本編
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名前は県長になり一年の時をそこで過ごした。承には荀彧の知り合いで李晃という男が就いて名前の仕事をよく手伝った。
李晃は三男として家に生まれ寝食を忘れるほど学問に励みそのうち仕官するのも嫌がるようになったという、戦を好まずそういった事柄に携わるのもと頑なに拒んでいたが名前に県長の話が舞い込んだ際に荀彧はどうにか彼女を支えてはくれまいかと懇願されたという。
その際荀彧は人を推挙するときとは違い強い情を孕んでいたことは彼の目から見てもよくわかり、その様の珍しさから幾つか条件をつけて李晃は話を承諾した。
名前はその話を李晃から聞き驚きつつも荀彧の面倒見の良さならそこまでするだろうと納得もしたが相変わらず手をかけられてるなと恥ずかしくもなった。
しかしそれだけしてもらったからには十二分になるほどの恩を返さねばならないなとより統治と開拓に精を出した。
名前は畑作に力を入れつつも特産品を作るべく酪農にも手を出すことを決めると雌の牛を買い付け乳牛として飼育と管理を行った。
当時酪農というものに対して関心があったとはいえず牛は畑を耕したり、荷を運ばせるといった運用がほとんどであり牛乳を目的として飼育することは滅多になかった。もちろん乳を搾れるものであればそうしたものの牛乳を食品として重宝する文化は珍しかったが名前はこれを実践し実績も残した。
村民も最初は懐疑的ではあったが牛乳を元に作られたものはどれも新鮮であった、乳臭さを消すために様々な工夫をすれば逆に乳の旨味を残してつまみにできるようにと名前が試行錯誤を繰り返すさまを見て不思議と惹かれるようになると我も我もと声を上げるようになったことは名前にとって予想外の喜びであった。
これらが軌道に乗り出すと出来上がったチーズを食べた曹操は大層満足してさらに牛を与えそれに合わせて他の地方より人の出入りも増えだすと名前は目を輝かせて次は何をしようかと胸を弾ませながら村民達を導き続けた。
李晃はその見事な手腕と行動力に度肝を抜かれつつもこのお方の成すことを見届けたいと強く願うようにもなる。荀彧から度々様子を問う文書が届くたび、私を引き合わせてくだったことを心より感謝するとつづるばかりであるほどといえばどれほど心を躍らせ日々を送っているか想像していただけるであろう。
名前は女人にも正規の仕事を与え実績に応じて賃金も払うようになるがおおよそ自分の懐から出した金であり自らの娯楽らに投じようとはしなかったと李晃は知ると荀彧へ「わずかばかりの金で彼女は幸せそうにしている。慎ましやかであることへ何ら疑問も抱かず人々のために質素であることを喜べる、このような御仁がいるとは彼女に出会うまで知ることもなかっただろう」と伝えると荀彧は自分のことのように喜ばしい反面自分に手をかけない名前に少し心配もしたので彼女の下に訪れると使える物や衣服を与えたそうな。
多くの人間が出入りする中名前が最も驚いたのは郭嘉の来訪であった。何も彼が来ること自体に驚いたわけではなかった、その頻度である。
郭嘉らが勤める宮廷より名前のいる場所までそう遠くはないとは言えど馬で来るには半日ちょっとはかかるし、何より郭嘉の業務の量を考えればそう何度もこれる様な時間はないはずだが定期的に来ては名前との話に花を咲かせた。
見事な発展を遂げた領地のこと、名前がいない仕事場のこと、戦場でのこと、些細なことですら二人は長々話していられるだけの関係性を持つようになるとは名前が一番信じられないでいた。
「(来てくださることは嬉しいんだがな)」
しかし心配事は多い。一人の女にご執心だとか、郭嘉に取り入ってさらによい役職へと昇ろうとしているだとかでっち上げた噂は名前の耳にも入らざるをえないのだ。それらは仮に聞き逃せたとしても一番の危惧は体調についてである、あくまで仕事上ここへ訪れるのとはわけが違う。郭嘉は暇を作り望んでここに来ているのだと思うと無理はせずにと幾度か言いはしたものの彼が素直にわかったとは言わないため頭を抱えた、だが彼曰く至福の時だと言い放つのだから蔑ろにできない。名前は困ったが唯一できるのは彼をもてなして心労を取り除いてやることだと考えてからは招き方にも工夫を凝らすぐらいのことしかしてやれなかったが郭嘉は大層喜んで笑みを浮かべているのを目にすると間違いではないと思えてしまうのだ、名前は郭嘉を甘やかしているという自覚もなしにこうしたことをやってのけるため郭嘉はより入れ込んだ。
「これは名前殿が作ったらしいね、うん、とても酒に合う」
「でしょう。花椒をかけるとさらに旨くなるんですよ」
「それもいいね、ならばもう少し強めの酒を用意してもいいかな」
「それは駄目ですよ、帰る時に酔いが残ってはいけませんから」
「おや、手厳しい」
「郭嘉殿が羽目を外し過ぎては私もですが他の者も困ります故、酒以外であるなら多めには見ますが」
「ふふ、なら私と蕩けるような時間を過ごしてくれるかな」
甘い香りを漂わせた郭嘉の色づいた瞳をかわすのも手慣れたもので「お戯れが過ぎると荀彧殿に痛い目にあいますよ」と警告すると「荀彧殿の名を出すのはずるいよ」と少し拗ねたような顔をするものだから子供っぽいところがあるなとくすくすと名前は笑った。
「名前殿はいつも私の調子を狂わせる、本当に酷いお方だ」
「狂わせるだなんて、むしろこちらのほうが狂わせられてる気がするのですが」
「そうかな?…それは、嬉しい誤算だ」
郭嘉はうっとりと名前の顔を見やるが彼女の視線は手元の書簡に向いていた。決して郭嘉を適当にあしらっているわけではないが名前には今やるべきことが山のようにある、その時間の最中郭嘉とこうして語らっているのだから器用なものだと郭嘉は感心した。
そしてその横顔の美しさにはやはり目を奪われる。異性云々ではない、人としての魅力を感じるのは曹操以来であろうか。
彼女はやはり特殊だ。話すうちにこの時代らしくないと思う節が所々零れてくるのだがそれを貫き続ける芯の強さこそ美しいと思う所以なのだ。
その目が時として自分を見やる時、とても甘やかしてしまいたくなる。溶けてしまえばよいと思うと同時にこの強さを守ってやらねばとも思い始めるとは、郭嘉は恐ろしいほど魅了されているのだと自覚せざるを得なかった。
「貴女のその顔が見れるなら、私は」
囁くような声が名前には届くことはなかった。それは秋の風に遮られて郭嘉の心の内で幾度も木霊するとより名前を愛おしく想えた。