短編集
「頼む、ヒュプノス」
そう告げ、彼女は私に頭を下げた。
何千という時の中で、私が初めて見る彼女の姿だ。その誠意は何よりも尊い、それだけは見て取れる。
「私は全てを守りたい。私にとって何一つ失うわけにはいかない、全てを受け止め背負い、つなぎ留めたい」
上げられた顔には昔のような艶はない。人間の血が通った面持ちに私は安堵した。その眼は鋭く私を捉えて離すことはない、怯えや憂いのない瞳は私が何より欲し望んだ代物だ。
どれほど苦渋の中でこの者を探したことだろう。手を伸ばせど掴めず、掴んだとて拒まれた幾重もの日々が今、塵となって消えゆく。
「お前の力が必要だ。私一人では、願いを果たすことはできないだろう。お前からしてみれば、許せんことかもしれないが」
あぁ、私はこの日のために生き永らえたのか。主君の復活も、人間への関心も、私には今些細な事のように思えて仕方がない。そんな愚かな感情を愛と言うのなら私はその全てを捧げよう。
この者ならば二度と私を手放しはしない。
「私は王に成る。神ではない、だがそれでも永劫に同胞を守り続けたい。勿論、タナトスとヒュプノスのこともだ」
差し伸べられた手はこれほど大きかっただろうか。傷がつき爪が割れたその指先が酷く愛おしい。
「愚かな私に力を貸してほしい」
器は成ったのだ、人と言う特異な存在は神をも凌駕する。待ちわびた数千年の答えがここにあるのだ。私にはもう迷いなどあるわけがない。
「我が主の御心のままに」
あぁ、祈りは無為ではないのだろう。私の魂は彼女の下へ、逝けるはずだ。
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