情熱のヴェルギリウス
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スマホを向けると困ったように笑いながら「撮っても面白くないでしょ」と夢主は恥ずかしがっている。
けれど好きになった人物のあらゆる面を愛おしいと思うのは必然で、どんな姿も白石には褒美のようだった。
「恥ずかしいから消してね」と頬を掻く夢主に「わかっとる」と告げればホッとしたのか「あんまり映える顔じゃないからさ、撮るならユウジとか謙也とかにしなよ」と提案するものの白石が撮る対象にしたい存在は目の前の彼女以外いやしなかった。
夢主は際立って美しいわけではなかったし可愛い顔立ちというわけでもない、周囲から褒められるのはテニスの腕と部長としての力量ぐらいなもんだ。白石だけが夢主の底を理解している、だからこんなことをできてしまうのだと思うと罪悪感と高揚感で頭はグチャグチャになってしまうがどちらかというと後者のほうが強い作用を以て白石を突き動かしていた。
部活の最中にも部長としてフォームの確認のためと口実を作りカメラを向けられたし誰も疑いはしなかった。夢主と白石の熱意が同様のものであるがため、周囲が疑う余地もなかったのだ。実際は立場を利用しているに過ぎないなど口が裂けても言えやしない。
帰宅してその写真を見返すと胸が熱くなった、自分が好きな相手をいつだって感じられる。成長した彼女をまじまじと見ていられる。白石は少なくとも幸せだった。
辛うじてこれだけなら許された。内気な恋だと処理できる範囲だった。それで終わればよかった、だが白石は欲を止められなかった。
ある時後輩を帰らせて作業する夢主にふと声をかけると彼女は「使ってたタオルがどっかに行っちゃってさ、まだ買ってもらったばかりだったのに」と愚痴った。
気になって詳しい事情を聞いてみたが「誰かが持って帰っちゃったのかもね、仕方がない」と諦めたような態度だったが白石は口角が上がるのを抑えるのに必死だった。
男子テニス部の面子が使っているとは思えないデザインのタオルを見かけたことを思い出す、もしや女子テニス部の誰かのものか、と考えたが見つけたのは部活の最中だったため後回しにしたのだ。
「見つかるとええな」
「うん…」
夢主の悩みよりも自分の欲を優先するなどあってはならないはずなのに、白石は自分の中で欲望を正当化させていた。
自分を愛さない夢主のせいだ。
自分はこれほど想って愛しているのに。
自分を愛していればこんなことには。
適当な理由をつけ夢主を先に返してタオルを回収しこっそりと鞄に仕舞い帰路に就く。ぐつぐつと煮えるような感覚で体が可笑しい。ただただ欲望のために生きたことなど今まで一度もなかった、建前や知性が彼を正しさに導いて良い人間を繕っていられたがもはやそんなもので彼を止めることは不可能だ。
家に着き食事と風呂を済ませ日課のヨガをこなし、鞄を手にした。思わず手が震えごくりと喉が鳴る。得も言わぬ背徳感で汗が滲むがジッパーを下ろす手は止まらない。
震えた手でタオルを取ると息が漏れた。
「(あぁ、これが夢主ちゃんの一部なんや)」
自分は血肉になることなどできるわけもない。ただ隣に立つことだけ、それだけが唯一の証明だ。でもこうしていると彼女に寄り添える実感が自然と湧いてくる。
恐る恐るタオルを顔に近づけると彼女の匂いがして理性がぐずぐずに溶けていく、足が震えて思わず舌が出た。犬のように息を荒げてタオルに顔を埋めてみると夢主の汗と制汗剤の匂いが鼻腔を擽る。
「夢主ちゃん、夢主ちゃん」
誰よりも理解してやれる気がした。今までの努力も、流した涙もすべて自分が受け止めてやれる。白石が欲しかったのは夢主の弱さだった。夢主が自分に何もかも晒してくれるような日が来てくれればと願ってやまなかった。仮にそうしていたら自分の狂気は永遠に芽吹くことなどなかっただろう。けれど夢主は強くあろうとし続けた、誰よりも勇ましく生きた。テニスへの情熱を自分と共有し信頼し、夢を見ていた。
次第にそれが苦になったのは白石のほうだった、夢を追い自分を見やる回数が減るほど報われないものを背負っていると思い辟易とした。
美しくなるほど棘は鋭くなり白石は傷ついた。けれどその傷を隠し続けて夢主のパートナーであり続けたいと鼓舞してきたが、その繰り返しに愛情は荒んでいった。
できることなら何もなかった日々に戻りたい、他の誰かを愛して健全で真っ当で学生らしい恋をしたい。白石の中に芽生えたすべてを根こそぎ刈り取ってもっと報われる恋をしていられたらと彼自身も思ってしまうほど苦しんでいた。
でももう手遅れだ。夢主に出会ってしまったから、夢主を知ってしまったから、彼には手放せないほど眩い彼女が視界から離れてはくれない。その目が見つめる先にある夢を叶えさせてやりたい。
