本編
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名前は戦地に時たま身を置くようになった。
曹操を守った功績も含めて夏侯淵らに評価されいよいよ死地へと赴くとやはりと思っていたが呆気ないほど人の命が早々と散って行く。
本陣で話した歩兵が屍となって烏に啄まれている様は気味が悪いもののあの日決意を抱いてから戦場とはそういうものだと割り切ることができるようになってしまったのは幸運であろう。
名前自身は全く自覚のない話ではあるが夏侯惇曰く「あいつは死地でこそよく働きともかく戦いに向いた性分だ」と評されていた。
戦いのおけるセンスは飛びぬけていたが本人が戦い事態を好ましく思っていないためそれほどの頻度で重用されなかった。
曹操も徐々に経験を積ませてからでよいと名前には寛大であったし卞氏が名前を心配するためそう何度も起用することができなかったというのも一つの理由である。そもそも女が戦場に立つこと自体が快く思われていない時代に名前はよく働いたほうだろう。
その後戦が控えられるようになると名前に与えられた仕事は文官の手伝いであった。名前は周囲をよく見、困ったものを何の気なしに助けると曹操は理解していたので雑務においても使い物になると判断し荀彧に身を預けることにしたと曹操から言われれば名前も断る理由もなかったため彼の元へと足を運んだ。
「あぁ、そなたが殿が寄越した者か」
「はい、荀彧殿はいらっしゃいますか」
「しばし待たれよ、今呼んでこよう」
文官が名前を一瞥してそそくさと去っていくのを尻目に辺りを見回した。名前は曹家の住いや厩舎周りでしか働いたことがなかったため執務室の周りですら新鮮に思えた。墨の臭いが少し鼻につくが悪くはない。
「名前殿ですね」
辺りを眺めていた名前は不意にかけられた声に振り向くとそこには荀文若、王佐の才と謳われる軍師が自分を見据えて柔和な笑みを浮かべている。
「は、はい。曹操殿からこちらの手伝いにと」
慌てて拱手をした後彼を見上げると遠目で見ていたことはあったもののいざ目の前に立たれるとその端麗な顔立ちにはつい見とれてしまうなと名前は浮ついた気持ちになってしまった。女官達が郭嘉様か荀彧様かなどと密やかに話しているのを聞いたことはあったしこちらの仕事に行くと言った際には「羨ましいわ」「ぜひお二方について教えてくださいね」とそれはもう鼻息荒げに詰め寄られたものだ。だが目の前にすれば女官達が浮つくのもわかる、これで妻子もいないのだから女人はこぞって羨望のまなざしで見やるだろう。
「改めて、荀文若と申します。殿から話は伺っています、人手が足りないものでしたから名前殿に来ていただけて本当によかった」
「いえ、私はこういった類のことは経験がないもので…お役に立てるかどうか」
「心配はいりませんよ。何もすぐに難しい仕事をさせようとは思っておりません。最初は書簡の整理や複写など簡単な仕事を任せるつもりです」
いずれはもう少し入り込んだ仕事もすることになるのかと思うと少し気が重くなるのは仕方のないことだろう。宛がわれた仕事はもちろん誠実に取り組むつもりだが全てに慣れ親しんだわけではない名前にとってこの手のことは最も苦手としている分野ではあることは否定しようもない事実である。
しかしそれらも汲んだうえで荀彧は仕事に就かせるつもりであるから何の問題もないはずだが名前は気を引き締めてかからねばと心持を新たにした。
「実は政のほうで少し手をこまねいていましてね。戦に関する書が保管庫でばらけているのです、それを整頓していただきたくて」
「量はどれほどあるのでしょうか」
「そこそこ、ですね。他の者も今政の処理で手が回せず困っていたのです」
こちらです、と扉を開けた先には確かに多少乱雑に置かれた書簡がバラバラに散っていた。それに埃っぽいしこれでは不衛生だなと名前は自分のすべきプランを頭の中で描いて目の前に問題に着手することにした。
荀彧が場を去った後全ての書簡を一度外へ出し掃除を始め、掃除が終わった後は年代ごとに書簡を整理した。どの場所に何があるかわかりやすくするためにと色のついた紐を棚の端に括らせて見栄えもそこそこ良いものになったであろう。
仕事を終えたときには空は赤く染まっていたがなんとか日が落ちる前ら終わらせられてほっと一息つきながら荀彧の下を訪れると驚いた顔で「数日かけて終わらせようと思っていたのですが」と言われてしまい名前は逆に申し訳なくなった。何も急いでいたわけではなかったのだが名前はこの世界での余暇だのなんだのにあまり興味もなかったため仕事に夢中になっているようだが本人その自覚はないらしい。
荀彧は椅子から立ち上がると名前のすすけた顔を見て布を取り出して彼女の顔を拭いた。
「女性一人にさせるような仕事ではなかったですね。私の配慮が至らぬばかりに…」
「何を申しますか、このように仕事を任せていただけるのです。多少の汚れなど。むしろ荀彧殿の前にこのようなだらしのない姿で現れて申し訳ないです」
優しい手つきで名前の顔を拭く荀彧を何か神聖な物のように例えた名前は自分のせいで汚れた布を掴み「洗って後日返します」と言うものの「それは貴方に差し上げます」と強く返されてしまい思わず「しかし」と異を唱えようとするのを荀彧は許さなかった。
素早く机に置いてある書簡を手に取り一度顔を洗ってからこちらを郭嘉殿に渡してきてほしいとそれを差し出した。
それが終わり次第帰ってよいという荀彧に恐々としながらも拱手をし名前はその場を去ることにした。彼は穏やかな笑みを浮かべて礼を述べるとまた筆を走らせた。
水場で顔を洗った後、郭嘉がいる執務室まで歩く最中名前はなんだがあの人には勝てる気がしないなぁ…と思わず頭をかいた。