夢主の名前
素晴らしき新世界へ。
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好きという言葉で片付けたくない。
この感情はそんな幼稚な言葉で言いくるめられないほど、狂っている。
この狂気を土で被せたりしないで、涙で薄めたりしないで、そのままの姿で、貴方に受け入れてほしい。
陸遜が夢主を見初めたのは呉の使者として蜀を訪れた時、それはそれは肌寒い風が身に染みるような季節。馬上から頭を下げる劉備元徳の臣下を眺めていたが、しばらくして馬を降り呂蒙の傍へ陸遜は歩み寄っていった。
「これだけ人が集まるだなんて…想定以上の効果がありそうですね、今回の同盟については」
「あぁ、これでしばらくは国も安定した政治を行えるというものだ」
小さな声で対話しながら相手国の将へ拱手する。少し緊張した面持ちで列を成す彼らを見て、陸遜の顔が強張った。それに気づいたのか呂蒙は背を軽く叩き「気を楽にしろ、そんな顔では相手方に怯えられるぞ」と茶化す。自分はそんな怖い顔をしていただろうか、手で己の顔を撫でると呂蒙は声を上げて笑った。
しばらくして劉備の元への案内人として諸葛亮が一歩先を歩いていた。陸遜ははっとした。どうやら緊張で意識が飛んでいたらしい。目の前に尊敬する諸葛亮がいるのに、何か失態は犯していないだろう。不安に駆られながら長い廊下を歩いていくと、絢爛豪華な装飾が施された広間に着いた。そこには名を馳せる将がずらりと並んでおり、思わず喉が鳴った。
「呂蒙殿、陸遜殿、遠路遥遥よく参ってくれた」
「こちらこそ、今回の同盟、お引き受け下さりありがたく思います」
拱手をしながら劉備へ言葉を放つ呂蒙を見て、やはりこの人は凄いと感心させられた。周瑜や魯粛も素晴らしい才を持っているが、陸遜にはそれ以上の輝きを放っているように見えた。
目から真珠とでも言おうか、弁舌を打つ姿に見惚れながら不意に感じた視線に、意識が持っていかれる。誰だろうか、そろりと目を向けるとそこには見慣れない将が立っていた。
凄まじい衝撃が身を貫く。陸遜は一瞬、心臓が止まるような感覚に浸された。
心拍数は跳ね上がり体中が熱くてたまらない。あの人は一体誰なんだろうか。
不意に目が合った。陸遜は思わず顔を背けてしまった。まるで女子のような立ち振る舞いに我ながら恥ずかしくなる。しかしあれ以上目が合ってしまえば、体が焼け焦げてしまいそうで、彼には何が何だかわからなかった。
そんな態度に気づいた呂蒙「どうした?」と声をかける。少しぐらい緊張するのはわかるがあまりに目に見える動揺っぷりであったためであろう。陸遜はまたもやはっとして必死に言葉を紡いだ。
「い、いえ、初めて拝見する方がいらっしゃったもので…」
「あぁ、夢主のことか!」
張飛が大声を上げて答えた。すると劉備も「そうだった、貴殿らは知らなかったであろう」と顔を綻ばせた。
「ほら、しっかり挨拶しろよ!」
張飛に背中をどかどか叩かれ苦笑いを浮かべながらその人は前に出た。
「お初にお目にかかります。私夢主と申します。以後お見知りおきを」
夢主。その名が脳に刻み込まれる。
それからというものその人のことばかりが気になって仕方がなかった。心の奥底までの夢主という人のことを知りたい。そんな欲が茫々と生い茂る。結果夢主に話しかけるにはそれほど時間はかからなかった。
僅かな間しか夢主といられない、そう思うと毎日毎日彼女の下へ訪れてしまった。しかし夢主は拒むことは決してしなかった、優しく毎日陸遜を受け入れる。それが何より嬉しく、心弾んだ。ここまでは普通の恋であれた、けれど陸遜は気づいてしまった。
「夢主!」
「姜維じゃないか、どうしたんだこんな時間に」
