本編
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日が落ち陣の中は昼時よりも静まったものの次の戦に備えてあるものは慌ただしく、あるものは粛々と夜が明けるのを待っている。
名前は火が揺らめく薪を座りながら眺めていた。
考えれば考えるほど正しさというものに懐疑的になり受け入れることの難しさに頭を悩ませた。
理解しようとすることとできるか否かはやはり別物だとつくづく感じる始末だが彼の生き方をねじ曲げることに今となっては空虚な感情を募らせていることは紛れもない事実である。
しかしそれでも迷うのだ、何故かと言われてしまえば単純なことなのだが。
「(失いたくはないんだ。大切な人を)」
名前は曹操を守るために死んでいった曹昂のことを思い出すとやはり言いようのない悲しみに苛まれた。彼は自分の末路を受け入れているに違いない、けれど自分だけはそのことをずるずると引きずっているのだ。
この時代に生まれた以上死する時が今日でも明日でもなんらおかしなことではないがその感覚に慣れてもやはり敬愛し情のある人物の死には心は痛むものだ。
郭嘉の病のことを思うと曹昂の顔も思い出すが郭嘉の強い決意と意思の前で自分の願いなどむしろ無粋で仕方のないものだと思えてしまったことはきっと受け入れる段階に無意識的に入っているからなのだろう。
不思議なもので痛みすら人間は受け止めて生きていけるのだ、他者の死に心を痛めてもなお明日がやってくるとのそのそと前に進める。それどころか死は来るものだと受け入れて堂々と進んで行く者ばかりだから自分の器の小ささに落胆してしまうほど時代は強者に先導されていた。曹操の背にはそういった業すら背負う強さがあるのだと名前は改めて感じるばかりだ。
「随分と暗い顔をしてるね」
不意に声をかけられて見上げるとそこには満伯寧がこちらを穏やかな顔で見下ろしていた。
彼とはそこそこな縁になる、唯一と言っていいのだろう、名前が最も元の時代にいた時と同じような対応ができる人物であった。彼の何事に対しても臨機応変で名前のことも前向きにとらえてくれる姿勢に酷く信頼を置くのも無理はなかった。近い距離感で物事を話せる相手など早々居ないが満寵とは気が合うためか公私ともによく話すことがあるがまさか本陣まで来ていると思ってはいなかったためか名前は少し驚いて目を見開いていた。
「お前の配属されている場所はここじゃなかっただろう、どうして」
「こちらに少し報告があってね、急いで来たから君に声をかける暇もなかったんだ」
「そうか…早朝には出立するのか」
「あぁ、夜はここで明かすけど私の持ち場に戻らないと…袁紹相手だ、気は抜けないからね」
満寵は名前の隣に腰掛けると何気なく会話を進めた。こうして気兼ねなく話せるとつくづくほっとする、自分が戦場に身を置いている故に人間性を時として疑いたくなるがらしく振舞える相手がいると自分は正気だと安堵できる。
名前の表情が少し柔らかくなるのを満寵は確認すると少し考えつつも彼女に問いかけた。
「何かあったみたいだね」
「わかるのか」
「君は意外と顔に出るからね、よく君のことは見ているから気付きもする」
「…面目ないな。我ながら少し情けない気持ちだ」
「少しぐらい打ち明けても問題はないんじゃないのかい」
満寵は名前の意を汲むのがとにかく上手い、自分のことには頓着がない癖に他人のことには非常に敏感であった。とはいえど誰にでも優しく接するわけでもないことを考えるとやはり名前にはそれなりの温情があるからだと思ってよいのだろう。柔和な顔をしつつも鋭い男だと名前は目を伏せながら思うと少し口を開いた。
「迷っているんだ、自分の判断に。私が正しいと思うことは決してその人の幸せではないのだとまじまじと感じてしまってね」
「人の痛みに寄り添える君らしい悩みだ。その御仁が少し羨ましいぐらいだよ」
「羨ましい…?」
「君にそれほど思われているのだからその人はそれだけで救われた気持ちだろう。そんな単純なものさ、例え自分がどうなろうとも君を守ってやりたいと願っているに違いない」
「どうしてそう思えるんだ」
「君がそういう人間だからさ、他人にそう言った感情を無意識で施すんだよ。それは良くも悪くもこの時代では尊いものになりうるだろうね」
彼のいう言葉を全て理解するには至らなかった。自分はそう大層な人間などではないと名前は思っているからだ。ただ満寵の言葉のほとんどは事実であった、本人の自覚のなさとは裏腹に誰かが突き動かされているのだ。それだけの力を持ち得ているのにも関わらず彼女は人の上に立とうともしないからより一層面白いのだと思うが名前にはそもそもそのような発想などあるわけもない。だから惹かれるのだ、満寵も名前の在り方には深く興味を示したし話題に上がっている人物だって同じように思ったはずだ。
ただ今名前を悩ませている問題はもはや解決の糸口など一つしかないことは手に取るようにわかってしまう、同じように感じたからこそ察しがついた。
「その人は君に何と言ったか覚えているかい」
「いずれ答えを見つけ生き抜くのだと…」
「君は託されたんだ。自分が生きた証を名前殿に宛がえば死んでもなお生きているのと同じだと思えてしまうだろう」
「…わかりたいとは思う。だがどうしてお前はそこまで考えられるんだ」
「うーん…これは私の持論に近いからかな。私だったらそう思うだろうという理論とその人の真意を重ね合わせた結果の憶測でしかないけれどね」
彼の言うことは的を射ているような気がしているのはきっと核心をついているからなのだろう。自身では答えを見つけるに至らなかっただろう、ただ満寵はそれを提示して名前に生きる道を示してくれた。
満寵にも、郭嘉にも道がありその最中自分は居合わせたにすぎぬがそれでも何かを成そうとする中託されたことを思うと死を抱えて生きる意味とはそういうことなのかと腑に落ちた。
「しかし、残された者はいつだって辛い思いをするだろうな」
「そうだね。けれどそれでも生きねばならない。私達もまた残していく側になるのだから」
命は堂々巡りなのだ。誰かの死が誰かの生に結び付く。自分より尊いものの死でもそれは同じこと。郭嘉は享受の子であったため死すら受け入れてしまうのだろうと名前は思いつつもそれを手放しによかったなと言える自信はやはりなかったが郭嘉の死は避けようのない現実でありそれは自分が今止めてもいずれやってきて彼を苦しめただろう。
その時名前は思い出した。自分が曹操を守った際にこう思ったはずだ。
「生かされるべき命には順序があるのだろう」
それは才といったものすら踏みつぶす残酷さであり世界の仕組みそのものなのか。
「なら私たちは生きるべき流れの中にいるんだろうね」
満寵の言葉に名前はその流れは断ち切ることなとできずそして永劫に続いていくものだと察しながら生きることを手放せない理由を明確に見出していくのであった。