夢主の名前
素晴らしき新世界へ。
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注がれる視線が何を意味するのか、夢主にはわからない。多くの将が自分にどのような想いを抱いてそこにいるのか、そんなことを考える暇などないほどの息苦しさを夢主は人生で初めて体感した。現代の高校の面接なんぞもってのほかだ、こんな緊張したのはいっそ生まれて初めてだと思う。あの頃は命の張り合いというのはなかった、ただのうのうと過ごしていればそれだけで十分で、価値などなくとも生きていることは許されていた。しかしだ、今は違う。意にそぐわぬ物は斬って捨てられる。それが当たり前のことで、誰しもそれを知っているから生きていることに磨きが掛かっているのだ。
眼前にいる曹操という男はそれらを全て見通し、そんな世で自身を見失わず生きてきた兵である。夢主が画面の向こう側で見てきた光景がここにある。それを立証するかのように張り詰めた空気が身に染みる。夢主はすうっと軽く息を吸い、膝をついて拱手をした。
「私、名を夢主と申します。名をお知りになられているかはわかりかねますが、これよりは曹魏の臣下の一人として我が名を知って頂きたく」
「そう固くならずともよい。わしもおぬしの名はよく知っておる。血塗れた野良犬のようだと話には聞いていたが、犬には見えんな。わしの目には白虎のように見える」
夢主も臣下もきょとんとした顔をした。曹操がこのように人を賞賛することは少ないことではないが、その声色は旧友に語りかけるかのような優しいものだったのだ。夏候惇ですらそんな声を聞いたことがなかった。珍しいこともあるもんだといわんばかりに夏候淵は目を丸くさせ二人を見つめた。
「白虎とは、曹操殿も随分と褒めるのがお上手で…」
「嘘は言わぬ、儂は事実のみを言おう。おぬしのようなものがここに来てくれたこと、嬉しく思うぞ」
曹操は席を立ち夢主に近づいた。夢主が深々と頭を下げると「面を上げよ」と曹操が言う。どぎまぎしながらも顔を上げると突然彼は夢主の頭を撫でた。まるで子ども扱いされているようではないか、とも言えず呆然と空を見つめる。頭を撫でられるなど幼稚園の時以来ではなかろうか。さすがに中学生になってからは親もそんなことをしなくなった、寂しいという気持ちがなかったわけでもないが、思春期真っ只中の彼女はそんなことされるのを快くないと思うことを察した親の配慮であったが、今いい年をこいた自分が乱世の奸雄に頭を撫でられるなんて、理解しがたい行いに頭がついていかなかった。
「蔡文姫よ、すまぬが夢主を部屋に案内してはくれぬか」
「はい」
蔡文姫は頭を下げると夢主の側に近寄った。
「私蔡文姫と申します。以後、お見知りおきを」
柔らかな笑みを浮かべる蔡文姫に思わず夢主は見惚れてしまう。イメージ通りであるはずなのにその姿はどこか別の人物のようにも見えて、遠い存在とはこのような人の事を言うのかと納得した。お淑やかで大人びたその雰囲気はさながら天女とでも言おうか。間抜けな面を晒すまいと咄嗟に拱手をする。
「お部屋までご案内致します、どうぞついてきてください」
蔡文姫の後をいそいそと歩く。緊張感から解き放たれた夢主はほっと息づく。生きた心地がしないとはまさにこのことであろう。曹操からあんなことをされて自分の立場はこれからどうなるのか、想像すらできない。好意的であったことはよくわかったが、それをよく思わない者達も少なからずいるはずだ。そういった者達が炙り出るのも時間の問題だろう、ただでさえ疲れているというのにこれ以上の負荷がかかることなど正直考えたくなかった。
「それにしても、驚きました。まさか曹操様があのようなことをなさられるなんて」
「曹操殿はいつもあのようなことを?」
「いえ、初めてなのです。他にも客将をお招きしたことはありますが、あのような殿、ご覧になったことはありません」
随分と待遇がいいもんだと夢主は呆けた。しかしこれをきっかけに面倒事に巻き込まれないか、ただただそれが心配でならなかった。
「ですが殿のお気持ちがわかるような気がいたします。夢主殿にどこか親しみを感じるのです」
「そうですか…?そんなこと言われたのは初めてですよ」
くすりと蔡文姫は笑った。つられて夢主も笑うと少し冷たい風が二人の間に吹き付けた。
「さぁ、早くお部屋に向かいましょう。お体に障ってはいけませんから」
穏やかな時の中であったが、今にも雨が降り出しそうな曇り空が何かの予兆だと言わんばかりに雨粒を数滴垂らし頬を濡らすと夢主の胸には言葉にしがたい不安がよぎった。