「どうしても夢主に会いたかったもので…」
影からその光景を見て奥歯がギシリと軋んだ。
あの男、姜伯約は彼女に惚れている。一目でわかってしまった。元々あの男のことは好きではなかった、いけすかない男だと、個人的に思っていたが、その時を境に彼に対して憎悪が、憎しみが湧き上がった。
それから陸遜は狂い始めた。
憎悪をかき消そうと必死に己の身体を傷つけた。愛用している双剣で腕を、足を、腹を傷つけた鮮血を散らした。心を諌めるにはそれしか方法が見つからない。陸遜はこの想いを姜維にぶつけ、早く楽になりたいと何度も思った。しかしそれを夢主に知られれば嫌われ、言葉を交わすことすらできなくなるだろう。そんな苦痛耐えられない。
葛藤し続けた。後わずかしかいられないのに、こんな苦痛に嬲られながら生きていけるか。
陸遜が行動に出た時、姜維という男はただの人間に成り下がった。
ありとあらゆる手で夢主から姜維を遠ざけた。
やつを近づけたくない、夢主は、私のもの。
異常な独占欲が陸遜を支配した。周りなど見えない、視線の先には常に夢主があり、それらに近づくものが酷く醜く汚らわしく思えてならなかった。たとえ女でも、それはかわらない。銀屏や星彩が側にいるだけでも陸遜は許せなかった。
僅か時間が流れ、次第に姜維は陸遜に憎悪を向け始めた。それでいい、それこそが目的なのだから。陸遜にとって全てが計画のうちだった。
それまで苦しくてたまらなかったけれど、もうすぐ解放され、彼女の腕の中で眠れると思うと、痛みも和らいだ。
もうすぐ、もうすぐ夢主は自分を抱きしめてくれるのだろう。
そして計画を終わらせるため、愛を掴むため、陸遜は姜維を呼び出した。
「…私に何か用でも?」
「えぇ、少しお話をしたくて」
姜維は明らかに警戒していた。その目から見えるのは憎しみのみ。陸遜は零れ落ちそうになる笑みを堪えて話しかける。
「姜維殿は夢主殿のことをお慕いしていらっしゃるようでしたので」
言葉にそれほど意味はない。ただの煽り文句だ。しかしこの程度の言葉でも今の姜維の理性を壊すのには十分であった。
「わかっていながら、私と夢主の仲を引き裂こうとしたのか」
「引き裂くだなんて言い方が悪い。私はただ邪魔者を排除しようとしたまでですので」
シン…と静まり返った廊下に風が吹く。涼しげな風だ。けれど姜維の怒りを冷ますにはこんな風では足りない。
瞬間、陸遜の体は地に叩きつけられた。さすがの陸遜もこれには顔を歪めた。智に長けた将であるが、力も相当なもので、骨がミシミシと音を立てる。かなりの激痛で、自分で施してきた傷のはるか数倍はあるであろう。しかしこれぐらいのことをされなければ計画は完遂できない。ぐらぐらと安定しない目で陸遜は姜維を見た。
「…あ、なたは」
「私はおまえを許すつもりはない。おまえなんか、死んでしまえばいい」
本心を曝け出し始めた姜維に陸遜は声を荒げて笑い出してしまいそうになった。なんという茶番劇だろう。結末がどうなるか知っている陸遜にとってはただの喜劇にしか思えない。それも知らず死ねなどと、とんだ戯言だ。
「(本当に愚かだ)」
可愛そうに、貴方が夢主に恋などしなければこんなことにはならなかったでしょう。
今更どうにかできるようなことではない、同情の余地もない。卑劣と屑と罵られようと構わない。夢主の愛を得れることができるならば、非道なことでもやってみせる。狂っているとわかっている、それでも止める気はさらさらない。
「夢主、夢主…」
痛々しげに彼女の名を口にすると姜維は怒りを露にしながら陸遜に近づいた。
陸遜は顔を地に埋めてひっそり笑う。勝利が確信した戦いほど、楽しいことはない!
「姜維…?」
ほら、私の救世主が、貴方の愛する人が、そこにいる。