を抱いてみますか」
妹は顔を輝かせる。
「いいのですか」
「もちろんですよ」
ゆりかごから抱きあげて、妹の膝の上にそっとのせた。
「ええ、首をそうして支えて、そのままそっと……」
妹はうれしそうに腕の中をのぞきこんだ。赤ん坊はずいぶんと機嫌がいいようで、ずっと楽しげな声をあげている。
「マリアはいい子ね」
まるでままごと遊びだ。赤ん坊を大きな人形とでも思ってるんじゃないか。妹はずっと妹をほしがっていた。乳母の子が年の近い三姉妹で、仲良く遊んでるのをうらやましげに見ていたのは知っている。
赤ん坊をあやしている妹を見て、そでからのぞく手が前よりやせているのに気づいた。赤ん坊のふっくらとした指とくらべると小枝のようだった。まるかったほおも、心なしかこけたように見える。
「マリアさまはお幸せな方ですわ」
三人の様子を見つめ、侍女がつぶやいた。
「この国ではもう、赤ん坊は生きてはいられませんもの」
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