情熱のヴェルギリウス
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こんなはずではなかった。
己の手を翳すとこんなにも醜く見えるなど、今まで一度もありはしなかった。
「最低やな…ほんま………」
自己嫌悪以外の何物でもない。振り返るほど忌々しい自分が顔を覗かせて微笑んでいる。
この整った顔が、恵まれた素材が、今は憎いなどと彼自身ですら想像できなかった現実だ。
「綺麗だ」
夢主の一言を思い返す。それは夢主が自分に対して告げた言葉だった。
ただし容姿ではない、テニスに対してだ。今でこそ夢主が生粋のテニス馬鹿だと知ったがその時は流石にちょっと可笑しな子だと白石も思ってしまった。だが同時にテニスという物差しだけで判別されたことが心地よかった。異性に対する苦手意識は常に自分の持ち得る素材のせいであったがテニスで、となると話は別だ。
だから楽しかった。夢主は四天宝寺らしい子ではなかったし転校してきた子だったからか大人しくおどおどとしていたがテニスとなると張り切って勇ましく、隣に立つだけで誇らしく思える力があった。そうしたギャップもあってか普段は世話を焼いて、しかしテニスでは切磋琢磨して、こんなに清らかな男女の関係は早々ないと白石は気が楽だった。
決して彼女は完璧ではなかったがその不完全さすら支えたいという願いに変えてしまうなど、白石の生き方にすら影響を及ぼすほど夢主は未知であり最も理解したい唯一だった。
そう、それだけならよかった。それで終わればこんな事態になることはない。そうして彼女の「綺麗」という言葉を戒めるように繰り返している。
過去の自分は紛れもなく“綺麗”だった。夢主にとっても模範だったし周囲も笑いのセンス以外はまともだと認めてくれたものだ。
ただ自分が”綺麗”で居続けられなかった、それは夢主が”綺麗”になってしまったからだ。
妙な理屈だろうがそうなのだ。傍に居ればいるほど白石は夢主に対して妙な感情を抱いていった。本人ですら歯止めが利かないほど。夢主の無垢さにそれを宛がうなど想像できないほど。そして何もかも完璧でありたかった白石にとっても許しがたい想いの程であった。
「ダブルスを組んでまだ一年も経ってないのに、オサム先生は四天宝寺の自慢だってさ…頑張らないとなぁ私たち」
「せやな、オサムちゃんのためにも、四天の面子のためにもこの先も負けられへんな」
「…なんか不思議な気持ちだよ、こんなに誇らしい気持ちでテニスをやれるなんて」
「何言っとるん、もっと誇ってええんやで。俺らそんだけの活躍しとるのは事実やしな」
「…ふふ、蔵ノ介は優しいな」
ダブルスとしての地盤が出来て、それが結果に繋がって、周囲も認めるダブルスになって、そんな日々が夢主の誇りであると同時に白石にとっても特別な誇りだった。
部長としての自分とは別の、テニスプレイヤーとしての己が、彼女と共に歩める日々は永劫に続いてほしいと思ってしまうほど捨てがたいものになっていたが一方で彼女が強く逞しくそして美しくなっている事実に白石は気づいてしまった。
微笑んだ横顔は出会った当初のあどけなさを保ちつつも女性らしさを含んでいた。夢主は身長が自分と近いせいもあってか間近でその表情を捉えられてしまうと途端に白石は自分の中にある彼女への信頼が、心臓の鼓動と共に歪んでいくことを目の当たりにした。
「私は蔵ノ介とダブルスを組めて幸せ者だな…こんな最高の相棒、他に居ないよ」
親愛に満ちた言葉に苦しみを覚えた。細めた目に宿る感情は怒りにも似た愛情だったに違いない。
けれど彼女は穏やかだ、それに自分を信頼していることもあってか、そんなものには気づくはずもない。
「友人としてもテニスプレイヤーとしても、蔵ノ介は私の誇りだ」
白石は掌に爪を立てながら微笑んだ。夢主の言葉に酷く傷つきながらも彼は微笑んでいる、やはり夢主の前では良い人でありたかった。
けれど心はたまらないほど震えて、夢主を痛めつけてでも自分の内側を曝け出したかった。
それでもこの清い人間の前では、白石は自身が完璧でなければと思ってしまうのだ。
“綺麗”という言葉は呪いのように彼を縛り付けていたのだろう。