変わりゆくもの、変わらぬもの

「どうぞこちらへ」
 城塔の螺旋階段を上り、屋上に出る。胸壁のそばで、愛馬のテアがおとなしくわたしの帰りを待っていた。そしてミネルバさまの姿をみつけると、いつもより機嫌よくいなないた。少しとまどっている主君の手を引き、なかば強引にテアの背にのせた。
「さあ、行きましょう」
 テアは高くいななき、おだやかな南風にのって羽ばたいた。そのとき、腰に回された手に力がこめられた。背に身体があずけられ、あたたかな重みを感じた。
「どこへ連れて行ってくれるのです?」
「まだ秘密です」
 ほんの思いつきだったから、行く先は決めていない。どこがいいかしら。
 午後の大気はさわやかな熱気をおびている。もうじき盛夏を迎えるマケドニア。どこへ行っても色あざやかな花々が目を楽しませてくれるけれど、いまの時期なら……そうだ、ラベンダーの丘に。
 王都の南にさしかかると、丘を流れる風が甘くさわやかな香りを運んできた。いまを盛りに薄紫色に染まる丘に降り立つと、ミネルバさまはゆるやかな足どりで斜面を進んでゆかれた。時折立ちどまっては花にふれられる。やさしく花をなでてはいても、花を愛でてはおられなかった。その目はうつろだった。ここにはない、なにかを見ておられた。
 胸がしめつけられる。
 ろくに会話もできぬまま、時間だけがすぎていった。陽がかげりはじめたころ、
「パオラ」
 ミネルバさまは後ろに立つわたしを呼ばれた。
「ほんとうは、なにか聞きたかったことがあったのではありませんか」
 ほんの少し、こちらをふりむかれる。
「なにやら、いろいろと噂が流れているのでしょう? まだなにも決まっていないことがまことしやかに広まっていて、正直わたしも驚いてもいます」
「……はい、さまざまな噂を耳にしています、王位を継がれないというのはほんとうですか」
「ええ」
「なぜなのですか」
「理由はいくつかありますが、そうですね。女が王になった前例などありませんし、わたしの王位継承に難色を示す者も多いのですよ」
「そんな者たちの言うこと、気になさる必要はありません」
「ですから、理由はほかにもあるのですよ」
「ミシェイルさまのことですか?」
 思わず問いつめるような口調になった。
「ミシェイルさまのことを気に病んでおられるのはわかります。兄君を手にかけられたこと、罪とお考えなのかもしれません。心ないことを申す者がおるやもしれません。ですがわが国がドルーアに与した以上、どうにもならなかったことです。その責めをおひとりで背負われることではありません」
「そんなもの、いまさら気に病んでおりませんよ」
 ひやりとする嘲笑。
「わたしは祖国を取り戻すべく、おのれの意思で兄と戦うと決めたのです。兄を手にかけたのも、わたしの望んだ結果です」
「嘘です、ミネルバさまは嘘をついておられます。望んだ結果だなんて、そんなこと――」
 喉元に熱いものがこみ上げてきた。
 わたしたちには嘘は言わないだなんて、そんなものは嘘。オズモンド陛下もことをお話しいただけたのは何年もたってからだった。いまだってそう。すぐにお心を隠しておしまいになる。
「……もちろん、心にかかることがいっさいないと言えば嘘になります」
 顔をあげると、静かな目がむけられていた。
「実を言えば、兄のことは日に何度も思い出します。けれど死んだ者のことなど、わたしが考えるべきことではありません。わたしがいまなすべきことは――」
 ぐらりと視界がゆれたかに思えた。真紅の髪とマントが奇妙にたなびいた。なにが起きたのかわからなくて、お支えするのが遅れてしまった。
「――ミネルバさま!」
 膝からくずおれた主にあわてて駆けよった。肩に手を回そうとしたが、その手が強く押しかえされた。ふりはらうようでもあった。それは気遣いなのか、それとも拒絶だったのか。図りかねて、両の手を強く組み合わせた。膝をつき、うなだれるお姿を、祈るように見守った。
 薄暮が迫りくるなか、ミネルバさまは蒼白な顔を上げられた。
「あなたはいまのマケドニアをどう思いますか」
 突然の問いに、息をのむ。
「敗北し、なにもかもを失ったこの国の窮状を、あなたはどう思っているのですか」
 鋭い視線に射抜かれ、わたしはなにも答えられなかった。
「貴族たちは目をそむけています。彼らはわたしを立てることで、アカネイアとともに祖国が勝利したと思いたいのですよ。滑稽でしょう?」
 かわいた笑声が耳をかすめる。
「滑稽なのはわたしもおなじです。わたしには、こうなることがわかっていたのです。マルス王子に助力を願い出たときには終わりが見えていました。すべてわかっていながら、あなたたちを騙していたのです。ドルーアを滅ぼして戦いが終われば、すべてもとどおりになるかのような……そんなありえもしない幻想を抱かせたのです。おのが目的のために、兵士を煽り立てて、あげく死に追いやって――」
「おやめください!」
 これ以上は聞いていられなかった。
「わたしたちは自分たちの意思で戦場に赴きました。命じられたからではありません。祖国のためと信じて戦ってきたのです」
「ええ。その純粋な想いを利用したのですよ」
 言葉を失っていると、ミネルバさまは立ちあがり、ふたたび花畑を進まれた。その足どりはひどくおぼつかない。
「兄が父を手にかけたとき、わたしには歩むべき道がありませんでした。兄に屈したものの、受け入れてはいなかった。だから、おのが手で道を切り拓いてゆかねばなりませんでした。ただひたすらに前だけを見て進んできたつもりですが、その結果がいまです」
