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短編





 血と土の臭いが体にこびりついている。
 所々破けた犲の隊服。その群青を汚す鮮やかな赤は、果たして己の血か。それとも数刻前に亡きものにした反逆者達のものか。確かなのは、その色が鷹峯の興奮をさらに煽っているということだけだ。
 軍の中に、明治政府、とりわけ太政官への反感を強めている者達がいることは、以前から鷹峯達も勘付いていた。奴等が標的とする太政官には、犲が近衛隊として仕える岩倉も含まれている。ゆえに、鷹峯達犲も密かに内偵を進めていた。その結果、近々奴等が大きな反乱に出ることを突き止めた。
 大阪周辺に反乱の主要人物達が集まり、会合を開くことを知った犲隊長の蒼世は、鷹峯と芦屋に連中の捕縛を命じた。陸軍の部隊を少数引き連れ、鷹峯達が大阪に入ったのは日が暮れた後。目立たぬよう身を潜め、芦屋の式神が見付けた隠れ家へと踏み込んだのは、夜半のことだ。
 結果、奇襲をかけることに成功した鷹峯達は、大きな被害を出すことなく目的を達成した。怪我人は複数出たが、死者はいない。首謀者も生きたまま捕らえることができた。そして今、京都へ戻った鷹峯は、報告のために上官である蒼世の元へ向かっていた。その全身に、殺気に似た鋭い気を纏いながら。

「戻ったか」
 犲本部執務室。窓際に立っていた蒼世が、こちらを振り返る。西日が差しこんでいるため、彼の輪郭は淡く輝いていた。思わず眩しさに目を細める。
「報告を」
 蒼世が一歩こちらに近寄る。鷹峯も歩み寄り、彼の正面に立った。
「任務は達成。首謀者は捕らえた。だが、他の奴等は俺等が名乗るのを聞くやすぐに斬りかかってきたので、黒と判断し、その場で全員殺した」
「首謀者の身柄は」
「陸軍に預けてある。これから拷問いきだろう。立ち会うか?」
「いや、今はいい」
 するりと、蒼世はおもむろに手袋を外した。しなやかな指先が、鷹峯の頬に刻まれた傷に触れる。真新しい刀傷は、死物狂いで飛び掛ってきた若い将校につけられたものだ。すでに血の止まった傷の上を、蒼世はゆっくりと撫でる。
「…久方振りの斬り合いは、そんなに高揚したか」
 常より低い声が、まるで宥めるように囁く。自分よりも背の低い蒼世を見下ろすと、澄んだ瞳が誘うように笑った。
 喉が渇く。肉を裂き、骨を断つ感触がまざまざと蘇る。血の臭いに、意識がくらりと揺らぐ。理性という檻で閉じ込めていたはずの獣が、それに気付く。駄目だと思っても、全身の血液が沸騰するように、衝動が抑えきれなくなった。
「鷹峯」
 蒼世の声は、まるで水のようだと思う。氷のように冷たくもあり、湯のように心地よくもある。そして時には、その声一つで全てを満たしてしまう。
ほら、今も。
「褒美だ。抱け」
 蜜よりも甘い声音が、鷹峯の思考を溶かす。飢えた獣の如く目の前の麗人に噛み付けば、もはや誰にも止めることなどできなかった。





2016.3.4
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