ある意味で純粋だった、夢主の夢を汚したくはないという思いだけは変わらずにいるのだ。それほど夢主の熱意を知って、それに飲み込まれるようにして彼女に惹かれていった。望めば愛してくれる人間など山のようにいたのに、それでも求めたのは夢主ただ一人だった。
「好きになってくれ、俺のこと、夢でもええ、好きやって笑いかけてくれ」
欲望の矛先はすべて彼女に向いていた。だから他者を傷つけることはないが一方で自分を追い込み続けていることもまた事実で、そうであってほしい現実は叶わないと隣に立つたび思い知らされるのだ。
「ほんまにかっこええな夢主ちゃん」
「お前に言われると、照れるな」
「…本気で言っとるんやけど」
「知ってるよ…ありがとう、蔵ノ介」
笑顔が白濁で汚れる。
「この花、ここでも育ててるんだな」
「せやで、夢主ちゃん、花好きなん?」
「…まぁね、知り合いが好きだったからその影響でさ」
「さよか…夢主ちゃんはどの花が好きなん?」
「そうだなぁ、私はあの花が好きかな」
シーツに皺が増える。
「今日の試合、完璧やったなぁ」
「あぁ、全体的に見ても思い通りにできた感じだったね」
「やっぱ夢主ちゃんとダブルスするんは楽しいわ。知らん事が山ほど見えてくる」
「…蔵ノ介でもそう感じることはあるんだな…」
「当たり前やろ、俺かて人間やで」
「ごめんごめん。そうか、蔵ノ介も知らない世界、か…」
汗が染みを作る。
「…ほんまにわかっとる?」
「…疑われるのはちょっと心外だな」
「…すまん」
「………お前が謝るのは違う気がするんだが…」
「せやけど俺の言い方も悪かったやろ」
「…はは、相変わらず優しいね蔵ノ介は」
「そうやって丸め込もうとするのあかんで」
「そ、そんなつもりじゃないよ」
体が震えて欲が外に出る。ちかちかと視界が点滅して白石の顎伝い汗が垂れて息が上がった。もう取り返しのつかないところまで彼は落ちていた。手の中に収まりきらなかった精液が自分の衣服を汚している様を彼はぼうっと眺めている。
頭の中に居る夢主はすべてを赦してくれた。自分の不純な行為も、道徳に反する行いもすべてだ。
しなやかで筋肉質な体が自分の上に跨って頬を指先でなぞった。そして「ありがとう」と感謝の言葉を述べて微笑んでいる。
まやかしだとしてもそれだけで救われた。夢主の根底にあるお人よしは白石の何もかもを受け止めてくれる気がして、ありもしない妄想で性欲を処理しても彼女ならと縋るように、祈るように白石は行為に没頭した。
だが現実は違う。
テニスを愛する女が自分を信じて目の前に立つ。その腕には無数の傷と痣を持ち痛ましい限りだったがそれは本当にテニスを愛し、夢に向かっている何よりの証拠だった。
鋭い眼光で相手を見定める彼女の顔はたまらなく好きだ。しかしそれを目の当たりにすると自分の行いを恥じて、悔いて、吐いてしまいそうだった。
ラケットを握る包帯越しのこの手は穢れていた。そんな手で彼女に僅かでも触れてしまう、その欲望すら抑えられなかった。
前髪に指先で触れると彼女は自分を見上げながら目を細めた、彼女の視界にはどれほど鮮やかな”白石蔵ノ介”が映っているのだろうか。聖書と呼ばれる清いテニスをするプレイヤーで、最も信頼に足る男で居続けられているのかと他人事のように思いながらも彼女を眺めていた。
夏の暑さのせいだと言い訳をしながら一度でも過ちを犯し彼女の領域に入ってしまえれば、白石は夢主の愛情を正当に得られたのかもしれない。
だが彼に踏み込む勇気はもうありはしなかった。自分の不貞を認めてしまった以上、彼は自身を赦すことはできなかったのだ。
そうして白石は夢主を恐れた。そして時間が解決して、夢主への思いが正常になるようにと祈り続けた。しかし欲望は蓋を閉めても溢れかえって、傍に居ないがゆえに更に求めてしまった。夢主と関わる他人にも酷く嫉妬して、胸を掻きむしってしまいそうだった。否、そうしたのだ。けれどそれは胸ではない、胸だと部室で着替えた際に見られてしまうから。オサムから押し付けられた金のガントレットを外して腕に爪を立て唇を嚙んだ。なけなしの理性が白石を表面上守り続けていたのだ。痛みを与えて律していた、それでもこの痛みは夢主の痛みと同等かもしれないと挿げ替えてしまいそうになるほど彼は毒されていた。
「俺、おかしいんやろか」
ぽつりと呟いた白石に誰も答えてはくれない、自室に咽び泣く声が静かに響いている。助けてほしいのにこの気持ちを捨て去りたくはないと矛盾した感情が彼の中でじわじわと喉元を締め付け涙が溢れて止まらない。
15歳の少年が背負うにはあまりに残酷な恋であったばかりに、白石は狂い損ねて罪と罰に打ちのめされながら舞台の上で蹲りそれでも彼女を想いその端正な顔を歪ませる。
もう自分ではどうすることもできない感情に苛まれてなお、愛しい人は日の光のように輝いてその眩さだけが彼の導であり続けた。
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