▶荀攸
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荀攸と名前には幾らか歳の差があった。
何もこの時代においてそれは珍しい話ではなかったとはいえど荀攸にとってそれは少し心に蟠りを生む一つの要因であることは否定しようのない事実である。
現に名前が満寵と話している現場を目撃した際にはそれも相まってか酷く醜い感情に襲われて思わず眉間に皴を寄せて二人を睨むように見つめてしまっているのだからもはや隠し通せそうにもないほどの有様であった。
「先の戦では私の策が敵に露見しかけたからね。まだまだ浅いな私も」
「しかし機転を利かせたおかげで損失も少なくて済んだのはお前のおかげだろう。私の部隊も犠牲を払わずに盤面を打破できた。流石だよ」
「随分と持ち上げるね。明日は槍でも降るかな」
「酷い言い様だな、私だって人は褒めるぞ」
「ははは、冗談だよ」
妻が男と話しているだけだとしても満寵と夢主の会話からは信頼が伺えてならなかった。自分と話している時ではあのような溌剌とした様は見れないだろう。満寵とは気が合いなおかつ歳もそこそこ近い、故に話しやすいということを加味しても自分とは雲泥の差があるように思えてならず強い嫉妬心を抱き思わず爪の先が手のひらに食い込むほどであったがこの時の荀攸には痛みなど些細なもので眼前に光景の衝撃には勝らなかった。
確かに自分たちの歳の差は少しあるとしてもだ、何故自分には宛がわれない光を満寵にはと疑念を抱くのは可笑しなことだろうか。
荀攸にとってそれほど名前の存在とは特殊なものであるのに名前にとって自分は大したことのない存在だったとでもいうのか。
陳腐な疑いが湧いて出ることをやめない腐りきった自分の性根に唾を吐き捨てたいほど嫌悪した。しかしこの苦痛を取り除ける存在が一人しかいないことは明白で、しかし踏み出そうにも自制心が働いて前へ進めそうにもない。どうすれば良いのか、ただ見つめていることしかできないのか。
悶々としている荀攸に思わず満寵は会話を止めて目を向けた。
「(あぁ、あの顔はさぞ怒っているらしい)」
察しがついた満寵はこそこそと名前に彼の存在を示唆する。満寵の指先にいる荀攸に目を向けると名前はにこやかにほほ笑んだ。彼女の悪いところというか、妙に純粋なところというか、満寵は少々頭を抱えたくなったがこれは当人間で解決すべきかと考えそそくさとその場を立ち去った。
「荀攸殿!いらっしゃったのならお声をかけてくださればよかったのに」
「いえ…お二方の会話に割って入るのも悪いと思いまして」
名前は近づいた後違和感に気づいた。目を合わせてはくれないのだ。先ほど満寵が居た場所を見つめて自分のほうなど見ようともしない。
はてさて何があったのか。名前は不思議そうに尋ねてみた。
「荀攸殿?」
「…」
「満寵殿に御用でしたか?それとも」
「名前殿」
名を呼ばれた瞬間ギロリと名前を睨みつけるような鋭い眼光が突き刺さり思わず顔が強張った。戦場ですらそんな顔滅多に見たことが無かったのに、今になって何故そのような顔をと名前は不安げに彼を見つめた。
荀攸は名前の顔を見てはっとした。今彼女に醜い感情を向けてしまった、不味い、このままで彼女に嫌われてしまう。
「いえ、何も。引き止めて申し訳ありません」
荀攸の内には焦燥が募って今にも崩れ落ちそうになっていたものの彼は顔に出ぬようにと単調な言葉で自分の欲と彼女を遠ざけようとした。
だが名前は荀攸の態度にやはり違和感を感じた。感情の制御ができていないような不思議な様だった。名前とて荀攸と過ごした時間の中で彼を多少なりとも理解し見てきたのだからそういった変化には気づくことができたが言葉数の少ない彼のそれでは名前には何を以て揺らいでいるのか見当はつかなかった。
「…私には言えぬようなことでしょうか。今の荀攸殿は少し…」
「名前殿、これ以上の詮索は無用です。職務に戻りましょう」
「本当に?私に何か不満があるのでは」
たまらず名前は強い口調で彼を引き止めた。逃げ出そうとする彼を放ってなどおけなかった。
