夢主の名前
素晴らしき新世界へ。
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戦場で咲いた貴方を見て体が引き裂かれるほど苦しく、そして愛おしく思った。
これは運命なんだろう。私は貴方を求めて焦がれて、鳴いた。
その手で触れて私の全てを貴方で染めてほしい。そして、募りきらない愛で殺して。
夢主という将が意外にもすんなりと魏へ下ったことに賈クは少々驚いた。女二人のためとはいえ劉備の下から去るというのは忠臣である人間には辛かろうと思っていたが、意外や意外、何事もなかったかのような顔をしていた。そいつの数歩後ろを賈クは歩きながら彼女が女で、しかも”あの男”が欲するほどの力があったのか、会うまでは見当もつかなかったが目の前にして彼女が噂通りの人物だとわかった。体格がそれほどあるわけではないが筋肉が程よく付き、顔つきは凛としている。取っ付きにくいという雰囲気もそれほどない。彼女ならば魏に馴染むことは容易いだろうがそれこそ賈クが一番危ういと思う事でもあった。
「夢主殿といったかな。あんたどこのご出身で?」
「出身ですか?荊州ですが…何故突然ご出身などお聞きになったのですか?」
「んー、なんだろうね。ここらじゃ見ないような顔だったから少し気になったんだが…」
賈クが引き出したかったのは彼女が遠い国から来たという噂の真相を知りたかったのだが彼女は素知らぬ様子、嘘をついていたとしても可笑しくはないがそれ以上の情報を引き出せるようには思えなかった。
「あぁ、ようやっと来てくれた」
随分と若い男の声が賈クと夢主の耳に響いた。嬉しそうに弾む声に賈クは聞き覚えがあったものの、そいつからあれほど感情を露にした声など聞いたことがあらず一瞬誰かと疑ってしまった。
目と鼻の先にいるのは郭奉孝、魏の軍師である。曹操にもその実力を認められ多くの勝利を捧げてきた男が、夢主の前に現れた理由は賈クにさえわからなかった。それどころかこの男が何故夢主を魏に引き込みたいと申し出たかすら理解しかねた。唐突に彼が打診してきたそれに利益も見えなかった。実力においては確かに欲するに値するであろう。遠い国から来たことが真実であればその知恵を用いて魏の天下のためにと思えるがそれすら怪しい人物を推挙した郭嘉の意図、それは誰一人知るところもない。
「賈ク、ここまで無事彼女を連れて来てくれたこと、とても感謝するよ」
「あ、あぁ。いや、気にしないでくれ」
動揺しながらも言葉を返す賈クを見て、夢主は郭嘉という男に不思議な違和感を覚えた。確かに夢主も彼のように動揺した。自身のイメージしていた男と随分と違うように見えたからだ。郭嘉という男は柔和な物腰で、しかし腹の内を人に早々見せるような人物ではないと考えていた。けれども今目の前にいるやつは心底嬉しそうに笑っている。それが信じ難いことであるような気がしてどうにも納得がいかなかった。
「さぁ夢主殿。私について来て」
賈クから引き剥がされるようにして郭嘉に手を引かれ成すがままにされ夢主は呆然としていた。向けられた笑みには悪意もなく、疑う余地も与えないような純粋さを帯びている。細くしなやかな指先には戦乱で得た傷跡など一つも見えず、彼は戦場に立ちながらもやはり才智で曹操という男の覇道を支えてきたことが伺えた。恐らく力そのものでは銀屏にも敵わないであろう。いや、彼女には大の男とて勝てないか。懐かしい彼女の面影を思い出し胸が痛んだ。帰ると約束したのにもかかわらず結局魏へと下ってしまった。二人の命が救われたにせよ、銀屏にとっては酷い仕打ちに思えるのだろう。姜維もそうだ。彼にとっての唯一の人がもう二度と…もし会えたとしてもその時は敵として会うことになるのだ。彼にとってそれは耐えられないほどの苦痛に違いないであろう。自らの意志で魏へ行ったとしればいっそ復讐などと考えそうな気もした。今更恋しがったところで意味などないのだが、やはり情を捨てきれない、人間の愚かさが夢主から切り離せそうにはなかった。
「そんな顔は貴方には似合わないね」
「は」
「とても悲しそうな顔をしている…貴方は自覚していないだろうけど」
男は指先を夢主の頬に添える。そんな行為につい驚いて身を縮こまらせると困ったような笑みを浮かべて「何もしないからそんなに怯えないでほしいな」と囁いた。
夢主には男が何をしたいのかさっぱり理解できず呆然と突っ立ていることしかできなかった。そんな様子を愛おしげに見つめると男はクスクスとまたもや笑った。頬に添えていた手をするりと引かすとじっと夢主の顔を見やる。もちろん綺麗な微笑を浮かべたまま、それの意味もよくわからず首を傾げていると「そういえば」と話を始めた。
「まだ私の名を名乗っていなかったね。私は郭奉孝。貴方にはぜひ、字で呼んで欲しいな」
「よ、よろしくお願いします…奉孝殿」
「うん…魏へようこそ、夢主殿」
寛容な対応を受け悪い気はしなかった。それどころかここでならば上手くやっていけるのではないかとすら錯覚してしまいそうなほど郭嘉の言葉は夢主に安心を与えた。
だが郭嘉にとってこれはまだ序曲に過ぎない。夢主を得るがため鮑三娘と星彩を捕縛し取引を持ちかけたが、その提案を持ち出したのは郭嘉であった。どうしても彼女が欲しかった。その望みを叶えるため計画を立案し魏へと引き入れた。多くの将が何故あんなやつを、と言ったが遠い国から来たという噂を持ち出しその国の技術や知識を得ることができれば国をさらに発展させ、蜀と呉を圧倒できると話せば諸侯の顔は少しばかり緩んだ。それに夢主の武功も見過ごすことができないほど世間を圧していた。曹操にこれを用いて頼むと彼も興味を抱いたのか意外にもあっさりと許可を出し兵を与えた。
都合の良過ぎるほど話が進んでいたことに郭嘉はまったく驚かなかった。彼は夢主を得ることよりもその後が重要と考えていたのだ。信頼を得て誰にも目を向けさせないようにしなくてはならない。恐らく彼女は多くのものから好意を受けるであろう。そうなれば手中に収めたいと考えるものが生まれるのは当たり前だが、そうなれば邪魔者が増え郭嘉が起こしたことも全てが無になる。郭嘉にとってこの先夢主が共にあることこそが望みであり、他者が夢主の領域に侵入することがもっとも恐ろしいことなのだ。郭嘉の望み、いわば愛が叶う時こそが本当の幸福なのである。
「(ふふ、私と貴方の運命はここから始まるようだ)」
蕩け漬かるような愛がこの先には待っている。それを作るために何もかもを犠牲にし貴方へ尽くす。それこそが私の愛、これを受け入れてくれるのは他でもない貴方なんだ。
「私と共に、どこまでもいこう。夢主殿」
他者の想いを踏み潰すほどの愛を形にしていくんだ。
夢主の瞳に映った端麗な顔立ちの男もまた、歪な愛を育んで堕ちていった。