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バレンタインデー

「ん」
 並んでリビングのソファーに座っている時。不意に隣の蒼世が何かを自分に突き付けてきた。
「ん?」
 見れば、それは綺麗にラッピングされた小さな箱だった。長方形の青い箱には、濃紺のリボンが巻かれている。一目見て、市販の菓子の類だと分かった。
「もしかして、俺にくれるのか?」
「ああ」
 頷く蒼世。ぐいっとさらに差し出されたため、鷹峯は彼から箱を受け取った。思ったより軽いそれを暫し眺め、底を覗き見る。チョコレートの文字が見えた。
「チョコ?」
 尋ねると、蒼世はどこかムスッとした顔で肯定する。一見すると機嫌が悪いように見える顔付きだが、これはどちらかというと照れ隠しの類だとすぐに察しがついた。贈り物をすることが照れくさいのだろうか。そう想像を巡らせていると、鷹峯はあることに気が付いた。
「ん?今日ってバレンタインか」
 思わず壁にかけられたカレンダーへ顔を向ける。そこにはご丁寧に、十四の日付の下に小さな文字でバレンタインデーと印刷されていた。
「ああ。だから、やる」
「やるって……」
 自分達は男同士。女性間なら友人同士でもチョコのやり取りはするが、男同士で同じことをするとは聞いたことがない。ましてや、自分達は決してバレンタインにチョコを贈るような間柄ではない。片や社会人、片や高校生という、年の離れた友人というのが鷹峯の認識だった。
 このチョコレートはどう解釈すればいいのか。そんなふうに悩んでいると、鷹峯の胸中を読んだように蒼世が口を開いた。
「……金曜日に学校で、女子だけじゃなく男でも友人達にチョコを配ってる奴がいたんだ。今は性別関係なく、世話になってる相手に贈ることが多いと云っていた。だから、俺も買ってみたんだが」
「あーそうなのか」
 自分の高校時代とは、だいぶ変わったものだ。苦笑しつつ蒼世からもらったチョコをくるりと回す。
「……ありがとうな。後で頂く」
「……迷惑だったか?」
 不安そうな声が聞こえて、蒼世を振り返る。鷹峯の態度に、何か思うところがあったのだろう。
「いや。そんなことはねぇよ。少し驚いただけだ。甘い物も別に嫌いってほどでもないし」
「そうか…」
 蒼世の声が和らぐ。
「一応、お前が好きそうなものを選んだつもりだ。それは中に日本酒が入ってて…」
「へー。ウィスキーボンボンとかは知ってるけど、日本酒のチョコなんてあるのか」
「ああ」
 改めて箱の底の成分表を確認すると、確かにそこには日本酒の文字とアルコール度数が記載されていた。自然と、口元が緩んでいた。
「ありがと」
 再び礼を述べ、蒼世の頭を軽く撫でた。それは、ほとんど鷹峯の癖になっていると云っても過言ではない。蒼世限定ではあるが、初めて会った状況が状況だったせいか、何かあると彼の髪に手を伸ばしてしまう。蒼世も蒼世で、嫌がる素振りは見せず、それどころか昔から変わらず安心したように目を細めるものだから、やめられない。
「来月楽しみにしてろ。お前の好きな物やるから」
「……いいのか?」
「当たり前だろ。貰いっぱなしってのは性に合わない。ま、そのお陰で来月の出費は大変そうなんだけどな」
 どうしたものかと笑うと、瞬間、蒼世の表情が固まった。さっきまで嬉しそうに目元が和らいでいたのに、今は僅かに目を見開き、瞬きすら忘れている。どうしたと訊く前に、蒼世が先に問うてきた。
「……他にも、もらったのか?」
「……ああ、会社でな。大半が義理だ」
「大半、ということは、本命も…?」
「本命?…まぁ」
 土日に入る前の金曜日。退勤後に呼び出され、年下の女子社員から告白されたことを思い出す。気持ちはありがたかったが、鷹峯が応えることはなかった。せめて受け取ってほしいと、彼女から手作りらしいチョコレートを渡された。突き返すのも気が引けたので、そのチョコレートは今、自宅の冷房庫の中にある。
「………」
 鷹峯の答えを聞くや否や、蒼世はうつむき気味に黙ってしまった。何かまずいことを喋っただろうか。本命チョコをもらったことが羨ましいのだろうかと一瞬考えたが、蒼世の性格からしてその可能性は低い。
「蒼世?」
 名前を呼ぶと、そこでようやく顔を上げる。真っ直ぐ鷹峯を見上げると、蒼世はやけに真剣な声で云った。
「恋人、いないんだな?」
「あ?ああ……それが?」
「好きな相手は」
 鷹峯の問い掛けを無視し、蒼世は続ける。内心首を傾げつつ、素直に答えた。
「いない」
「……そうか」
 ふっと蒼世の口から息が吐き出される。その横顔がまるで安心したように見えて、鷹峯は眉を寄せた。今の会話の真意は何なのか。ただの他愛ない世間話にしては、蒼世の様子は緊張しているようだった。
 訊いてみようか迷っていると、蒼世はおもむろにスマートフォンの画面を見、立ち上がった。
「そろそろ帰る。夕飯に間に合わなくなるから」
「……なんだ、もうそんな時間か」
 鞄を手に、足早に玄関に向かう蒼世を追いかける。靴を履く蒼世をただ眺めていると、追求する気持ちは段々と薄れていった。
「休みの日に邪魔してすまなかった」
「気にするな。俺も会いたかったしな」
「………」
 何か云おうと開けられた蒼世の口が、そのまま止まる。蒼世が僅かに息を呑む音がした。その意味を大して気に留めずにいると、少しの間、静かな空気が辺りを流れた。それを破ったのは、鷹峯ではなく、蒼世。
「チョコレート」
「ん?」
「あれ、本命だからな」
 睨みつけるような視線で、唇を微かに動かして告げられたのは、その一言だった。
「え」
 間違いなく耳に届いた言葉に、思考が止まる。呆然とした鷹峯から逃げるように、蒼世はドアを開けた。
「じゃ、また」
 バタンと、扉が閉まる。後に残された鷹峯は、蒼世が立ち去ってもなお、暫くの間そこを動くことができなかった。
 何を云われたのか、すぐに理解ができない。まるで全てが夢の中の出来事のように感じられる。
 ただ、一つ。震えていた蒼世の瞳だけが、やけに鮮やかに記憶に残っていた。





2016.2.14
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