短編集
孕んだ存在は片割れであることに違いなかった。生まれ落ちた時から共にあった存在、タナトスにとってはそれは唯一無二の弟である。
「ヒュプノス…貴様」
だが目の前にいる女は、その伴侶に過ぎなかった。この過ちを犯さずにはいられない愚か者を妻として迎え入れヒュプノスは苦心させられた、故にタナトスはこの妻を偉く嫌っていた。
しかし今生において人間として生まれた夢主という女は不思議なもので今まで犯した罪を全て精算するように過去と向き合い、ハーデスやヒュプノスとも和解した。
タナトスとて例外ではない、今や義兄としてこの娘を守る立場にあることを理解しそしてそれを苦とは思わないほど彼女を許せるようになった。とはいえタナトスの口からはそれこそ素直な言葉は出てくることは少ない、それでも夢主は「ありがとう」などと平気で告げるのだ。全くもって絆されたものだとタナトスも穏やかに思うばかりであったのに、だ。
「お前、何故そこにいる」
「夢主に私を食わせたのだ。魂と骨肉をだ」
「は?」
素っ頓狂な声をあげてタナトスはその顔を歪めた。容姿は夢主そのものだが内に眠る小宇宙はヒュプノスのそれだ。瞳の色も少し、金色を纏ったそれであるため区別がついたがそれがタナトスには悍ましかった。
しかし、夢主の顔は随分と疲れ果て顔色も悪く目の周りは赤く腫れている。そうなればヒュプノスが何かしでかしたに違いないと察することができた。
「ヒュプノスよ、何故夢主にそのようなことをさせた」
「…いずれハーデス様は夢主を半人半神の身としただろう、それが少しばかり早まっただけだ」
「俺が求めている答えとは違うようだが。奴は少なくとも人間として生きたがっていただろう」
ヒュプノスとてそれを知った上で夢主に何かを吹き込んだわけだ、あれほど夢主を重んじていた男が何故そのような真似をするのか彼にはてんで理解できるわけもなかった。
「奴を唆したのはお前だろう、夢主が望んでそのような真似はせん」
「そうだな、できるわけがない。だがそうでもしなければ私は」
夢主の顔をした弟は胸を押さえ目を伏せた。耐え難いものを抱えた弟の姿にタナトスは心を痛めたがそれ以上にこの歪な存在に対してどう対処すべきか、頭を悩ませた。
「…これ以上は問わん。だが夢主の自我はそこにあるのか?」
「あるとも、今は少し疲れて眠っている」
「………奴は過去に歩んだ罪の獄以上に災難な路を選び、一層苦しむことになるぞ。それでも良いのか」
神を喰らったのだ、神殺しなどという行為よりもよっぽどタチが悪い。
しかしハーデスの娘であるという夢主の立場からそう簡単には神々も彼女を殺すだの痛ぶるなどとできはしないだろう。おまけにヒュプノスが担う眠りを今や司る身、その体は罪と罰の象徴そのものだ。
「何があろうと私が守り抜いてみせよう。それができずしてこのようなことを夢主に強いたなど、それこそ哀れが過ぎるだろう」
覚悟を決めた者に何を言おうが届きはしないのだろう。案外その性質は柔軟に見えて頑固なのだ、兄としてその側面を知り得ているタナトスは彼を止める言葉をこれ以上持ち合わせてはいなかった。
せめてお前達が幸福とはいかずとも、無垢なまま存在できるよう、俺は振る舞おうではないか。
彼の心には二つの存在を守るための意思と狂気が根付いていた。いずれ来たる不幸にも、必ずや側にいて守り抜くと何故か思えてしまうのだ。
「愛おしいものを抱えて生きるにはあまりに荊だろう」
故に尊いのか、彼は流れた涙を指で払い二人に祝福をと願わずにはいられなかった。
「ヒュプノス…貴様」
だが目の前にいる女は、その伴侶に過ぎなかった。この過ちを犯さずにはいられない愚か者を妻として迎え入れヒュプノスは苦心させられた、故にタナトスはこの妻を偉く嫌っていた。
しかし今生において人間として生まれた夢主という女は不思議なもので今まで犯した罪を全て精算するように過去と向き合い、ハーデスやヒュプノスとも和解した。
タナトスとて例外ではない、今や義兄としてこの娘を守る立場にあることを理解しそしてそれを苦とは思わないほど彼女を許せるようになった。とはいえタナトスの口からはそれこそ素直な言葉は出てくることは少ない、それでも夢主は「ありがとう」などと平気で告げるのだ。全くもって絆されたものだとタナトスも穏やかに思うばかりであったのに、だ。
「お前、何故そこにいる」
「夢主に私を食わせたのだ。魂と骨肉をだ」
「は?」
素っ頓狂な声をあげてタナトスはその顔を歪めた。容姿は夢主そのものだが内に眠る小宇宙はヒュプノスのそれだ。瞳の色も少し、金色を纏ったそれであるため区別がついたがそれがタナトスには悍ましかった。
しかし、夢主の顔は随分と疲れ果て顔色も悪く目の周りは赤く腫れている。そうなればヒュプノスが何かしでかしたに違いないと察することができた。
「ヒュプノスよ、何故夢主にそのようなことをさせた」
「…いずれハーデス様は夢主を半人半神の身としただろう、それが少しばかり早まっただけだ」
「俺が求めている答えとは違うようだが。奴は少なくとも人間として生きたがっていただろう」
ヒュプノスとてそれを知った上で夢主に何かを吹き込んだわけだ、あれほど夢主を重んじていた男が何故そのような真似をするのか彼にはてんで理解できるわけもなかった。
「奴を唆したのはお前だろう、夢主が望んでそのような真似はせん」
「そうだな、できるわけがない。だがそうでもしなければ私は」
夢主の顔をした弟は胸を押さえ目を伏せた。耐え難いものを抱えた弟の姿にタナトスは心を痛めたがそれ以上にこの歪な存在に対してどう対処すべきか、頭を悩ませた。
「…これ以上は問わん。だが夢主の自我はそこにあるのか?」
「あるとも、今は少し疲れて眠っている」
「………奴は過去に歩んだ罪の獄以上に災難な路を選び、一層苦しむことになるぞ。それでも良いのか」
神を喰らったのだ、神殺しなどという行為よりもよっぽどタチが悪い。
しかしハーデスの娘であるという夢主の立場からそう簡単には神々も彼女を殺すだの痛ぶるなどとできはしないだろう。おまけにヒュプノスが担う眠りを今や司る身、その体は罪と罰の象徴そのものだ。
「何があろうと私が守り抜いてみせよう。それができずしてこのようなことを夢主に強いたなど、それこそ哀れが過ぎるだろう」
覚悟を決めた者に何を言おうが届きはしないのだろう。案外その性質は柔軟に見えて頑固なのだ、兄としてその側面を知り得ているタナトスは彼を止める言葉をこれ以上持ち合わせてはいなかった。
せめてお前達が幸福とはいかずとも、無垢なまま存在できるよう、俺は振る舞おうではないか。
彼の心には二つの存在を守るための意思と狂気が根付いていた。いずれ来たる不幸にも、必ずや側にいて守り抜くと何故か思えてしまうのだ。
「愛おしいものを抱えて生きるにはあまりに荊だろう」
故に尊いのか、彼は流れた涙を指で払い二人に祝福をと願わずにはいられなかった。