問い詰めるように名前は荀攸の前に立ち彼を見おろしている。
不満と言われればそうなのだろう、しかしそれを名前にぶつけたところでと子供のように拗ねている自身の我儘な様に嫌気が差したもののそもそも名前の愛想が良いばかりでこんな思いをしているのだとこじつけるように荀攸はむくれると踵を返して逃げ出すようにその場を去ろうとした。
しかしそんな荀攸を黙って見過ごすほど名前は出来た人間でもないし冷めた妻でもなかった。咄嗟に彼の左手を掴むと抵抗する間もなく彼を引き寄せ頬を両手で掴みじっと彼を見つめた。
「荀攸殿、私を見てください」
思わず体に熱が帯び年甲斐もなく狼狽えてしまう。名前の美しい瞳が今、自分だけを見つめている。獲物を狙う獣のように鋭く自分を射ぬこうとしているかのようで、どうしてだか酷く興奮してしまった。
荀攸が思わず唾を飲むと名前は少しだけ安堵したかのようにほほ笑んだ。
「よかった、嫌われたわけではないのですね」
荀攸の恥じらう姿を見て決して自分に飽きたわけではないのだなと確信した名前は穏やかな顔をしつつ頬を掴んだ両手をスルリと肩へ移し彼を安心させようと何とか笑みを浮かべていた。
「無理強いするような真似はしたくありません、だから口を割らせようなどと強引なことは致しませんが信頼してくださっているのであれば申してください…私は妻として貴方に寄り添いたいのです」
どこまでも輝かしい人だ。荀攸は自身の感情の浅ましさから強い劣等感に苛まれるもののそれを責めようとしない名前の優しさを独占していることに安堵した。彼女が見ているのは他でもない自分であったはずなのに、どうしてだか他人に嫉妬して嫌悪して、器が小さいと謗られても何ら可笑しくはないのだろう。けれどそれすら受け入れようとする名前の意思に思わず折れてしまうのもまた必然なのだろう。
「…とても些細な理由でした。名前殿が満寵殿と話していらっしゃる所を見て、俺には見せない姿を、見せない口ぶりを…あのような自然な姿を何故俺にはと嫉妬してしまった。本当に小さい男ですね、俺も」
自虐するように吐露された言葉に名前は目を丸くしながらも優しく彼を抱き寄せた。荀攸がこうして自分に対して嫉妬何ぞ見せるのは初めてであった、彼は自分に対して望みを言いはしない。それは彼の包容力であり愛情だと思い込んでいたのだ。しかし実際はそれらを抑え込み名前にとって模範的な良い伴侶であろうと努めていただけであったに違いない。勝手に勘違いをして彼に寄り添おうとしていなかったのは自分ではないかと名前は自分を責めてしまうと同時にこれほど愛おしい人を手放せるわけがないと胸が熱くなった。
「ならば私も打ち明けましょう。私も貴方に相応しい人間であろうとしていました。だから壁を作ってしまった、良い妻であろうとしたばかりに貴方を不安にさせて………本当にすまない」
「名前殿…」
「その、これからはもっと…公達殿に寄り添いたい。私らしい様でも良いんだろう?」
恥ずかし気に笑う名前の顔は自分が切望していた無垢な姿であった。否、それ以上の代物だった、満寵にすら見せていない自分だけが知りえているその姿に自然と笑みがこぼれ幸福が胸の内を占めるのを実感して頬が緩んでしまうのを抑えられそうにない。
「えぇ、俺が見たかった貴女が今目の前にいる。とても幸せだ」
「私も、公達殿のそんな顔初めて見たから…あぁ、ほんとに…私は貴方が好きでたまらないらしい」
名前はたまらず荀攸の体を持ち上げると荀攸は少し驚いた後やはり微笑んで彼女の目を見た。今や目を合わせるだけで互いの全てがわかってしまいそうだ。いや、今ならきっとすべてがわかる。独りよがりなどではない愛情がそこには確かにあるのだから。
「愛しています。誰よりも、貴女のことを」
「私も、公達殿がいい。貴方じゃなきゃ駄目だ」
「…名前殿はずるいことばかり仰る」
「仕方がないだろう。公達殿がそうさせたんだよ、私を」
互いに額を合わせ目を瞑りながら言葉のやり取りをするものの、弾んで今にも踊り出しそうな名前をぎゅっと抱きしめるとその熱が二人に永遠のような時間を与えてやはり離れられるわけもなく穏やかな時を過ごすのであった。