 さびしげな笑みがむけられる。
「これが現実なのですよ」
 唇を嚙みしめた。その微笑があまりに悲しくて、涙がこぼれそうだった。
 ああ、この方は。
 ぎゅっと目を閉じ、天を仰ぐ。
 ほんとうは信じておられたのだ。取り戻せると切に願っておられたのだ。そう信じていなければ、あんな非情な運命に立ち向かってゆけるはずがない。
 軍勢を率いる毅然としたお姿、それはわたしたちの道標だった。光だった。この方についてゆけば、ドルーアに勝利すれば、戦争が終われば、悲しみも苦しみもすべて消え去ってくれるはず。そう信じられた。きっと祖国はもとどおりになると夢を抱くことができた。
 けれど嵐が過ぎ去った後には、崩れ落ちた瓦礫が残されていた。失ったものをまっすぐに見すえると、その大きさに打ちのめされそうになる。だから目をそらしてしまう。
 滑稽だ。そして卑怯だ。
 わたしは甘い夢に浸ろうとしていた。いまは平和なのだと信じたかった。主の支えになりたい、そう願いながらも、この方さえおられればとまるで杖のように寄りかかろうとしていた。
 浅はかだった。抱えきれもしないのに、そのお心に踏みこもうとするなんて。
「……申しわけありません」
 やっとのことで声をしぼりだす。
「わたしたちも祖国の窮状から目をそむけております。失ったものをあきらめることができなくて、それゆえに敗戦の事実をどこかで受け入れられずにいるのだと思います」
「謝らないでください。わたしはあなたたちを責めているのではありません」
「いいえ、わたしたちは向き合わねばならぬ時に来ているのです。だからご自分をお責めにならないでください。騙しただなんて、お思いにならないでください。たしかにわが国は多くを失いました。得たものなど、なにもないのかもしれません。それでも、すべてを失ってはいません。だってわたしたちは生きているのですから」
 まじろがずに主をみつめた。
 自分を叱咤するように。
 この方の誇りとなれるように。
「ともに戦争を生き抜いた者たちはみな、栄光あるマケドニアを取り戻そうと懸命につとめております。進む先に道がなくとも、あらたに道を切り拓いてゆくつもりです。ミネルバさまのゆかれる道が閉ざされるようとするなら、われらがお助けをいたします。主君をお助けすることが祖国に尽くすことであり、それこそが、志なかばで倒れていった者たちに報いることだと信じています」
 背筋をのばし、一歩、前に踏み出す。
「わたしは日々多くの民と接しています。だからこそ痛感しているのです。力なき民には道標が……頭上でかがやく光が必要なのだと。どうかミネルバさま、民の希望とおなりください。彼らをお導きください」
 その懇願を最後に、あたりに沈黙が降り落ちていった。
 ミネルバさまは、ついぞなにもおこたえにならなかった。眉ひとつ動かされず、視線を虚空へ投げられただけだった。丘に横たわる静寂を、どうしても破ることができなかった。
 なにもかもいまさらだったのかもしれない。今日までずっと目をそむけてきた。一番お辛いときに主のそばにいなかったわたしが、いまになって頼ってほしいと願うだなんて――。

 やがて陽は山の稜線まで落ち、あたりに宵闇が漂いはじめていた。ずいぶん長居をしてしまった。これからトルイユ伯との予定をひかえておられる。早く主宮へお連れしなくては。
 行きとおなじくテアの背におのせし、王城にむかって飛翔した。帰るさなかにも陽はどんどん暮れていった。ならびたつ城塔にはすでに篝火が焚かれ、遠目にも煌々と輝いていた。
「殿下!」
 主宮の上空から前庭に降下したとき、焦りをおびた高い声があたりに響いた。仕着せの裾を乱し、こちらへ駆けよってくるのは、あのロザリアという女官だった。
「いったいどちらにお出でになられていたのです」
 息が乱れていた。いままで主宮のあちこちを探し回っていたのだろう。
 下馬されたミネルバさまは、テアの首をなでながらお答えになる。
「王都の南へ。ただの遠乗りですよ」
「……遠乗り、でございますか」
 困惑気味の女官に、ミネルバさまは苦笑をこぼされる。
「心配をかけましたね。あなたには断っておくべきでした」
「いえ……それよりも急ぎお召しかえを。あまりお時間がございませんので」
 お早くとうながされ、主は歩を進められた。
 回廊を行く主の背に声をかける。
「ミネルバさま」
 こうべをたれ、深く礼をとる。
「今日は、無理にお連れして申しわけありませんでした」
 やや間があって、かつん、と靴音が鳴った。
「パオラ」
 驚いて顔をあげると、目の前には主の姿があった。まさか引き返してこられるだなんて。
「なにやら誤解をさせたのかもしれませんが、今日のこと、わたしはあなたに感謝しているのです。嘘ではありませんから素直に受けとってください」
 少し困ったふうに眉がさがる。
「わたしは失ったものに固執するあまり、大事なことを忘れかけていたようです。それをあなたが思い出させてくれました」
 冷たい指が、頬にふれる。
「変わらぬものは、まだここにあるのだと」
 目頭が熱くなった。みるみるうちに涙がにじんでくるのがわかる。泣き顔を見られぬよう、もう一度礼をとった。
 回廊を高い靴音が響いていく。その音が途絶えても、そのまま動けずにいた。胸にあてた手を、強く、強く、にぎりしめていた。(了)
2/2ページ
スキ