▶荀彧
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名前の勤勉さに荀彧は感心した。
曹操がこちらに彼女を寄越してから随分と経ったが日ごとにその真面目さを肌身を持って荀彧は感じるようになると自然と目で彼女を追うようになった。
ただの親心のようなものだと荀彧は思い込むのも無理はなかった、名前の仕事に対する真面目さを見ているとあれこれと手を焼きたくなるのは仕方のないことだろう。また荀彧も生真面目な性分であったことからそもそもの相性が良かったといえよう、前向きに執務から雑務までこなす名前に指導を行うのはすっかり彼の立ち位置になってしまい郭嘉は「荀彧殿に私の立場を奪われてしまった」と嘆いていたようであったが奪うも何もそのような意図は、と思いつつその立ち位置に妙に安堵しているのも事実、彼は言葉を飲み込んでしまった。
仕事の合間にする話にも花が咲き休日の過ごし方、景色の良い場所、最近流行りのもの、とにもかくにも話題が尽きぬことに荀彧は心を弾ませまた名前の楽しげな顔を見るたびに私がしてやれることは何だろうか、と親のように思ってしまうのを抑えることはできなかった。
今日の執務室にて机に噛り付く名前をふと見やると顔に髪がかかっているのが見て取れた。しかし名前はそんなこともお構いなく自ら抱えてる案件の処理に尽くすが如く頭を悩ませている様子であったため少し悩んだのち荀彧は声をかけることにした。
「名前殿、少し宜しいでしょうか」
「ん、えぇ。何か御用でしょうか?」
「髪が顔にかかってるので、気になりまして」
「あぁ、そういえば…そうですね。あまり髪の手入れなどしていないもので、伸びていたに違いない…」
恥ずかし気に髪を耳にかけて大丈夫だと言わんばかりに笑う名前を見てやはり声をかけて正解だったと荀彧は思うのだ。名前は自分に似てか自らに頓着がない。洒落たこともそこまで興味がなく、しいて言えば他人に贈り物をと箸やら服やら見て回ることはあっても自分のためにといったことは早々ないらしい。「そういったことには何かと疎くて、お恥ずかしい限りで…」と慎ましやかに笑っているのを見るとより親近感は湧くがこの子をもっと可愛がってやりたいと欲深くも思ってしまう自らを律してはいたものの今となってはそれも無意味であろう。こうして施してやりたいという気持ちが些細な配慮という名目で隠れながら現れているのだから。
「宜しければ私が髪を繕ってあげましょうか」
「荀彧殿が、ですか」
「えぇ、私も髪を括っているので、下手ではないですから」
「しかし…申し訳ないですよ。それに髪くらい切れば問題はありませんし」
「ならば使い古しですが紐が余っていまして、貴女が頂いてくださると助かると申したら受け取っていただけますか」
強情な荀彧に少し驚きつつも彼のやさしさを無下にしたくはないなと名前は折れ「ではぜひ頂戴させていただきます」と答えると荀彧は満足したように笑った後棚から櫛を持ってくると椅子に座った名前の髪を梳かし始めた。
まるで母のようだと名前は荀彧の手つきに酷く安心しきっていた。しかし同時に言いしれぬ感情にも苛まれた、これは一体何なのだろうかと思案しつつも荀彧は手を動かし髪に触れている。胸がざわつくのはこれが原因なのだろうか。
「その、あまり手入れはちゃんとしていないので通りが悪くはありませんか…?」
「問題ないですよ。むしろとても綺麗で、触っているだけで…」
荀彧はその先の言葉を飲み込んだ。今、言おうとした言葉には紛れもなくした下心があった。自分の心がかき乱されていることを名前に告げたときどうなるだろうかと櫛を持っている手を不意に止めてしまうと心配した名前が少しこちらに首を動かして「荀彧殿?」と声をかけられるとハッとして手を動かし欲を払拭しようと息を吐いた。
「申し訳ありません、少し考え事を」
「何か悩み事ですか?」
「そうですね…少し、どうしようもならない問題かもしれませんが」
「どうしようもない、ですか。その理由を尋ねても構わないですか」
「…らしくないことを思ってしまったのです。私はこんなに…触れたかったのかと…」
徐々に小さくなる声を名前には聞こえていないことを願う反面その想いがなかったことにされることを荀彧は恐れた。指先が、頬が熱を帯びていくのと同時に少し震えていた、拒絶を恐れる癖に受け入れられることを遠慮しているなどなんという傲慢だろうか。この感情を形容するにはどのような言葉を用いるべきかも未だわかりはしなかったがただこの子が自らの手で彩られていくことに喜びを感じていることだけは理解できた。
「荀彧殿は毎日自分の髪を自ら梳かしているのですか」
「え、えぇ。これくらいは自分でと」
「…私は荀彧殿に髪の手入れをしていただけて嬉しいです、自らでするのとではまるで違いますよ」
名前の言葉を聞いて荀彧の胸が熱くなった。名前はこちらを見ようともしない、しかし彼の目には見えてしまった。赤くなっている耳が、行き場を無くした指先が頬を掻いてるのが。
彼は名前を目で追うようになってからその仕草や行動の意味をよく知るようになってしまった、故に指し示す意味も理解できてしまう。荀彧は目を細めながら新しく使ったことのない濃色の紐を手に取ると静かにこう言った。
「ならば、これから先も私が貴女の髪を梳かして差し上げます。貴女に似合う簪も、私が見つけてきましょう」
名前はその言葉を聞き「とても楽しみにお待ちしております」と笑うと穏やかな木漏れ日が二人を包むのを夢のようだと目を閉じた。